恋愛しなくてなにが悪い 4
困ったことになった。
犬に噛まれたと思って忘れようとしたのに、その犬が私の元へとやってきたのだ。
目の前をうろうろされては、忘れたくても忘れられない。
本当に仕事は藤沢さんのチーム、つまり私が所属しているチーム付きになった。主に。だから他のチームから応援要請があればそちらにいくけど。
イケメン男子、桐生くんはすぐにうちの会社で話題になった。
噂によると有名大学在籍だとか。仕事ができるとか。
いまの内に唾つけとけ、なんておじ様たちは冗談を言うけれど、実際食べられてしまった私は全然笑えない。
「山田、午後の予定は?」
前のデスクから藤沢さんの声が飛んでくる。
「あ、はい、例のカフェの打ち合わせです」
「何時からだ」
「1時半です」
ちらりと腕時計に目を走らせると現在11時半。
「早めに昼食とっておけ」
「ありがとうございます」
この時間ならどこのお店も空いているだろう。急いで鞄を持って席を立った。
「お先に休憩いただきます」
営業部のデスクの塊を抜け、エレベーターへと向かうところで、総務の美帆に出会った。
「あれ、春花もうお昼?」
「午後一でアポ取ってあるから、早めに藤沢さんが昼食取れって」
「そう?じゃあ私も昼食取れるか聞いてくるからちょっと待ってて」
そう言って美帆はぱたぱたと総務室へと向かっていった。
間をおかず美帆が鞄を手に戻ってきた。
「オッケーだって。どこいく?」
「あんまり時間無いから、目の前のイタリアンでいい?」
「いいよ。じゃあいこう」
エレベーターのボタンを押すと、しばらくしてドアが開いた。先に美帆が乗り込む。
閉のボタンを押して美帆が口を開いた。
「土曜は来てくれてありがとう」
「こちらこそ呼んでくれてありがとう」
美帆のウエディング姿はきれいだったよ、と言うとちょっと恥ずかしそうにありがとうと返された。
「結婚式はいいね。参加している方も見ているだけで幸せになるよ」
「準備はもう大変だけどね。平日は仕事だから、休日にやってて、前日なんて間に合わないかと思って徹夜したんだから」
「うわー大変そう」
「その分、当日幸せよ。春花も早く結婚しなさいよ」
エレベーターが一階に着いた。そのまま道路を渡って正面のイタリアンのお店に入る。
「ふたりで」
「かしこまりました。窓側にご案内します」
四人掛けのテーブル席をすすめられて座る。美帆はすぐにメニューを取って開いた。
「今日はなににしようかな」
「私はサーモンのクリームパスタ」
「あんたそればっかねぇ」
「だって好きなんだもん」
「まあいいわ。すみませーん」
ウエイターさんを呼んで、サーモンのパスタとあさりのパスタを注文する。
ぱたん、とメニューを閉じて元に戻した。
「ねえ三次会で相当酔っていたけど無事に帰れたの?」
「いやあ…」
無事どころか犬に噛まれました。
「酔ってもいつもたいしたことないから春花のことだしってことで送っていかなかったけど、大丈夫だった?」
「えーと」
なにから話したらいいかわからない。
「実は…」
三次会の途中から記憶がないこと、目覚めたらラブホに居たこと、隣にはいとこである桐生くんが居たことをしどろもどろになりながら話した。
「え!あんた十時と寝ちゃったの!?」
「美帆!声大きいって!」
目の前であちゃーと言っている美帆を見て肩身が狭い。
「すみません…」
「あんたが謝ることじゃないでしょ。それにしてもあいつ、やけに春花の事を聞いてくると思ったら…」
穴があったら入りたい。
美帆が大きくため息をついた。
「十時、あの顔でしょ?結構もてるのよね。しかもなんでもできる子だから調子に乗っているの。とっかえひっかえと言うわけじゃないんだけど、ひとりの子と付き合っているのも長くないし…。確かに年上好きというかキラーだけど、まさか春花を狙っていたとは思わなかったわ」
「私もまさか狙われるなんて思ってもみなかったよ…」
「しかも酔っ払って意識ない状態だったんでしょ?どう考えても十時が悪いんじゃないの」
「でも十代の子に手を出しちゃったわけだし」
「いや手を出されたのはあんただから。相手はあの歳で百戦錬磨の十時よ」
「……」
私と同じ世界に生きている子かしら。ずいぶん世界が違うような気がする。
「…藤沢さんに犬に噛まれたと思って忘れろって言われたんだけど」
「あんた藤沢さんに相談したの!?」
「はあ、成り行きで」
「…で、忘れろって言ったわけだ」
「うん、私も忘れたいんだけど、当の本人が、『忘れないし落とすよ』的な発言をしてね…」
「あいたたた。あの子がそう言ったら、本気よ」
気の毒に、と言葉を添えてかわいそうなものを見る目で私を見てきた。
「恋愛しろって言ったけど、あの子はおススメしないわ」
「勧めなくて結構です」
「言っとくけど、しつこいわよ。覚悟しておきなさい」
どんな覚悟が必要だ、なんてこれからのことを考えてげんなりした。