夕陽と海
放課後になり、外靴に履き替えた頃、校門前に沙耶さんと変装をした桐山さんがいた。沙耶さんは遠慮がちに僕に手を振ると、ハッと何かを思い出したかのように、桐山さんの前に立った。別に通行の邪魔になってるわけでもないのに。
「何してるんですか二人共」
「え? えっと、これは―――」
「どうだ、ミチル君。君が油断している間に、俺は彼女と仲良くなってみせたぞ?」
「そ、そう! そういう事だから!」
「桐山さん。アナタは別に暇人ってわけじゃないでしょう。それから演技をするなら、もっと上手い相方を選んだ方が良い。役者のアナタならともかく、沙耶さんがぎこちなさ過ぎてバレバレだ」
「仲良くなったのは本当だ。ただ、君のその余裕を崩す為に、一芝居うたせてもらったんだ。あれだけ練習したのに、どうしてそう緊張するんだ?」
「……ミチル君。私は浮気なんかしてないから」
「浮気も何も、僕らは付き合ってないでしょう?」
二人の隣を通り過ぎると、遅れて二人が僕の両隣に陣取った。確かに仲良くなったのは本当のようだ。ただそれが友情や愛情といった純粋な関係ではなく、互いの利益の為の不純な関係のように見える。沙耶さんは僕の気を惹こうとして桐山さんを利用し、桐山さんはその機を利用して仲を深めようとしている。
このまま三人で仲良く帰り道を歩いていくのも悪くないが、先着の約束がある。僕は携帯の画面をワザとらしく二人に見えるようにして、連絡先の欄にある桐山香織の名前を見せた。
「……どうして君が、妹の連絡先を持ってるんだ」
最初に反応したのは桐山さん。遅れて沙耶さんも反応したが、声を出す事無く絶望していた。僕が女性の知り合いを増やす事に、彼女に何の不満があるのだろうか。
「実はつい最近知り合ったんです。街をブラブラとして、落とし物を拾って、そこでちょっと話して、話が合って、知り合いに」
「……ナンパか?」
「別に下心は無いですよ……今はね」
「おまっ!? お前! 妹に手出したら、いくらミチル君でも容赦しないからな! いや、待てよ? あれ君が唆したのか!? この前妹から役者を辞めろって急に言われたんだよ! あれ君の仕業だろ!」
「冗談を。僕はアナタを応援してます。僕は香織さんの悩みに少しアドバイスをしただけで、決断を下したのは彼女だ」
サングラスとマスクで顔を隠していても、桐谷さんが不愉快といった表情を浮かべているのが分かった。
「ねぇ、ミチル君」
「なんですか沙耶さん」
「私を見捨てるなんて考えてないよね?」
「……どうなんでしょう?」
不安気な表情を浮かべる沙耶さんが僕の右腕にしがみついてきた。一方で、唸り声を漏らす桐山さんが僕の左肩を強く掴んでいる。板挟みってやつか。
家の前に着くと、桐山さんは門の前で立ち止まっていた。
「寄っていきませんか? ついでに晩ご飯も一緒に」
「いや、結構だ。初めはそのつもりだったけど、君の発言を聞いてから、胸騒ぎがしてね」
「香織さんによろしく言っておいてください。あと、もう一度会いたいとも」
「ハハハ! もう二度と君には会わせないよ!」
爽やかな笑い声と共に桐山さんは去っていった。表情を隠していても確かに怒っている事を分からせてくるのは、流石は役者といったところか。
家に入り、二階の自室で着替えを済ませてリビングへ降りようとして、まだ沙耶さんが傍にいる事に気付いた。僕の死角にいる間も、彼女は僕の事を睨みつけていたのだろう。
「何をそんなに怒ってるんですか?」
「……ミチル君って、どれくらいモテるの?」
「たんとモテます」
「だよね……ミチル君、顔は良いからさ」
「おかげで選ばせてもらってます。癖があって、面白い人が好みですね」
「でも、私が初めて、なんだよね?」
沙耶さんは自分の唇を人差し指で撫でると、その指で僕の唇を撫でた。
「あの日、あの布団の中で。あれが初めてだったんだよね」
僕の唇を愛おしそうに見つめる瞳が、ゆっくりと僕の瞳に移り変わっていく。互いに見つめ合う中、少しギコちなく顔を近付け、互いの吐息を唇から感じ合った。少し熱を帯びた沙耶さんの吐息はいじらしさを覚えさせてきて、僕は彼女の細い腰にソッと手を回して引き寄せた。
止まった時間が再び動き出し、沙耶さんは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「私の勝ち」
「勝たせてあげたんですよ」
「ならこれからも私を勝たせてね」
「……春香か。何を唆されたんです?」
「唆されてないよ。ただ、少しアドバイスを貰っただけ」
「もう二度と連絡を取り合わないでください」
「うーん……やだ」
「これは強敵だ」
両手で沙耶さんの頬を包んだ。彼女の顔の左側にある火傷痕を親指で撫でると、彼女は目を閉じて、僕に身を委ねた。オデコとオデコをくっつけ、閉じた瞼の裏にある彼女の瞳を見つめた。
「僕はアナタを傷付ける。僕はアナタを苦しめる。僕はアナタから死を没収する。僕はアナタを暗い海の底に閉じ込める」
「私は君に傷付けられる。私は君に苦しめられる。私は君に生かされる。私は君を暗い海の底へ沈ませる」
「……僕がもっと、単純な人間なら、アナタに好きと言えた」
「単純な君からの好きなんていらない。私は君が好きなんだから」
開く瞼。瞳の色が違う左右の瞳。ベッドへ倒れ込み、丸まって彼女のお腹に顔を押し付けた。暗闇の中で、彼女の体温と匂いを感じながら、頭を撫でる彼女の手に安らぎを覚えた。