表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/40

一つの感情に無数の意味

 僕達の青森旅行は一日で終わった。結局何も食わず飲まずで、事件の取り調べを受け、適当な蕎麦を食べて半日掛けて家に帰ってきた。凄く、時間を無駄にした気がする。


 しかし、得た物もある。沙耶さんに想いを伝えて繋ぎ止め、新しい知り合いも出来た。そして今日、その知り合いが謝罪の挨拶をしに家にやってくる。その電話がきた時、僕はやんわりと断ったが、本人の強い希望に遠慮を排除して家に招いた。


 コーヒーを飲んでいると、インターフォンが鳴った。音霧が出迎えに行き、客人をリビングに連れてきた。


「やぁ、桐山さん。事件ぶりですね」


「ああ。その後、変わり無いかい?」


「至って健康。毎日美味しい料理とコーヒーを飲んで充実してますよ」


「ハハ。君が元気そうで良かった。でも俺が聞いてるのは君じゃなく、沙耶の方だ。彼女の両親は間違った事をしたが、親は親だ。例え嫌な思いをしていたとしても、失った後は喪失感を感じてしまうはずだ」


「見た所、あまり落ち込んでいるようには見えません。むしろ、以前より寝起きが良くなったかと」


「そうか。それならいいんだ。あ、そうだ。これ、つまらない物だけど……」


 桐山さんは持ってきていた品を音霧に渡すと、音霧はそれをキッチンに持っていった。


「桐山様は、何かお飲みになりますか?」


「それじゃあ、冷たいお茶を」


「かしこまりました。こちらの品と一緒に持っていきますね」


 氷が入った麦茶とクッキーが乗せられた皿がテーブルに運ばれ、桐山さんは僕の向かい側の席に座った。


「そういえば、春香さんは?」


「彼女は戻りました。流石にいつまでも仕事をほっぽり出すわけにもいかず。お金を使えば減る。仕事をしなければお金が増えない。お金が無いと蟻になるしかない」


「……沙耶はまだ家に?」


「沙耶さんの事ばかりを聞きますね。そんなに彼女が好きなんですか?」


「ああ。君もそうだろう」


「僕の好きは、アナタが言う好きとは全くの別物。主観と客観の違いです」


「……相変わらず、君には困らされる。的を得た事を言ったかと思えば、意味不明な事を言う。年上からの助言だ。話をする時は、もっと相手が理解しやすい言葉を選ぼう」


「僕の言う言葉の意味を理解しようともせずとも、僕の言葉を聞いてくれる事に意味があるんです。人は大小あれど、皆探求者ですから」


「つまり術中に嵌まってるわけか。俺も興味の対象か?」


「ええ。もちろん」


 麦茶を飲んで潤う桐山さんを観察しながら、僕はコーヒーを飲んだ。


「……結局……あの日に起きた事は何一つ、分かっていない。どうしてお義母さんは俺を殺そうとしたのか。どうして君達があの宿に来たのか。君達については偶然か必然で片付く。しかしお義母さんについては、何かのキッカケが無ければ事は起こさない。実際旦那さんを殺した事実がある以上、あの人は俺に対する殺意を確かに持っていた」


「独占欲ですよ」


「独占欲?」


「子は宝と言うでしょう。彼女は自身の宝が誰かに穢される事を恐れたんです。自分の娘に性的興奮を覚える旦那と、娘に長年恋心を抱いている役者。それから僕。沙耶さんは二十代の大人の女性で、子供を産んでいたとしてもおかしくない歳だ。だからこそ、彼女はそれを阻止しようとした。自身の体で体感した痛みと苦しみを味わわせたくない為に」


「それは間違った推理だ。子供を守る為にと、君が言う行動を起こす母親がいるかもしれない。でも、それは良好な関係の母子に限っての話。沙耶とお義母さんの関係は、お世辞にも良好とは言えない」


「好きか嫌いか。そんな単純な話で通じる程、人間は単純じゃない。例えば、僕はアナタを恋愛的には好きではないが、人としては好きだ。役者には興味が無いが、アナタが役者を目指したキッカケには興味がある。同じように見えて、それらはまるで違う意味を持つ。差別化出来ていれば理解出来ますが、そんな面倒な事を考える余裕が無いのが現実世界ですからね」


「……つまり、お義母さんは沙耶を愛していなかったが、自分の子供という事実を大事にしていた? 沙耶を自分の物として扱っていたのか。だから独占欲なんかを覚えて……ちょっと待て? だったら何故、俺と沙耶を結婚させようとしたんだ?」


「アナタから申し込んだのでは?」


「まさか! お義母さんからの連絡があったんだよ。娘と結婚してくれって。名前を聞いて驚いたよ。俺がずっと好きだった人だったからさ」


 桐山さんは麦茶を飲み干すと、申し訳なさそうに音霧におかわりをお願いした。音霧が麦茶を注いで、そこに意識が向いている桐山さん。


 その隙に、僕はクッキーを二つ取って口に放り込んだ。真ん中に色がついたチョコレートが固められたクッキーだったが、チョコのようなくどさが無く、フルーツの風味のおかげであまり甘過ぎない。


「確か、桐山さんは沙耶さんと面識が無かったんですよね?」


「恥ずかしい話だが、一度も話せなかった。遠くから眺めては、勝手にドキドキしてたのさ」


「それが役者としてヒットしたキッカケになったんですから、儲けものですね」


「まぁ、その通りだな」


「否定しないんですか」


「え?」


「いえ、忘れてください。そうだ。沙耶さんに会いますか? 二階の部屋で寝てると思うので、起こしてきますよ」


「……午後の十四時だぞ?」


「ええ。午後の十四時、しかも平日です。先に言っておきますが、僕は正式にお休みを貰っています」


「……まぁ、家事さえしてくれれば―――」

 

「起床・食事・入浴・就寝。これらが家事の内に入るのなら、彼女は天才と言えましょう」


「……まぁ、その人のペースってものがあるからな」


「このまま繭になるまで観察するのも良いかもしれませんね。それじゃあ音霧。悪いけど、沙耶さんを起こしてきてくれ」


「かしこまりました」


 コーヒーを飲み干し、クッキーを二つ手に取って席を立った。


「それじゃあ桐山さん。胸の苦しみと歓喜に悶えながら、沙耶さんとの時間を楽しんでいってください」


「いいのかい? 敵に塩を送るような真似をして。俺を腰抜けと舐めてるかもしれないが、昔と今は違う。面と向かって好きだと伝えられる。君から沙耶を奪ってしまうかもね」


「言ったはずです。僕の好きと、アナタの好きは違うと。今度またお話をしましょう」


 リビングから出て、玄関から靴だけを手に取り、家の裏側に通じる奥の部屋の窓から外に出た。靴を履き、僕が壊したままの柵の一箇所から外に抜け出し、グルリと一周して家の正面の通りに出た。


 携帯を取り出し、SNSを開くと、やはり桐山さんのストーカーが僕の家の写真を投稿していた。画角からして、電柱の陰から撮影されたもので、実際に電柱に隠れて携帯を凝視する女性の姿があった。


 僕は彼女に忍び寄り、割って入るように彼女にクッキーを一枚差し出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ