英語はクソみたいな言語だ!!!
英語、というか自然言語をひたすら貶すエッセイなので、全部合わせてゼロになるようにいろんな言語を褒めておこう。
俺はアメリカやイギリスのミュージシャンは好きだ。Y.M.C.A.は毎日聞いてる。たった二十六文字だけなのも素晴らしいと思う。
ドイツ語は難しいが発音が死ぬほど格好いい。俺はFPSの言語設定をドイツ語にしてた時期もあるぜ。なんせかっこいいからな。
中国語の良いところはやはり漢字だ。東アジア圏一帯で一種の表意文字が広がっているのは都合が良くて仕方がない。
韓国語はハングルが合理的でたまらん。一字できちんと音を表現できるのはひらがなとの親近感がある。
ロマンス語の魅力はやっぱりお洒落な発音だよな。クロワッサンとかフォカッチャとかパエリアとか。
ロシア語はまあうん。ロシア語のままドストエフスキーとか読めたらかっこいいよね。
アラビア語は学ばないとコーラン読めないんだよな。読んでみたくはあるし。
さて熟語と活用がクソみたいな言語が英語だ。慣用表現とかやめろよ。
誰が何と言おうと英語は野蛮で、それを公用語に採用した国連は大馬鹿野郎だと思っている。勿論、他の五言語もクソだし、日本語も韓国語もドイツ語も許しちゃいない。
自然に生み出された言語を他人に喋らせようとしてんじゃねえよダボ。自分が履きなれたパンツを他人に渡すか普通。
例外だらけの言語を押し付けてくるんじゃねえ。ポトフだけは掬えないスプーンをフランス人に押し付けるようなもんだぞ。世界に広めるなら会話のツールとして最適化しろ。
文化としては素晴らしいに決まってるよ自然言語は、原形の状態で自動詞か他動詞かだけでも世界の見方が違うような気がする。
文学は元々の言語でないと拾いきれない微細な感覚はどうしてもあるだろうしな。勿論それらを拾えるように翻訳家の方々が尽力していることもわかってはいるが。
それはそれ、これはこれ。文化として素晴らしいことと優れた道具であることは別だ。例外だらけの道具が素晴らしいものか。
一単語が複数の意味を持つのはわかる。エスペラント語にだってそういう単語はあるそうじゃないか。それは仕方のないことだ。
だが、名詞が動詞の意味を持つな。bookは本だろ。予約するってなんだよ。
ghotiって冗談綴りは有名だ。英語の綴りは不規則だもんな。文字にしたときの読み取りのために読みとは違う綴りになることがあるのもまあわかる。
だが、そんなお遊びな言葉を国際交流や教育の場に持ち込んでくるんじゃねえぜ。
どんな自然言語にも習得の壁となる要素はあるだろ。不安定な綴りや、無数の格変化、困難な品詞の見分け。ならば、なぜ故にその壁を除こうとしない。
印欧語族語話者どもはちょっとばかしお友達の言語を勉強するのが楽だからと多言語話者をないがしろにしやがった。国連が出来た時の奴らにはこのクソ見たいな大問題を是正する力はなかった。
今ではアラビア語と中国語を加えたな。国際協調のためにある組織がこの中途半端な動きしか出来てねえ。孤立語を離す人間は、語族的につながりのない人間は負担を押し付けられなきゃならない。
こんな理屈がまかり通っていいのか。みんなが一つの言語で離せなきゃ、バベルの塔は作れないだろうが、野蛮な六言語にこだわる俺達はそれをなんとかできるとは思えない。
旧約聖書はヘブライ語だからな。