牛丼と弟
飾り気のない空間と大学で使う資料が綺麗に整理整頓されている部屋にとある女子大生が一人で住んでいる。
飾り気のなさとは打って変わって彼女は一人の男性の顔が浮かんでいた。
「山田さんは私の牛丼仲間、仲間」
時計の針の音と、ガスコンロの小さな炎だけが、時間の流れを確かに示している。
「姉ちゃん呼んだ?」
坂本の家には実家家出中の弟の亮がいた。
お風呂場からひょこっと坊主頭を出して、「うるさい」と一蹴され引っ込む。
坂本は、ため息を漏らし首を横に何度か邪念を振り解くように振る。
そして、まな板の上に並んだ玉ねぎを見つめていた。
包丁を握る手に、小さな絆創膏がいくつも貼られている。
実家では料理のサポートましてや料理を造る行為をしてこなかった坂本は必死に携帯とまな板に視線を交互に落としていた。料理を始めたのは、ほんの気まぐれだった。
でも、とある人と出会ってから気づけばそれが習慣になっていた。
誰かのために作ることなんてなかったのに――。
「「焦げって、失敗の象徴みたいに思われるけど、実は一番“味が出る”部分なんです。少し焦げたタマネギとか、炙られたチーズとか……そこにしかない温度があるというか」」
山田の言葉が、ふと頭を反芻した。
焦げを解く山田の言葉は哲学なのか?
フライパンの上で玉ねぎたちが焼け始める。
次第にお肉を追加して、湯気の中に醤油と砂糖の匂いが広がった。
少し目を閉じて、その香りを吸い込む。
心臓がトクトクと音を立てる。
どうしてだろう。
まるであの人と並んでいるみたいな錯覚。
――でも、焦がしたら、きっと笑われる。
そう思って、火を弱めた。
慎重に、慎重に。
焦げないように、手早くかき混ぜる。
けれど、ふと手が止まった瞬間。
香りの中に、ほのかな苦みが混ざった。
焦げた。
坂本は目を見開く。
急いで火を止めるけど、もう遅い。
鍋底に小さな黒い跡が広がっていた。
それを見つめて、坂本は小さく笑った。
「……焦げても食べてくれるいいような人、か」
お玉の先で、焦げた部分をそっと掬い上げる。
香ばしくて、少し苦い匂い。
昼間の山田の笑顔がふと浮かんだ。
「私、力入りすぎちゃうんだな」
ぽつりと呟く。
お玉を持つ指先に、まだ小さく震えが残っていた。
彼女はフライパンの前に立ったまま、
焦げついた鍋底を見つめながら、
心の中で小さくつぶやいた。
――焦げるって、悪いことだけではない。
その夜、窓の外では冬の風が吹いていた。
部屋の中には、少し焦げた牛丼の香り。
それは、不思議とあたたかかった。
「姉ちゃん腹へった」
もちろん亮には焦げ目の多い牛丼を渡し、在庫処理をした。
異性の手作りは全て神のお召し物。




