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恋愛しなくてなにが悪い 8

 おとなになってよかったな、と思う瞬間はいくつかある。

 動揺しても次の日にはなんてことのない顔をしていられることだ。

 まして日曜を挟んでいる。気持ちを切り替えるには十分な時間があった。

 それでも身構えてしまう。


 出社してまず確認したのは桐生くんの出勤時間だった。パソコンをつける前に目の前にいる藤沢さんに聞いてみた。

「桐生?今日は休みだぞ」

「え、そうなんですか?」

 振り返って出勤ボードを確認すると、桐生くんの欄は欠席になっていた。思わずほっとしてしまう。その表情の変化がわかったのだろう、藤沢さんが訊ねた。

「なんだ、なんか用があったのか」

「いえ、なにも」

 慌てて首を振る。藤沢さんが訝しげに私を見ている。その視線から逃れるように屈んで足元にあるパソコンの電源を入れる。かすかな起動音とともに画面が切り替わる。

「なんでもないんです」

「なんでもないって顔じゃないけどな」

 う、聡い。

 コーヒーを淹れようと立ち上がる。藤沢さんがタンブラーを差出していた。はいはい、ついでにコーヒーですね。

 受け取ってから言葉を返す。

「ブラックでいいですよね」

「ああ。話は昼メシの時に聞いてやるから仕事しろ、仕事」

「…はーい」 

 コーヒーを淹れてから自席に戻る。藤沢さんにタンブラーを渡してから、座った。

 パソコンが立ち上がっていたので、メールを開く。まずは至急返信の必要なものと一読しただけでいいものとにざっと分ける。一読したものはそのままゴミ箱へ。社内送信のお知らせがほとんどだった。あ、同期会。同期から今週金曜日同期会をやるとの連絡が着ていた。金曜は予定が無かったはず。参加、と打ち込んで返信をする。同じように返信の必要なメールは至急のものから順に片付けていく。

「あ、山田」

 藤沢さんの声が飛んでくる。

「なんですか」

 首を伸ばして藤沢さんの方を見る。モニターのむこう側でキーボードから目を離さない藤沢さんがいた。もう、話しかけたんならこっちむいてよ。

「明日から一泊二日で出張だから」

「え、明日ですか!?」

「抱えている旅館の件、明日しか先方の都合がつかなくてな。もう出張届けは出してあるから問題ないだろう」

「大有りですよ。心の準備ってものが」

 ようやくそこで藤沢さんは、ああん、といった顔で私のほうを見た。

「資料はできているだろ」

「それはできていますけど」

 ここでできていないなんて言ったら、殺されてしまいそうだ。

 資料自体は先週の内に仕上げてあり、あとは先方の都合次第だったわけだけど。

「…急すぎませんか」

「言い忘れていた」

 絶対ウソだ。試しているんだ。

 藤沢さんはこうやって時々こちらを試すようなことをする。

 絶対ドSだ。

「……」

「カフェの方はどうなっている」

「順調に打ち合わせ中です」

「具体的に」

 ああやっぱり。

 藤沢さんは仕事に手を抜かない。それが自分の担当ではなくても、だ。 

 その仕事に対する姿勢は見習わなければいけない。藤沢さんのもとに移動してきて五年。仕事というものを考えさせられる毎日だ。

 仕事の鬼、って感じではないのだけど、仕事量は多い。いつ仕事をこなしているのかわからないぐらいだ。おなじ就業時間なのにこの仕事の違いは経験だけだろうか。

「第一回の打ち合わせが終了。先方は働く女性が仕事帰りに寄れるようなカフェを希望しています」

「次の打ち合わせは」

「来週月曜日です」

「企画を木曜までにあげろ」

 今日が月曜日。明日明後日は出張だから。

「って実質二日しかないじゃないですか」

「二日で考えられるだけの案考えて来い」

「…はい」

「他の仕事は後回しだ。まずはそれから取り掛かれ」

「はーい」

「それと、午前中の内に旅館の資料をプリントアウトしとけ」

「はいはい」

「はいは一回」

「…はい」

 まず社内クラウドから旅館の企画書をプリントアウトしようとマウスを動かす。ファイルを開いて印刷ボタンを押すと、壁際の印刷機が音を立て始める。

「桐生くん、プリントアウトした資料綴じて…」

 横を向きながらプリンターを指差したとことで、はっと気づく。今日、桐生くん休みだった。誰もいない隣の席を見る。

 いなければいないで困るってどういうことよ。

 あたりまえのようにそこにいる桐生くん。いなくてほっとしたはずなのに、無意識の内に呼んでいた。

 無意識の内にその存在が大きくなっているような気がして、大きく首を横に振った。


「桐生となにかあったか」

 昼休みになると同時に藤沢さんにランチを誘われた。会社近くの中華で中華丼を頼む。

 メニューを置いたと同時に、藤沢さんにそう訊かれた。

「いや別に」

「眉寄ってっぞ」

 藤沢さんの右腕が伸びてきてぐっと眉間を指で押される。ひんやりとした指先。ぐにぐにと指先が動いている。振り払うように手を伸ばすと、その気配を察知して一歩早く指が離れていった。

「寄っていませんって」

 触られた場所をそっと撫でる。眉間にしわなんて寄せてないし。

「寄せる理由なんてないし」

 中華丼が運ばれてくる。「お先に」と声をかけてれんげを手に取る。

 はふはふ食べていると、藤沢さんが注文した天津飯が運ばれてきた。藤沢さんも食べ始める。

「先週末年下くんのとこ行ったんだろ」

「な、なんでそれを」

「桐生が嬉しそうに言っていたぞ。つーか、あれは牽制だな」

「牽制って」

「桐生は俺と山田の仲を疑っているらしい」

「私と藤沢さんが!?」

 思わずご飯を噴きそうになる。

「どこをどうしてそうなるの…」

「まあ社内で一番仲がいいってのは俺になるけどな」

「自慢げに言わないでください…」

 かたん、とれんげを置く。藤沢の方をまっすぐ見る。藤沢さんも食べるのを止めて、興味深そうな顔をしている。

「…桐生くんに告白されたんです」

「いまさらじゃないか」

「なんていうかごまかせない雰囲気だったんです」

 あの目。抱きしめられた強い腕。それらが思い出される。

「おまえらもっと先のことまでやっているんだろ」

「私は覚えていません」

「桐生のどこが悪いんだ」

「悪いとかじゃなくて、誰とも恋愛する気にならないんです」 

「それで?理由は言ったのか?」

「……」

「それじゃあ納得しないだろ。少なくても俺は納得しないし、諦めることは無いわな。桐生もそうだろ。ああいうタイプは自分が納得しないとどこまでも追ってくるぞ」

「……藤沢さんは」

「ん?」

「人間観察が趣味なんですか」

 皮肉をうまく受け取って藤沢さんが笑う。

「山田、おまえ…」

「な、なんですか」

「…おもしろいやつだな」

「…しみじみと言わないでください!」


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