恋愛しなくてなにが悪い 10
朝なんてこなくていいって思っても、どんな時でも朝は来るわけで。
どんな顔していいかわからない。
やりにくい。すごく。
そう感じているのは私だけのようだ。藤沢さんはなにもなかったかのように振舞っている。必要以上に緊張しているのは私だけだ。
その緊張は外にも伝わっているようで。
「山田、カフェの企画案どうなった」
「あ、あっ、はい!いまやっています」
「できたら見せろよ」
「はい!」
そんなやりとりをじっと見ているのが一名。隣からばしばし痛いくらいの視線です。
「ねえ山田さん」
「な、なにかしら桐生くん」
視線を向けずともじっとこっちを見ているのがわかる。
「藤沢さんとなんかあった?」
鋭い。
「な、なんかってなによ」
「んー詳しいことわからないけど、絶対なんかあったね」
「なにもないわよ」
キスされたなんて言ったらどんな反応をするだろう。
「いいよ、藤沢さんに聞く」
「だ、ダメ!」
藤沢さんの性格だと包み隠さず話してしまいそうだ。それはまずい。
「なんで」
「なんでっていうか、まあ、その」
「やっぱなんかあったんだ」
「なんもないよ!」
「山田、桐生、仕事しろ」
藤沢さんのお叱りの声が飛んできた。その声に桐生くんは肩をすくめるかっこうをみせる。
「はーい」
素直な返事をして、席を立つ。
「藤沢さん、仕事くださいー」
「ああ、この資料を20部コピーして綴じてくれ」
「わかりました」
桐生くんは藤沢さんから資料を受け取ってコピー機の方に向かう。その背中を見送ってひとつため息をつく。
藤沢さんはどういうつもりであんなことをしたんだろう。
藤沢さんが私を好きなわけはないと思う。そうだとしたらひとつ。
からかったとしか思えない。
そっと藤沢さんを盗み見る。そこにはいつもと変わらずに仕事をしている姿があった。
「山田、昼どうする」
「あ、コンビ二で買ってデスクで食べます」
「そうか」
いま藤沢さんと食事とか無理だし。てか普通に誘う藤沢さんもどうなんだろう。やっぱりからかったとしか思えない。それにあたふたしている私はどうなんだろう。
ああもう、切り替えよう。
ぱん、と両手で頬を叩いて気合を入れる。マウスに手を伸ばすと、スリープモードだったモニターが切り替わる。
カフェの企画案を考える。とりあえず二通り考えているけど、藤沢さんはそれだけでは納得しないだろう。
デスクでうんうん唸っているうちにランチの時間になってしまった。
ぽつりぽつりとデスクから立ち上がって外へ行く人を見送る。もう少し進めてからコンビ二に行こう。
と、桐生くんが自分のデスクに戻ってきた。資料を抱えて藤沢さんに声をかける。
「できました」
「ああ、さんきゅ。あとで会議室に運んでおいてくれ」
「はーい」
「桐生、メシ行くか」
「あ、はい!ぜひ。聞きたいことがあるんで」
ぎくっとなるが、ここで私が反応したら、余計悪くなりそうで黙っていることにする。
「じゃあ行くか」
椅子が微かな音を立てる。藤沢さんが立ち上がって、大きく肩を回すのが見えた。一度も席を立っておらず、午前中ずっとパソコンに向かっていた。
ずっと視線の端で捕らえていたから知っている。
「ラーメンでいいか」
「大好きです」
藤沢さんと桐生くんは話しながら外へと向かっていた。
コンビ二から戻ってくるなり、あわただしくオフィスの扉が開いた。
「山田さん!」
息せき切って桐生くんが叫んだ。いくらお昼時とはいえ、オフィスには何人か残っている。慌てて周りを見渡すと、なんだなんだといった顔でこちらを見ている。
「なに、桐生くん。落ち着いて」
無言のままがしっと腕を掴まれて、ずるずると休憩室まで引きずられていく。そこには誰もいなかった。私が逃げないと思ったらしく、腕を解いてくれた。
掴まれた右腕がじんじんする。
「なに気を許しているんですか」
「え?」
主語が無い。なにを言っているのかが分からない。
「出張でさえ嫌だったのに」
忌々しげに呟いて、桐生くんは顔を歪める。
「だから、なに?」
「藤沢さんにキスされたんでしょう?違いますか?違いませんよね。藤沢さん本人から聞いたんですから」
「!」
逃がさない、という意思をもった手が、両肩を掴む。まっすぐ射抜く目はそらすことさえ許さない。
「なんでそうすきだらけなんですか。もっと危機感持ってください」
「…桐生くんには関係ないわ」
「関係ある」
「関係ない」
ぐっと両肩に力がこもる。逃がさない。
逃げられない。
「俺は、春花のこと好きだって言っているんだ。関係ないとは言わせない」
「……」
「最初からそうだ。春花はすきだらけだった。だから俺みたいのに付け込まれるんだよ」
「すきなんてない」
「…それに」
「それに?」
「藤沢さんにはとくにすきだらけだ。それだけ心許しているってことだろ」
「だって藤沢さんは教育係だもの」
「だからって俺に話してくれないことまで話す理由にはならない」
藤沢さんはどこまで喋ったのだろう。そのことがぐるぐると頭を駆け巡る。
「藤沢さんはなにを言ったの」
「同じ部屋に泊まった。トラウマを話した。キスした。間違いない?他には?」
言葉通りだ。それ以外に何も無い。頷く私に桐生くんは舌打ちをする。
「同じ部屋に泊まって何も無いなんて信じられない。何かされた?」
「ううん、何も」
「何もなんてことありえない」
「藤沢さんと私はそういう関係じゃない」
「違うね。少なくとも藤沢さんの方はそういうつもりじゃなかった」
「え?」
「藤沢さんは、春花のことが好きだって言っていた」
「ウソでしょう?」
あれはからかいの延長上だ。好きだなんてそんなことない。
「どんな姿見せたの。それまで好きじゃなかったのに落ちるのなんて一瞬だよ。藤沢さんは春花に恋に落ちたんだ」
最後の一言がいつまでも頭の中で響いていた。