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気付き

 自室でキャンパスノートに絵を描いていると、ノック音が聴こえた。部屋に入って来たのは、寝間着姿の春香だった。 


「春香。何か用?」


「用が無いと駄目?」


「別にいいけど、尚更分からないな。自分で言うのもなんだけど、僕の部屋には娯楽の類が一つも無い」


「会話は娯楽の内に入らないの? 久しぶりに再会出来たんだから、少し話そうよ」


 そう言って、春香は僕のベッドに腰を下ろした。髪の匂いなのか、春香から柑橘系の良い匂いがしてくる。


「春香から良い匂いがするね」      


「フフ。もっと近くで嗅いでもいいのよ?」


「十分香ってるから大丈夫。シャンプーの匂いなの?」


「香水。就寝前はいつも香水をつけるの。良い匂いに包まれた方が、安眠出来るでしょ」


「香水かー。僕は一度もつけた事が無いな。最近は男もつける人が多いというけど、必要性を感じられない物はいらないしなー」


「細かな所に気を配るからこそ、人から好かれる。良い服を着るだけじゃ駄目。匂いとか、肌の手入れも重要なの。まぁ、元から兼ね備わってるアナタには無意味な事よね」


「僕が? 別に、良い匂いはしないけど」


「自分の匂いは自分では気付けないものよ」


 春香が僕の傍に来ると、僕の肩に手を置いて、うなじの匂いを嗅いできた。


「どんな匂いがする?」


「……好きな匂い」


「そっか。じゃあやっぱり僕には香水は必要ないかな」


「そうね。私も、着飾らないアナタの事が―――ん?」


 僕が描いた絵に興味が湧いたのか、春香はキャンパスノートを手に取って、再びベッドに腰を下ろした。


「……これは、誰をモデルに?」


「最近知り合った人」


「……凄く、上手ね……」


 僕が描いた沙耶さんの絵を真剣な表情で眺めている。描いた本人としても、かなり上手く描けた自信作だ。まだ表現しきれない部分はあれど、趣味で描いている僕の腕前を考えると、本来の実力以上を発揮出来ている。


「……この人と、どうやって知り合ったの?」


「たまたま入ったカフェで。興味深い人なんだ」


「アナタが、誰かに興味を……?」


「うん。初めてだよ。こんなに考えてしまうのは。今まで色んな人や、美しい景色を見てきたけど、この人は過去に例を見ない。綺麗や美しいといった単純なものじゃなく、知れば知る程にますます知りたくなるんだ。不思議な人だよ」


「……そう、なんだ……ねぇ、ミチル」


「なに?」


「私を描いて」


「え? いいけど、時間が掛かるよ?」


「時間はどれだけ掛かっても構わない。だから、お願い。私を描いて」


 時刻は二十二時。一から描き始めて、描き終わる頃には深夜になっているだろう。明日も休みだし、寝る時間が遅くても大丈夫か。 


 こうして、僕は春香の絵を描き始めた。ベッドに座る春香を時折観察し、全身の一部分も雑にならないように丁寧に描き進めていく。

 描けば描くほど、春香は美しい女性だと思い知らされる。腕や足、体のラインや首。髪や髪の毛。どれも理想型で、その一部分だけでも美しいのに、それらが一つの人間として形成されている。実際に目にしなければ、現実の人間とは思えないだろう。  


 深夜三時。予定よりも少し時間が掛かったが、春香の絵が完成した。今まで描いた中でも、一番に完成度が高い絵になった。惜しむらくは、モデルの春香を完全に絵にするには技術不足だった事。春香は絵にするより、写真にするのが適している。


「遅くなってごめん! 完成したよ」


 出来上がった絵をキャンパスノートから切り取り、春香に渡した。春香は無言で絵を眺め、僕に視線を移すと、満足気に微笑んだ。


「凄く嬉しい。良い絵だよ、これは」


「まだまださ。僕にもっと腕があれば、その何倍も春香に近付けた。今の腕だと、春香の二割程度しか表現出来ない」


「これで二割か。ミチルにとっての私って、そんなに凄く映ってるんだ」


「もちろん。春香は美しい人だからね」


「……あの絵の人よりも?」


「あの絵?」


「さっき見せてくれたじゃない。あの人よりも、ミチルにとって私は美しく見えるの?」


「当然だ……って言うのは、沙耶さんに悪いな。でも、春香の美しさは誰にも負けないものだよ」


「ッ!? そ、そっか! フフ……嬉しい……!」


「モデルになってみたら? 絵のモデルだけじゃなくて、雑誌に載ってるようなモデルとか」


「実はもう何度も誘われてたりして」


「あー、それもそうか。そりゃ放っておくわけないもんね。絵? それとも写真?」


「全部断ってる」


「え!? なんでさ!」


「アナタじゃないから」


 春香はベッドに倒れると、僕が描いた春香の絵を僕に見せてきた。


「私はアナタがいいの」


 そう言う春香の瞳は、何故か潤んでいた。僕は春香の傍に座り、春香と僕が描いた春香の絵を見比べた。さっき春香には二割しか表現出来ないと言ったが、今見ると、何も表現出来ていない。

 僕が描いた春香はただの絵だ。鉛筆で描いて、消しゴムで修正して、ただ丁寧に描き上げた絵に過ぎない。そんな事は誰にでも出来る。


 でも、だとしたら。


 何故、沙耶さんの絵は特別なものとして描けたのだろう。春香では描けなかった目に見えない部分まで細かく描けた。僕にしか描けない沙耶さんになった。


 僕にとって沙耶さんは、特別なのか?

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