雨が奏でるひと時
雨の音が殻のカフェを響いている。今日は一日中雨が降りそうだ。
「……少し不服」
「何がですか?」
「私が着るより、なんか似合ってる」
「服を貸してくれてありがとうございます。ちゃんと店員用の服があるんですね」
雨で濡れた制服のままでは風邪をひくといい、沙耶さんはカフェの服を貸してくれた。沙耶さんのお爺さんが着ていた服らしく、黒のベストに白いシャツ、下は黒のパンツ。着ているだけで少し大人になれた気がした。
沙耶さんの言葉から察するに、沙耶さんも自分の制服を持っているようだが、どうしてそれを着ないのだろう。
「雨、ますます強くなってますね。夜までに弱まってくれればいいのですが」
「別にここに泊まっていってもいいよ? 明日は土曜でしょ。学校は休みじゃない」
「明日は予定がありまして。まぁ、予定と言っても、幼馴染の出迎え程度ですが」
「へぇー。男の子? 女の子?」
「女の子です。僕よりも歳が三つ上で、今は東京にいます。その人曰く、ちょっと早い夏休みの帰郷らしく」
「仲良いの?」
「どうでしょう。日常会話は話せますし、たまに電話をする事もあります」
「仲良いんだ」
「でも、それって普通じゃないですか? 誰かと話す事も、誰かと電話をする事も。それだけで仲が良いなら、僕は世界中の人と仲が良い事になってしまいます」
座っているだけだと落ち着かず、カウンターにいる沙耶さんの隣にいった。カウンターの下にはコーヒーを淹れる器具と思わしき物が綺麗に並べられており、無闇に触れない雰囲気があった。
手持無沙汰を解消する為、それらを無視して、近くにあったカップを手に取った。別に何をするわけもなく、取っ手を指でなぞったり、意味も無くカップを回してみた。
ふと、隣にいる沙耶さんに視線を向けると、沙耶さんはカウンターに腰を預け、僕を見て微笑んでいた。少し子供っぽかかっただろうか。
「沙耶さんはコーヒーを淹れられるんですか?」
「出来るよ。インスタントコーヒー」
「それって、淹れるじゃなくて作るの間違いじゃ?」
「どっちも同じコーヒーじゃない。味の違いが分かる人間なんて、そう簡単にいないわよ」
「なんか詐欺師っぽいですね」
「ここは元々お爺ちゃんとお婆ちゃんのお店だったからね。だから、私と君だけだと、カフェにはならない。作り手がいないんですもの」
そう言って、沙耶さんはおもむろに僕の頬を指で突いてきた。どういう意図かは分からないが、嫌な気分じゃない。からかっている訳じゃないからだろうか。
手に持っていたカップを置き、僕も沙耶さんの頬を指で突いてみた。あんまり強いと嫌な気分にさせてしまうので、優しく慎重に。
すると、沙耶さんの表情が一変した。微笑んでいた表情は驚きに変わり、目を大きく見開いた。自分からやったんだ。やり返されても文句は言えないだろう。
「……君はどっちなの?」
「どっちって?」
「無自覚なのか。弄んでいるのか」
「多分、どっちでもないかと。ただ、やられたからやり返しただけで」
「……そっか」
僕の頬を突く指が、いつの間にか手の平に変わり、薬指で耳たぶを撫でてくる。驚いていた表情も変わり、安心したような、落ち着きのある表情を浮かべていた。
僕は窓の方へ視線を移した。窓の外では、未だ雨が降り続けている。
「雨、止みそうにないですね」
「そうだね」
「本当に泊まっていいんですか? 急な来訪でしたから、何も準備してないんじゃないですか?」
「準備って?」
「布団とか、寝間着とか」
「ああ、そっちね。大丈夫、お爺ちゃんのがあるから。そっかそっか。そりゃそっか」
そっちとはどっちだろう。それにしても、何から何までお爺ちゃんのお世話になるな。今は病院に入院しているんだっけか。退院なさったら、改めて今日のお礼をしにいこう。
「しかし、服に宿泊までしてもらって、僕から何も出せないのは忍びありません。せめて、ご飯くらいは作らせてください」
「作れるの?」
「簡単なものなら。学校で習った料理とか、家で作ってくれる人の見よう見まねで」
「家で作ってくれる人? え、もしかして君ってお金持ちなの?」
「どうなんでしょう。リムジンはありませんし、家も普通の一軒家ですし、お金持ちかどうかは分かりません。ただ、不便な思いをした事はありません」
「その余裕がお金持ちの子供っぽい。あーあ、私もお金持ちの子供ならな~」
「親がお金持ちだろうと、大事なのは自分自身ですよ。自分の価値は、結局は自分自身で見出すしかありませんから。親のそれは単なる背景に過ぎません」
「君と話してると、どっちが大人か分かんなくなるな」
「別にいいじゃありませんか。大人なんて、そうならざるを得ない状況でしかなれないのですから」
ここに来て一時間程経過したが、やはり客が来る気配が無い。外観が少し廃れているのもあるが、そもそも開いてるかどうかが分かる看板が無いのだから来るはずもない。
雨の音楽が鳴り響く殻のカフェ。僕と沙耶さんは何をするわけもなく、カウンターに立っていたり、椅子に座ったりして、時を過ごした。