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正義と享楽

 ミチルを捜している途中で、自分が今何処にいるのかが分からなくなった。ホテルのような同じ造りの階が段になって積み重なっているのとは違い、ひたすら平面でいくつも枝分かれしている。


 そこで私は、点在する襖をほんの少し開けて中を覗き、自分がどういう風に進んでいるかを確かめた。出来るだけ真っ直ぐ、分かれ道では偏らず平等に。


 すると、最初に開いた襖の場所に戻ってきていた。どうやらグルリと一周してきたみたいだ。


 ここで疑問が浮かんだ。私達がいた部屋から風呂場までは容易に行けた。それは案内板のような矢印が書かれた紙が貼ってあったからだ。ここにはそういった道案内の類が存在しない。客が使う部屋はここにも、この先にもいくつもあるのに。これでは迷ってしまう人が出てしまう。案内人の役割を担う従業員がいるのだろうか。


 しかし、周囲には人の気配が全く無い。ここだけじゃない。晩ご飯を食べ終えた私達が入浴から帰ってきてから、私達以外の人を見かけない。客を残して帰ったとは考えられないし、従業員専用の部屋があるとしても、これだけ広い宿では手前側と奥側に無ければ手間が掛かるだろう。


 そもそも、ミチルに毒を持った犯人は、何故ミチルを狙ったのだろうか。私達は貸し切り状態だったこの宿に泊まった招かれざる客のようなもの。前もって計画しておくのは不可能。あの毒は肉を溶かす硫酸のような毒だった。そんな物を用意出来たのは、準備があったから。


 矛盾が生じている。計画不可能でありながら、前もって毒を準備していた。


「……ミチルじゃない?」


 もしも、あのオレンジジュースを提供する人物の特徴が若い男だった場合、桐山陽太が当てはまる。しかし私達が乱入した所為で、桐山陽太よりも若いミチルが標的だと勘違いした。


 狙いはミチルじゃなく、桐山陽太だった?


 いや、これはあくまで憶測。結論づける証拠が無い今、ミチルが狙われていると思ったままでいい。


「……そもそも、どうやって結婚の話になったのかしら?」


 考えながら進んでいて、分かれ道をどっちに進んだかは憶えていない。ハッキリとしているのは、分かれ道を進んだ先、長い廊下の中央にポツンと男の死体が置かれていた。


 周囲を警戒しながら死体に近付き、観察した。歳は五十代前半で、買ったばかりのようなシワの無いスーツを着ている。肌が露出した部位には傷や痣が無く、背中側から心臓部を刃物で一刺しした穴がある。流れ出た血の色を見るに、まだ殺されて間もない。ついさっきとみていいだろう。


 刺された箇所の正確性からして、犯人はこの男と親しい人物。構え・狙い・突く。訓練された者なら一瞬の内に出来るかもしれないが、一般人の場合は時間が掛かる。男の後ろを歩き、何処かに隠し持っていた刃物の刃先を心臓部に合わせ、一気に刺す。


 男の体格はスーツで着ぶくれしているのを加味しても、やや肥満気味。刺し込まれた穴の大きさと、スーツの下に着ているシャツの正面、左胸部分に穴が空いているのから、凶器に使われた刃物は細長い形状。刺身包丁なんかだろう。


 困惑した表情のまま死んだという事は、自分が殺されるとは思わなかった。友人よりも親しい位置の関係。家族の者の犯行か。


 大体読み取れるところはみれた。ここまで呑気に観察出来たのは、周囲から人の気配を全く感じなかったから。


 犯人の動向を推測してみよう。男を殺した後、死体を処理せずに置き去りにしたのは、手についた血を洗う為か。そして血を洗い落した後、次は凶器の処分。凶器に関しては、付着した血を洗い落した後、元あった場所に戻せばいい。旅館なら様々な包丁があってもおかしくない。 


 犯人が男を殺した理由。この男を旦那、犯人を男の妻だと断定して、元々仲が悪かった可能性が高い。喧嘩をしていた場合はこんな表情にはならないし、表面上は仲が良かったのだろう。それを信じ切っていた男は、まさか妻に殺されるとは思わず、困惑のまま死んでいった。


 ここで重要なのは、この男を殺した女が、ミチルを殺そうとした犯人と同一人物なのかどうかだ。もし同一人物であるのなら、やはり早急にミチルを捜し出す必要がある。


「おや。面白い事になってますね」


 廊下の奥から歩いてきたのは、沙耶さんを連れたミチルだった。面白がっているミチルはともかく、その隣にいる沙耶さんの様子がどこかおかしい。眉間にシワを寄せて驚いておきながら、口角を確かに吊り上げて死体の男を見下ろしていた。


「……一応言うけど。私じゃないわよ」


「その人、沙耶さんの父親ですよ」


「え? 本当なの?」


「はい。確かに私の父です。もっとも、父親と呼べる人ではありませんでしたけど」


「……とにかく、死人が出てしまった以上、ここに長居するわけにはいかなくなった」


「ちょっと前は外にも出るなって言ってた癖に」


「動くかどうか分からなかったからよ。おそらくこの人を殺したのは、この人の妻。つまり沙耶さんのお母さんだと思う」


「同感ですね。そして、僕を殺そうとしたのもその人だ。実は入浴中、その男がスーツ姿のまま入って来たんです。そこで口うるさく罵倒されまして。でも、ただ単に悪口を言われただけだったんです。そこに殺意があるようには思えなかった。僕が少し鎌をかけるとこう言いました「初対面の相手を殺すなど、気が狂ってるとしか思えない」と。まるで他人事のように、まるで近くで見ていたように言ったんです」


「確定ね。でも、どうしてかしら? どうして沙耶さんのお母さんはアナタを殺そうと、そして旦那さんを殺したのかしら?」


「沙耶さん。一つ聞いても?」


「なに?」


「沙耶さんとご両親は、ちゃんと血が繋がった家族ですか?」  


「ええ」


「なるほど。動機が分かった」


 探偵である私を差し置いて、ミチルは真相に至ったらしい。やっぱり惜しいな。ミチルが私の助手になってくれれば、これ以上に心強い味方はいない。

 

 先に起こした事件からして、複雑な計画を企て、見事実現させてみた人心掌握ぶりから考えるに、ミチルは人の心を読み取り、人を操る天才だ。その才能を用いて事件を起こした前科がある所為で、表立って褒められたものじゃないけど。


「聞かせてくれる? ミチルの推理を」


「う~ん。嫌だ」


「はぁ?」


「だってここで明かしたら、春香は次の犯行が起きる前に止めるだろ? そんなの面白くない。どうせ真相を明かすなら、次の犯行が起きた後に明かした方が良い。推理ドラマの終盤でよくある展開だろ?」  


「アナタねぇ! 人の生き死にが掛かってるのよ!?」


「だからこそ面白さが重要じゃないか!」


「これはドラマじゃなくて現実! 現実で起きてる事なの! 面白さは関係ない!」


「ちょ、ちょっと待って! 一旦喧嘩は止めて! ねぇ、ミチル君。さっきアナタ、次の犯行って言ってたけど。それって、お母さんはまだ人を殺す気でいるって事?」


「ああ。おそらく、次は桐山さんだろうね」


「どうして、桐山さんだと?」


「それは―――おっと。ハハ、油断なりませんね」


「えへへ。聞き出せなかったか~」


「仲直り出来たようで何よりだけどさ。今私達がすべき事は、部屋にいる桐山陽太の元へ戻る事じゃないかしら……! ダッシュで戻るわよ!」  


 イチャイチャとする二人の背を叩き、私達は桐山陽太と音霧がいる部屋へと急いだ。 

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