恋愛しなくてなにが悪い 7
さて、どうしたものか。
「おじゃまします」
目の前のドアが開けられる。
「どうぞー」
駅から10分、3階立てのマンションの2階の突き当りが桐生くんの家だった。
玄関で靴を脱ぐ。
「上着預かるよ」
ハンガーを片手に、空いている手を私の方に差出していた。
「あ、はい」
上着を渡しながらぐるりと部屋を見渡す。1DKの部屋は綺麗に片付けられていた。
「綺麗にしているのね」
「綺麗にしたんですー」
テレビ、ベッド、パソコン、こたつ机。
それでも物が少ない部屋だと思う。家主の性格が現れているのだろうか。
「さて、どうしましょうか」
髪を一つにまとめて買出ししてきたスーパーの袋を見遣る。と、桐生くんが手に水色の布を持っていた。
「はい」
「え?」
「ほら、はやく」
ぐいぐいと押し付けられ仕方なくその布を受け取る。広げてみれば何の変哲も無いエプロンだった。
「エプロン…」
「はーやーく。着て?」
これが白いフリフリのレースたっぷりのエプロンだったら、床に叩きつけていただろう。多分、桐生くんはそんな私の行動を読んでいる。
たっぷり3分は眺めて、着た。着て害のあるものではないし。
「何作ってくれるのー?」
うろうろとわたしの後ろから手元を覗き込む桐生くん。
「肉じゃが」
「わー。ザ・家庭の味って感じ」
ふ。単純なやつめ。肉じゃがなんて切って煮るだけでできるのだよ。味付けだって簡単だし。
「キッチンも綺麗に片付いているけど、普段は料理とかどうしているの」
シンクの上にはみごとにコップしかない。上の扉を開けると鍋やらフライパンやらがしまってあった。
自炊の跡が無い。
「ほとんど外食」
「…体壊すわよ」
「じゃあおねーさんが毎日作ってよ」
「なんで私が」
「俺とおねーさんの仲だし?」
「なんにもないじゃない」
「へーあれをなにもないって言うんだ?」
あれっていつのは例のあれであって。結婚式の日の夜のことよねぇ…。
「うっ」
それを言われてしまうとなにも言えない。
「…あれは忘れてちょうだい」
「忘れないって言ってるじゃん」
「あーもー」
スーパーの袋からジャガイモとたまねぎを取り出す。
「ご飯研いでちょうだい」
「はーい」
こうしていると弟が出来たみたいでいいんだけどね。
「おねーさんは、普段から料理するの?」
「まあ人並みには」
「お弁当は作ってきてないよね?」
いらんところまで良く見ているな。
「あー昔は作ってたけど、いまは止めちゃったの」
「…手作り弁当でもよかったかも」
「いやよ。同じお弁当なんていらぬ疑いをかけられるじゃない」
「疑いかけられていいじゃない。俺、別にかまわないけど」
「私がいやなの」
狭い会社の中だ。すぐに噂は広まるだろう。そんなの恐ろしくて想像もしたくない。
しかしなんで私にこだわるのだろう。
こう言ってはなんだけど、あえて冷たい態度を取っているし、いいことなんてひとつもないと思う。
それでも態度を変えないって。私のどこがいいのだろう。もっとかわいい子はいるし、桐生くんなら寄って来る女の子は多いと思う。イケメンだし、気が利くし、仕事できるし。
それが結婚式で会っただけの私にこだわる理由が分からない。
桐生くんは楽しそうに米を研いでいる。
じゃがいもの皮を剥きながら、隣に立つ桐生くんをじっと見る。
「なに?見とれちゃった?かっこいい?お婿さんにしたい?」
腰をかがめて下から覗き込むようににやにやと笑っている。
「なんでいきなりそういう発想になるのよ」
つん、と左の肘で桐生くんの体をつつく。
「いやだってあーんな目で見られちゃ期待しちゃうじゃん?」
「どんな目よ。普通よ」
「無自覚なのが一番罪深いよなー」
「なに言っているのよ」
「え?本気なんだけどなぁ」
「そんな本気いらないです」
「ねーおねーさんはさー」
桐生くんがちょっと甘えた口調になる。
「なによ」
「なんで俺のことがダメなの?俺のどこがダメなの?」
「どこがって…」
「こういうと生意気だって分かっているけど、これでも俺もてる方なんだよ?俺が好きって言って落ちなかった子いなかったんだけど」
どんな自慢だ。
平凡な人生を歩んできた私には到底言えそうも無いセリフだ。
「…私は誰とも恋愛する気はありません」
じゃがいもを切りながらそう言うと、桐生くんが不思議そうな顔をしているのが横目で見えた。
「なんで?理由聞かないと納得しないよ?」
ふうと大きく息を吐く。
「そこを踏み込んでいいのはもっと近いひとだけよ。無遠慮に近づいてこないで」
「考えなしに言っているんじゃないよ。本気だよ。それでもダメなの?」
「桐生くんは聞き分けのない子どもの言葉よ」
「……」
包丁を置いて桐生くんに向き直る。
正面に見据えて言葉を続ける。
「過去に嫌なことがあった。それを話すのはそれ相応のひとよ。桐生くんではないわ」
「それって付き合うひとじゃないと言わないってこと?」
「そうね、そういうことよ」
突然ぎゅっと腕を掴まれて桐生くんの方に引き寄せられる。
「え、え、えっ」
そのまま桐生くんの腕の中にすっぽり入ってしまう。桐生くんの鼓動が聞こえてくる。耳元にかかる桐生くんの吐息にどきっとしてしまった。
私とは違う筋肉のついた体。少し押し返したくらいではびくともしない。
あの日の背中がフラッシュバックされる。
「…我慢しているんだからこれくらいいいでしょ?」
何をだ、何を。
いつもより低くてかすれたような声に、頭の中で警鐘が鳴る。聞いたことのある声だけど、こんな声いつ聞いたのだろう。
「……よくないわ!」
ぐいっと両手を突っぱねて体を引き離す。桐生くんは思いのほかあっさりと腕の力を解いてくれた。
「ちぇー」
いつもの茶目っ気たっぷりの桐生くんに戻る。なぜかほっとした。明らかにほっとした私をじっと見ている桐生くん。
「おねーさん」
「え?」
声のトーンが落ちる。振り返ると真剣な顔をした桐生くんが居た。その真剣な顔にたじろいでしまう。
「桐生くん?」
夕日が部屋を照らす。桐生くんの痛いぐらいの視線。
「俺を好きになれよ」
言われたセリフが私には重すぎて、思わず目をそらしてしまった。