君のための輪舞曲~Bpart~
「エヴァ! そこをどけっ!!」
「どくわけないだろうっ!!」
目の前に立ちはだかるコンラッドを睨むように見上げ、エヴァンジェリンは剣を構えた。
この先へは一歩たりとも通さない。
なぜなら。
「フランシス様は私が守る」
「……っ!」
ただ一人の私の主。
フランシス様。
この国の王。
「お前にもわかるだろう!? これ以上あの方に玉座を任せることはできないことくらいっ!!」
「……そして、あなたが次の王になる、と?」
「……そうだ」
「……ならば、なおさらここを通すわけがない」
チャキ……っと部屋に金属音が響く。
理解できない、と苦しそうに顔を歪めるコンラッドに刃を向く。
できることならば私とてコンラッドに剣を向けたくなかった。
「エヴァ……エヴァンジェリン」
「呼ぶなっ!!」
「!」
雑念を振り払うように、コンラッドに剣を繰り出す。
咄嗟に受けられたその刃はいとも簡単に弾き飛ばされた。
まだ、完全に迷いが捨て切れていない証拠だ。
きっと睨みつけ、コンラッドの胴目掛け刃を横に滑らせた。
「はぁああああ!」
「やめろっ! エヴァ、俺はお前を傷つけたくないっ!!」
「世迷言をっ……! はぁっ!」
「エヴァっ!!」
同じ師の下、腕を磨いてきた相手だ。
お互いの剣を熟知し、慣れ親しんだ戦い方。
女でありながらコンラッドに少しも引けを取らないその剣さばき。
……フランシスの懐刀。
フランシスの従順たる僕。
フランシスの高潔なる騎士。
「我の忠義はフランシス様のものっ!!」
「……エヴァ!」
泣きそうな声で、コンラッドが叫ぶ。
どんな相手であろうとも、フランシス様を傷つけるものは許さない。
たとえそれが、愛している男だとしても。
+++++++
「フランシス様」
「ああ、エヴァ。やっときてくれた」
いつもの穏やかなその笑顔はとても優しいもののはずだった。
目の下の隈はくっきりと痕になっており、頬もげっそりとやつれている。
今にも死んでしまいそうなほど線の細くなった身体。
手には血に濡れた細身の剣が握られていた。
「……フランシス様っ」
「エヴァ? どうして泣いているの? 誰かに何かされた? 誰にされたの? 教えて。仕返ししてあげる」
どうして、こうなってしまったのだろう。
優しい、優しいフランシス様。
この国の王で、私の唯一の主。
フランシス様は全てを護ろうとした。
だから、何も捨てられなかった。
人としては良いのかもしれない。
しかし、王としては駄目だった。
その優しさが決断力を鈍らせ、結局なにも護れない。
本当に、本当に優しい人だった。
狂気に蝕まれたのは、私が護りきれなかったから。
フランシス様の、心を。
だから私もあなたと、共に堕ちましょう────どこまでも。
+++++++
幼い頃、三人はいつも一緒だった。
次期国王のフランシス様と。代々王に仕える騎士の家系のエヴァンジェリンと。大公の息子のコンラッド。
皆、エヴァの父を剣の師とし、共に育ってきた。
生まれた瞬間からフランシスを主とし、育ってきたのだ。
穏やかに微笑み、エヴァをまるで本当の妹のように可愛がってくれたフランシスとは違い、コンラッドは激しかった。
激しく、求められた。
豪快で快活で。乱暴なくせに誰からも慕われ気安いコンラッド。
なのに威圧感があり威厳を兼ね備え「この人についていこう」と思わせる何かがあった。
……惹かれないはずがなかった。
二人で約束をした。
この国を、フランシスを護ろう、と────。
コンラッドは国を選び、私はフランシス様を選んだ。
何も護れず、フランシス様の手から命が零れていく。
民を優先させるがゆえ貴族から反感を買い、国が荒れていく。
護ろうとした民が、フランシスに背く貴族たちによって苦しめられていく。
王宮で孤立していくフランシスはいつも「大丈夫だよ」と言って微笑むのだ。
憔悴しきったそのやつれた姿で。
本当に、命を大切にする人だった。
フランシス様に仕えることが誇り。
でも、フランシス様は自分の不甲斐なさを責め心を闇に落としてしまう。
フランシスを王座から引きずり落とそうとする者達の刺客を躊躇うことなく殺し、疑わしきを罰する。
誰も信じられなくなって。
誰もいなくなって。
孤独に震えるフランシス様の傍に、ただあり続ける。
フランシス様が王位を継ぎ、政務をこなしているなか、コンラッドもまた大公になった。
そして、各領地の貴族を諌めたのもまた、コンラッドだった。
誰もが自然とコンラッドに頭を垂れる。
初めて、フランシス様が私にすがり付いて泣いた。
エヴァ、君も僕を見放すのだろうか。
君も、コンラッドの下へ行ってしまうのだろうか。
君は王に忠誠を誓う騎士。
もし、王がコンラッドだったなら、君は僕のことなんて歯牙にもかけなかった?
ねぇ、エヴァ。
怖い。
怖いよ。
コンラッドが僕の全てを奪っていくんだ。
縋りつくフランシス様を包み込むように抱きしめる。
フランシス様、私はどこにも行きません。
ずっと、一生、あなたのお傍に─────。
私の忠誠はあなたのもの。
私はあなたのものです。
必ず、私があなたをお守りします。
城を、去りましょう────。
フランシス様の手をとり立ち上がろうとした。
「……フランシス様。少々用事ができてしまいました。待っていてくださいますか?」
「わかった。早く戻ってきておくれ」
安心させるようににっこりと笑って隣室へと続く扉を後ろ手にぱたりと締める。
そこにいたのは、鎧を身に纏ったコンラッド。
「一人で来たのか」
「久しぶりに会ったのに、第一声がそれか」
今、城の外にはコンラッドを王にと望む者たちがいる。
そして、コンラッドもそれを受け入れている。
腰を低くし、剣の鞘に手を当てるとコンラッドが可笑しげに笑う。
「エヴァ、俺は別にお前と戦いに来たわけじゃ……」
「では、フランシス様と? それが何を意味するか貴様がわからないはずがない」
「……」
やはり無理か、とコンラッドの顔から笑みが消える。
「私の屍を超えてゆけ」
「馬鹿を言うな」
剣戟を繰り返し、退く退かないの良い合いとなる。
馴染んだ剣が交差する。
お互いにお互いのことを熟知しているだけに決着はつかないでいた。
コンラッドが泣きそうな顔でエヴァの名を叫ぶ。
「……エヴァ!」
「この先は決して通さないっ!」
「約束しただろう!? この国を共に護ろうとっ!」
「この国ではない、フランシス様をだっ! ……なっ!?」
振り上げた剣をコンラッドが素手で受け止める。
掌から流れる血が、剣を伝って私の拳に掛かる。
「っ! 侮辱しているのか!? 舐めたまねをっ……!」
「違うっ!! 俺はお前と戦いたくないだけだっ」
「!?」
掻き抱くように抱きしめられて、息が止まりそうになる。
……泣きそうになる。
こんなにも、コンラッドのことを……。
「やくそく、しただろうっ……!? 俺と、二人で、国を」
愛しているのに。
あなたと、私の運命が交わることは無い。
「私はフランシス様のものだ」
「違うっ! お前は俺のっ……! エヴァ」
「!」
エヴァの真意を探るかのように深く入り込んでくる。
息ができなくて空気を求めるように大きく開けた口から奥に、奥に……。
バシっと乾いた音が鳴る。
赤くなった頬を気にもせず、コンラッドはもう一度唇を重ねようとした。
剣を押さえられ、腰を固定されているため思いっきり後ろに仰け反るしかない。
目を合わせたら駄目だ、と本能が知らせていた。
顔を背ければ耳に息を吹き込むように落とされた言葉。
「お前は、俺の妻になるんだ」
「……ふざけるな」
「エヴァ、俺と共に歩んでくれ」
「ふざけるなっ! 離せっ!!」
「……エヴァ! ……エヴァ……」
眉根を寄せ、今にも泣きそうなコンラッドを見て心が痛んだが、私の心はこの世に生を受けたそのときから決まっている。
「離せ。そして、私と戦え。フランシス様を傷つけるのであれば、誰であろうと私の敵だ」
「……お前は! お前は、いつもフランシスフランシスと……! お前だって、俺のことを……」
「だからなんだ」
「…………どうしてそこまでフランシスを護ろうとする? あいつがお前に護られるに足るのか? それとも家の決まりだからか?」
その言葉に、すっと身体に冷気が走る。
「心から、あの方に忠誠を誓い、そしてそれが私の誇りだ」
地雷を踏んだことを自覚しているのだろう。コンラッドの顔が歪む。
しかしそれ以上に、理解に苦しむ、という顔をする。
そして。
「……もう、いい」
「……」
力なく項垂れたコンラッド。
剣を鞘に収めようとして、やめた。
コンラッドの足元に突き刺す。
「ご健闘を。……あなたの治める国に幸多からんことを」
「……行け」
コンラッド。
きっともう二度と会うことは無い。
今度こそ鞘に剣を収め、フランシス様の待つ部屋へと引き返す。
あの部屋には隠し通路がある。
そこを通って、国を、出る。
扉に一歩ずつ近づく音が無音の部屋に響いた。
泣くな。
そんな資格は、私にはない。
振り向くな。
私の心は─────。
「っつ! エヴァっ!」
耐え切れない、と言う風にコンラッドが叫ぶ。
「エヴァ、愛してる。どこにもいくな。俺と、共に、俺の、隣で。共に生きよう。……行くなっ」
泣いているのか。声が震えている。
泣くな。声が震える。
振り向くな。こんな顔、見られたくない。
「……フランシス様には私が必要なんだ」
「俺にはお前は必要ないとでも言うつもりかっ……?」
「……コンラッド、あなたは一人じゃない。多くの人があなたを求めている。……頑張って。あなたなら、きっと」
皆を導くことができる。
新しい道を切り開くことができる。
そう、新しい世界を────。
私は、あの方に、最後まで。
フランシス様に、以前のように笑っていただきたい。
だから。
私もあなたに負けないように、頭を上げて、前を見る。
前に、進む。
大丈夫、あなたなら。
だから。
「さようなら」
大好き。
だけど。
私はこの扉の向こうで私を待ち続けているフランシス様と共にある。
忠誠心をフランシス様に。
でも、女の私はあなたのもの。
この先もずっと。
扉に手をかける。
「……どんなに遠く離れようとも……」
お前だけを、愛している。
そう、聞こえた気がした。
ぱたん、と閉じられた扉。
エヴァを失った喪失感に呆然とし、先ほどまであった温もりを求めて、手が宙をきる。
涙が、頬を伝う。
フランシスが憎い。
王というだけで、俺が一番欲しいものを奪っていく。
エヴァの笑顔が見たかった。
エヴァの声を耳元でいつまでも聞いていたかった。
エヴァのしなやかな身体を抱きしめていたかった。
エヴァの全てが、欲しかった。
でも、エヴァの一番は生まれた瞬間から決まっていて。
俺の入り込める隙などありはしなかった。
恋焦がれて。
この身が燃え尽きてしまいそうなほどの嫉妬をして。
二番目でも構わないと自分に言い聞かせた。
フランシスが壊れて。
エヴァが笑わなくなって。……顔を見ることすらできなくなって。
やっと会えて、これだ。
もう二度と会うことは無いとエヴァの背中は語っていた。
どうして。
どうして、フランシスなんだ。
もし、俺が王ならばお前はフランシスにそうするように、俺に全てをささげたか……?
民に慕われようと。貴族の支持があったとしても。
一番欲しい、お前だけが手に入らない。
「っ……ふっ……ぅ……エヴァ……」
愛してる。
何でも持っているが、エヴァだけ手に入らない俺と。
何も持っていなくて、エヴァしかいないフランシスと。
どっちが幸せなのだろう。
フランシスが、憎い。
「……お前以外、なにも、いらないんだっ……」