世界の終わりについて、ある歴史学者の見解
ある歴史学者が生前に残した最後の論文、「世界の終わりについて」がここ最近世間で話題になっている。ある国の大統領が、「世界は今まさに終末を迎えようとしている」とうっかり公の場で口を滑らせたことがきっかけだった。それがただの話題作りだったのか、はたまた真実を暴露しようとしたのかはわからない。会見はその場で中断され、その後一切発言に対してのコメントは出されなかった。
しかしそのニュースは瞬く間に世界中を駆け巡った。インターネットを通じて様々な憶測が飛び交い、誰かがSNSに「世界の終わりについて」の論文の技粋を投稿したことで、それが起爆剤となって世界中がその話題で持ちきりになった。
「世界は一人の人間が思い描いた未完の物語に過ぎない」とその学者は論文の中でそう仮説を立て、「したがってその人間の死こそが世界の終わりである」と結論付けている。要するに世界はその一人の人間の想像物に過ぎず、そして約八十二億分の一の死がこの世の終わりを意味するのだと。その一人が誰かは論文には記されてはいないし、そもそも数百ページにも及ぶというその論文の全容はもちろん、著者である歴史学者についての言及も一切ない。投稿されたのは論文の入り口と出口であるその二文だけで、多くの歴史学者は「歴史への冒涜だ」と学会を通じて声明を出したが、長たらしい学者たちの声が匿名である歴史学者の声より大きくなることはなかった。
そうして世界中に終末論が広まり始めると、次に話題に上がったのはその一人の人間とはいったい誰なのか。そのことで日々議論が続き、再びあらゆる憶測が飛び交った。自分こそがその一人の人間だと名乗り出す者がまず現れ、次にこれは陰謀論だと自説を語りだすものが現れ、 その中から「世界は今まさに終末を迎えようとしている」と発言した大統領こそがその一人だという者たちが出てきた。この世界を救うには大統領の命をなんとしてでも守らなければならない、そのためには今我が国を敵視する国を攻撃し、自国を防衛せねばと戦争推進論がネット上で囁かれ始め、それに応じるようにあらゆる国のトップたちが票集めのために同じような発言をするようになり、ネット上では疑似世界第三次大戦が勃発した。多くの自称クリエーターが映像を駆使し、互いの国を攻撃し合い、そして世界を守るためにとそれを口実にして。最初はネット民の戯言と国同士も相手にしていなかったが、ある国の大統領が「世界のために我が国は全力で世界を終末へと向かわせようとする敵と対峙する」と声明を発表したことで、他国もまた世界を守るためにと大義を掲げ、自衛の名のもとに武器を余儀なくされていった。
そんな一触即発の事態の中、一人の著名な作家が自ら命を絶った。「一人の死によって世界が終わるなんてことはありえない」と、そう遺書を残して。生前から平和活動に積極的だった作家の死は何人もの歴史作家の声明より注目されたが、混迷した世界に歯止めを利かせるまではいたらず、結果として約八十二億分の一の人間の物語に終止符が打たれただけだった。とうぜん作家のファンは悲しみに暮れ、それに興じて出版社は作家の作品を再版させ、そのうちの何冊かが世界十故か国でその年のベストセラーに選ばれた。ここ数年はほとんど作品を発表することなく半ば引退状態だったことを思えば、まさに出版社にしてみれば棚から牡丹餅というやつである。
ただそういった事態におこぼれをもらったのはなにも出版社だけではない。作家の死を機に、 多くのピークを過ぎた著名人たちが作家の自殺を模倣し始めたので、映画や絵画それに音楽など過去に忘れられた作品たちが再び日の目を浴びるようになり、それに応じて各市場は大いに盛り上がってお金も動いた。今まさに世界が終わろうとしていると囁かれているのに、まことに不思議な現象であったが、歴史を振り返ってみるとそういうことは決して珍しいことではない。むしろ平和な時代より世界が不安定なときほど、経済とは活性化するものなのである。 作家の死は一年も経てば簡単に忘れられてしまうが、そこで覚えた世界が終わるかもしれないという不安は、靴底にへばりついたガムのようになかなか取り去ることはできないし、時間とともにそれは膨張していき、あとはなにかをきっかけに爆発するだけだった。
その様子をある歴史作家はほくそ笑んで見ている。眠りの中、自らが起ち上げた物語にうつつを抜かしながら。それは夢と呼ぶほど現実離れしていないし、現実と呼ぶにはあまりに陳腐な話でしかない。それは言うなれば物語だった。まだ他人が読むには値しないが、歴史作家の脳裏には確かに存在する妄想話。
それがある歴史作家の、世界に終わりについての目解だった。




