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詐欺師

 泊まりに来た当初とは別の意味で緊張している。あらゆる隙間から、誰かがこちらの様子をうかがっている。そう思ってしまう程に、この宿には隙間が多い。


「僕達は男同士だ。恥ずかしがる事なんてない」 


 脱衣所でシャツのボタンに手を掛けたままの俺に一言言うと、ミチル君は豪快に服を脱ぎ捨てていった。脱ぎ捨てられた服を拾おうとするも、あの執事がすぐさま拾い上げ、丁寧に折り畳んでカゴに入れると、後を追うように風呂場へ入っていった。


 確かに同性とはいえ、誰かに裸を見られる事には抵抗がある。しかし、今はそんな事に恥ずかしさを覚える余裕が無い。人が殺されかけたのを実際に目の当たりにした後、どうやって平静を保てというのだろうか。


 二人とは少し遅れて風呂場に入ると、そこには十数人分の流しが並び、その奥に広い露天風呂があった。露天風呂では、既に二人がタオルを頭に乗せて堪能している。


 適当な流し場で体を軽く洗った後、俺も露天風呂に入った。湯の温度はさほど熱くはなく、むしろ温い。


「幼少期以来だ。こんな風に足を伸ばして風呂に浸かるなんて」


「今度は是非とも温泉巡りをいたしましょう。桐山様もいかがです?」


「え? あ、ああ。予定が合えば……」


「音霧。彼は役者だ。そう易々と僕らが独占出来るはずもない。彼は僕らがいる世界とは一歩離れた位置に生きている」


「今は忙しいですけど、これがずっと続くとは思わないよ。次から次へと、魅力ある役者が業界に現れる。俺がいる事務所は小さいわけではないけど、大手と比べると、チャンスを掴む力が乏しい。その為にも、役者自身が何らかのアクションを起こして、関心を惹く必要があるんだ」


「どんな事をやってるんですか?」


「基本的にはSNS。あとはイベントの出演や、ラジオ出演かな? 宣伝をする為であっても、あまり宣伝の色を濃くしてしまうと、逆に悪い印象を与えてしまう。だから早々にキャラ付けをして、そのキャラクター性に馴染んでもらうんだ。ほら、よくバラエティ番組とかでお馬鹿キャラとかいるだろう? あれはそう振る舞っているだけで、実際の本人は至って真面目で、むしろ賢い人が多い」


「まるで詐欺師ですね」 


「あながち間違いとは言えないね。役者という仕事は楽しいけど、浸かれば浸かる程、実直さを失ってしまう。鏡を見た時、鏡に映る自分が誰か分からなくなってしまった人もいるらしいよ」


「だから、過去に縋るんですか?」


 唐突に、ミチル君は言葉で俺を刺した。図星というやつだ。最近、昔の記憶をよく思い出せずにいる。つい先日の事すら昔の事だと思っているかもしれない。ハッキリと思い出せるのは、自分が出演した作品とその手応え。


 いつだったか、こんな事を聞かれた気がする。


【子供の頃の一番の思い出はなんですか?】


 俺は答えるのに少し時間が掛かった。考える素振りを見せながら、頭の中で必死に過去の記憶を探していた。そうして見つけたものを口に出した。


『初めて女の子に恋をした時、ですかね?』


 この発言が功を奏して、仕事がいくつか来る事になった。俺は素直に喜べなかった。思い出したのがそれだっただけで、本当に一番の思い出なのかが自分でも分からなかったから。最悪なのは、その初恋相手が沙耶だと自信を持って言えない事だ。沙耶をずっと好きで想っていたのは今もハッキリと憶えられているが、それ以前にも好意を持った相手がいたかもしれない。


「……なぁ、音霧」


「なんでございましょう?」


「今の音霧の自分らしさを教えてくれないか?」


「そうですね~……忠実。ミチル様に不自由を感じさせないように尽くす事。ただそれだけを喜びと義務としております」


「じゃあ昔はどうだ? 昔の音霧の自分らしさは何だった?」


「困りましたね~。今の生活があまりにも充実したもので、前の自分がどんな人物だったのかを上手く思い出せません」  


「そうらしいですよ、桐山さん」


「そう、らしいとは……?」


「人の人生は何十年。その過程には、いくつもの変化がある。周囲の環境に、あるいは誰かの言動によって、人は簡単に変化する。コーヒーを飲もうとしていた人が、ふと目にしたジュースの宣伝に興味を惹かれ、結局買ったのはコーヒーではなくジュース。同級生の女子に好意を寄せていたけど、突然やって来た転校生に恋をしてしまう。これらを巡り合わせや運命と呼ぶ人もいるかもしれませんが、傍から見ればただの上書き。頭の中で都合よく作り替えられた綺麗事。一途という言葉は確かに存在するが、それを体現する者は誰もいない」


「……つまり?」


「僕が思うに、人間誰しも裏切り者なんです。自分も他人も裏切って、面を付け替えていく。一年後、あるいは明日の自分に会えた時、僕はきっと同じ僕だと思わない。でも安心するんです。ああ、僕は確かに前に進んでいるんだ、と。どれだけ落ちぶれようとも、どれだけ来る未来に絶望しても、僕は飲み込ましょう。だって、死ぬのは嫌ですから」


「……それは孤独への道だよ」


「そうかもしれませんね。でも生きている以上、死なない為に生きる。例え何を犠牲にしても」


「どうしてそこまで、生きたいと思えるんだ?」


「生きていると、様々な出会いや出来事がある。それが面白くて堪らない。それをたった十数年の内に失うには、あまりにも勿体ない」


 正直言って、ミチル君が言った事の意味を完全に理解出来たわけじゃない。だから都合よく解釈すると、過去や未来ではなく、今を大事にしろと言ったんだと思う。そう解釈したのは、自分に都合がいいから。


 俺は他人にも優しく出来る人間だと思っていた。自分よりも、他人を気に掛ける人間だと。でもミチル君と会って話してから、本当は自分本位な人間だと気付かされた。


 だからこそ、ハッキリとミチル君に敵対心を燃やせる。ミチル君に沙耶は渡さない。俺が彼女を幸せにしてやるんだ。


「居心地はどうかな? 陽太君」


 風呂場の扉から現れたのは、沙耶のお義父さんだった。おかしな事に、朝に会った時と同じスーツ姿のまま入ってきている。


 俺がお義父さんに挨拶をしようとした矢先、お義父さんの視線が俺からミチル君に移った。俺に向けていた優し気な眼差しとは、どこか違う。


「……君、ここは三日間の間貸し切りだよ。それを無理言って押し通ったそうじゃないか。宿の従業員を困らせるなんて、出来の悪い子だ」


「ッ!? そんな言い方は―――」


「自覚していますよ。僕は出来の悪い子供だ。アナタの娘さんと同じでね」


「……口まで悪いとは……どこまで気に食わない子供だ……!」


「下手だな」


「なんだと?」


「だから僕を殺そうとしたんですか?」


 信じられない発言、とは思えなかった。初めて会った時のお義父さんと、今のお義父さんは別人だ。おそらく、今の彼が本来の彼なんだろう。


 しかし、疑問は生まれる。どうしてお義父さんは、ミチル君を殺そうとしたんだろうか。ただ追い出せば済む話をどうして大事にする必要があったのか。


「……何の事かな? 君と私は初対面だ。初対面の人間を殺すなど、気が狂ってるとしか思えない」


「ハァ……これ以上ボロを出さない為にも、ここから出ていった方がいいですよ。自覚してるか分かりませんが、アナタは僕を殺そうとした犯人を僕に教えているんですよ?」


「ッ!? 馬鹿馬鹿しい! 妄想は妄想のまま、頭の中にしまっていればいい!」


 息を荒くさせながら、お義父さんは出ていった。


 一方で、ミチル君は心底ガッカリしたような表情で空を見上げていた。


「……隠し事が下手な奴は、とことん馬鹿だな」


「どうなさいますかミチル様。私が追って捕まえてきましょうか?」


「人形使いの人形を取った所で意味は無い。泳がせておけば、痺れを切らして向こうから姿を現すだろう。あと、僕よりも沙耶さんと桐山さんの傍についてやってくれ。標的は僕でも、目的は二人だ」


「かしこまりました。桐山様。私がアナタと沙耶様をお守りしますので、どうかご安心を」


「は、はぁ。それは……どうして?」

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