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協力者

 ゴチャゴチャと賑わうカフェの中心に位置する席。冷房の風や、音楽が流れるスピーカーの波が届かない  僻地にて、僕は彼女と対面している。帽子を深く被り、長い髪を後ろに束ねた女性。警戒心か、あるいは後ろめたさを感じているのか、テーブルの下に隠した自分の両手を見下ろしている。


 頼んだアイスコーヒーが届き、それを飲みながら彼女が僕を見るのを待った。アイスコーヒーの味は無難で、何処にでも売ってあるような安物コーヒーの味がする。こんな物が四百円近くするのだから、当然誰も買わないだろう。かといって、ホイップが上に乗せられた物や、ネットリとした甘味だけがある物を頼むわけもない。あんなのはコーヒーじゃなくてシェイクの類だ。


 しばらくすると、彼女が一瞬だけ僕に視線を向けた。本当に一瞬で、すぐに下に俯いてしまったが、僕を見た事に変わりない。


「名前は?」


「……」


「安心してくれ。警察に通報しようとは考えていない。その気なら、君を連れてコーヒーを飲みに来るなんて呑気な事はしない」


「……ボクは、別に怪しくなんかない」


「一人の人間の動向を追い、その過程をSNSに上げる。ストーカー行為と捉えられても文句は言えないだろう」


「……見たんだ。ボクの投稿」


「ああ。君には助けられたよ。おかげで桐山陽太の動向を知れた」


 すると、彼女は被っていた帽子を取り、テーブルの上に置いた。露わになった彼女の顔は、桐山さんの面影があった。妹か、姉か。


「兄さん、結婚は止める気になった?」


「結婚の話は無かった事になった。しかし、彼の恋心は別だ。あれは彼自身が宿した想い。それは変わる事なく燃え続けている。遅れた青春ってやつだ」


「どうして兄さんは、あんな陰気臭い女を好きになったんだろう……」


「他人の恋など理解出来ないものだよ。君が桐山さんの恋を理解出来ないように、僕も君の恋を理解出来ない」


「どういう事?」


「実の兄を犯したい君の事さ」


 図星。その言葉がピッタリと当てはまる表情が彼女の顔に表れた。僕はカップの蓋を取り、テーブルに備え付けてある小さなスプーンで氷をすくって口に運んだ。コーヒーは不味いが、氷は中々に良い。


「君と桐山さんの歳の差は? 五歳程度か?」


「……調べたの?」


「調べ尽くしていれば君に聞きはしない。僕と君は正真正銘の初対面だ」


「……気持ち悪いって、思うでしょ。実の兄を性的な目で見ているなんてさ」


「それが君の恋なんだろう? なら嫌悪感は抱かない。近親相姦は大きなリスクだが、そのリスクを目の当たりにするまでは、リスクなんて無いようなものだ」


「本当に? ボクの気持ちを分かってくれるの?」


「いいや。僕は一人っ子だ。君の気持ちは分からないよ」


「なんだ。期待して損した」


「同感してくれる存在が君には必要なのかい? それは自分を正当化する為か、罪を和らげる為か?」


 彼女は少し怒ったような表情を浮かべ、ここでようやくアイスコーヒーを口にした。しかし口に合わなかったのか、すぐにストローから口を離し、発火した火を消火するように砂糖とシロップを大量に注いだ。見る見る内にグロテスクな飲料へと変貌するアイスコーヒーの姿に、僕は吐き気を催した。


 再び彼女がアイスコーヒーだった物を口にすると、今度は目を輝かせ、夢中になって飲んでいく。テーブルの隅に置かれた大量の砂糖とシロップの残骸が、彼女が嬉々として飲むソレの殺戮性を物語っている。 


「ふぅ……ボク、ずっと兄に憧れてたんです。ボクの事を守ってくれて、連れて行ってくれて、まるで王子様みたいで。そんな兄が好きだった」


「今は違うと?」


「今、というよりかは……兄が中学生になった頃、突然役者の道を目指し始めたんです。最初は応援出来たけど、どんどんボクの知らない兄に変わっていって、今はまるで別人のよう。だからボクは、兄に昔に戻ってほしいんです!」


「君の為に?」


「それももちろんあります。でも、兄の為でもあるんです。兄は他人に強く言えない人で、それだけは今も変わってません。だからこそ、役者なんかやっちゃいけない。次々と要求される役を演じ続ければ、兄は自分自身ですら誰か分からなくなって、いずれ孤立する。ボクは兄の妹。だから分かる。兄は平凡な人だって事が」


「なるほど。桐山さんも言っていましたね。鏡を見た時、自分が誰か分からなくなる事がある。個性を失った人間はただの人形。そうなる事を恐れているんですね?」


「そうです! そうなんです! 凄い凄い! アナタってボクが欲しい言葉をそのままくれる! まるで神様みたい!」


 今、彼女は何と言った? 僕を何と例えた? 笑みを浮かべ、目を輝かせ、何を抱いている? 


 落ち着け、初対面の相手だ。禁句を知らぬのも当然の事。大真面目に受け取ってどうする。皮を破って飛び出そうとする怒りを鎮めろ。せっかくの探求を無下にするような行為をするんじゃない。落ち着け。落ち着け。落ち着いて、忘れろ。


「……とにかく、アナタが桐山さんを大事に想ってる事は理解しました。そこで、どうでしょう。彼に今一度、考え直すチャンスを作ってあげませんか?」


「どうやって?」


「まずはアナタが彼に打ち明ける所からですね。多少取り繕ってもいいですが、根本は忘れずに。昔の彼を取り戻すように言うんです」 


「そんなの、マトモに聞いてくれるわけないじゃん!」


「もちろん。ですが、キッカケにはなります。そこから徐々に彼を始まりに戻すんです。その手段は後々考えるとしましょう。というわけで、僕と連絡先を交換しませんか?」


「……本当に協力してくれるの?」


「ええ」


「どうして協力してくれるの?」


「アナタが僕を必要としているから」 


 彼女は僕の目をジッと見つめた後、ポケットから取り出した携帯を操作し、連絡先を公開した。それを受け取ると、僕の連絡先の欄に新しい名前が登録された。


「今後ともよろしく。桐山、香織さん」

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