襖の隙間
夕食の時間になり、俺達とミチル君一行の食事が部屋に運ばれてきた。広い部屋の中央に置かれたテーブルに集い、空いた周囲のスペースが物寂しい。今思えば、ここは宴会場なのだろう。
さて、夕食だが、意外な料理ばかりが並べられていた。宿の雰囲気や造りからして、出てくる料理は和食中心の物かと思いきや、回転するテーブルに乗せられた中華料理ばかり。しかも見た事の無い中華料理ばかりで、知っているとすればエビチリくらいだ。
文句ばかりになってしまうが、席順、座っている位置にも不満がある。目当てとも言える沙耶は向かい側の春香さんの隣で、その反対に執事。俺がいるのがその執事とミチル君の間だ。男女で分かれる形になったが、一応は俺と沙耶は婚約状態なわけで、出来れば執事がいる位置に俺が座りたかった。
「回転テーブルは初めて目にする。回転する方向は決められているのか?」
「時計回りでよろしいかと」
「別にどっちでも回るから。食べたい物を手前に来るように回して、取り皿に寄せなさい」
「春香、何を食べたい? 回してあげるよ」
「それじゃあ、その春雨のやつ」
「二つあるが、どっちだ?」
「春雨がメインになってる方よ」
「どっちがメインだ?」
「見れば分かるでしょ? そっちはメインで使われていて、そっちはサブよ」
「箸で料理を指さないで。行儀が悪い」
「はいはい、ごめんなさいね」
ミチル君と春香さんはどういった関係なんだろう。姉弟にしては顔が似ていないし、恋人とも友人とも、ましてや母と子供の関係でもない。それでいて、その全てを兼ね備えているように思える。不思議な関係性だ。
不思議といえば、この執事もそうだ。ごく自然に、意識していなければ気付けない程に、気配りが出来ている。ミチル君が遊び半分で回すテーブルの位置を微調整し、料理が減って偏った部分をならしたりと、執事というより母親のような行いだ。もしや彼は彼ではなく、彼女なのだろうか?
「さて、せっかくの団欒だ。会話を交えて食事をしようじゃないか。しかし、ただ話すだけでは面白みが無い。そこで、この回転テーブルを利用しよう」
そう言って、ミチル君は自分の取り皿に箸を乗せ、それを回転テーブルの空いたスペースに置いた。中華料理が嫌いなのか、ミチル君の取り皿と箸は綺麗なままだった。
「この箸が指した人が話す。話し終えたらテーブルを回す。話す内容は自由。回す力も自由だ」
ミチル君は回転テーブルの端を摘まんで回転させた。緩やかに回るテーブルが止まると、箸が指したのは沙耶だった。
「ミチル君が私に伝えたかった事って何かな?」
初っ端から攻めた事を言い出した。その発言の意図が気になって、食事どころじゃない。ここは是非ともミチル君に答えてもらいたい。
沙耶が回転テーブルを軽く回すが、思ったよりもテーブルは回り、ミチル君を飛ばして俺の方を箸が指した。露骨に嫌な顔をする沙耶に苦し紛れの笑顔を送った。
「えっと……皆さんは役者に興味はありませんか?」
沙耶の発言からは脈絡のない発言だが、正直この事については誰でもいいから聞いておきたかった。ここにいる全員が役者として活躍出来るポテンシャルはあるし、特に春香さんは適任だ。演技の才能は二の次に考えるとして、美人で愛想も良いのは大きな武器だ。こういう人は演技が下手でも、仕事が絶える事は無い。
テーブルを回し、箸が指したのはミチル君だった。彼もまた逸材だ。かなり扱いに困るが、上手くやれば一線級の俳優になれる。というか、彼一人で映画や劇が成り立つ。もちろん脇役や他の主演陣もいてもいいが、彼の色濃さの前では存在感が皆無となるだろう。
「役者は面倒ですけど、カメラの前でカコンする役目はやりたいですね。それじゃあ、そうですね……誰か僕を殺そうとしてますか?」
ミチル君の爆弾発言に、その場にいた全員が口から何かしらを吹いた。全員の視線がミチル君に集中した。ミチル君は首を傾げながら自分のコップを眺めている。
「とんでもない事を急に言うね……」
「あれ? まだテーブル回してないですよ?」
「いや、遊んでる場合じゃないと思うよ? もしそれが本当ならね……え、誰かミチル君を殺そうとしてるんですか!?」
「「「そんなわけない!!!」」」
「ご、ごめんなさい……!」
「いや、別にここにいる人が僕を殺そうとしてるとは思ってないよ」
「じゃあなんで聞いたのよ!?」
「念の為だよ。でも、安心した。これでみんなに話せる。実は、ここに来てからというもの、視線を感じるんだ。何処から、誰からなのかは分からない。でも、その視線に敵意があるのは分かってる。そしてこのコップに淹れられたオレンジジュース。料理が運ばれてくる時、一緒にこれが僕の方に置かれたんだ。最初は酒が飲めない僕への配慮からだと思っていたけど、みんなのコップには何も入っていない空の状態で配られた。それで怪しくなって、さっきから観察してたんだけど……桐山さん、ちょっと見てください」
差し出されたオレンジジュース入りのコップを見てみたが、特に変な所は無い。普通のオレンジジュースだ。
そう思っていた矢先、ミチル君はコップを軽く揺らした。それに伴って中のオレンジジュースも揺れると、揺れる動きに重みがあった。鼻を近付けて匂いを嗅いでみると、オレンジの匂いに隠れて薬品のような刺激臭を感じた。
「……いや、いやいや! まさか、君はこのジュースの中に毒物が仕組まれてると? そんな、ドラマじゃないんだから!」
きっとこれはミチル君なりの場を盛り上げるジョークだと決めつけて、俺は彼に笑ってみせた。ミチル君は不敵な笑みを浮かべると、肉料理にオレンジジュースをかけた。
すると、まるで炭酸のように音を鳴らしながら料理が溶けていき、肉料理だった物から煙が上がった。
「惜しかったね。これがコーヒーだったら、僕は迷わず口にしていたというのに」
嬉しそうな笑みを浮かべながら語るミチル君とは裏腹に、俺達は皆ゾッとした。もしかしたら、自分達にも毒が仕込まれているのではないかと邪推してしまう。ここまで即効性がなくとも、さっきまで食べていた料理のどれかに毒が仕込まれていたかもしれない。
「……これ以上料理を口にするのは止しておきましょう。この宿にある物や、差し出された物には一切手をつけないように。それから詮索するのも駄目。ここの宿に就いている正確な人数と顔を把握出来ていない今、下手に聞いて回ると、ミチルに直接的に危害を加えようとするかもしれない」
「警察にでも通報するか?」
「もう手遅れよ。今も襖の裏で聞き耳を立てているかもしれないし、犯人が複数人いる可能性だってある。口封じに私達全員が殺されるかもしれない」
「じゃあ適当な理由で宿を出てみるか?」
「今日はもう遅いから無理ね。でも、明日にでも出ましょう。それまで、周囲の警戒は怠らず。特にミチルはね。アナタが狙いなようだし」
「フフ。面白くなってきたじゃないか」
「冗談でもそんな事言わないの」
こういった状況に慣れているのか、ミチル君と春香さんは淀みのない会話を繰り広げた。執事に至っては、先程までの優し気な表情から打って変わり、鋭い眼光をして周囲の気配を探っていた。
そんな三人と比べ、俺と沙耶は今起きている状況を完全に把握出来ず、困惑するばかりであった。
「とにかく、何事も無かったかのように振る舞って。そのジュースに関しては、誤って零したとでも言えばいいでしょう。もし従業員の誰かに不自然さを感じたら、私に伝えて」
春香さんの言葉に、ミチル君を除いた全員が頷いた。命を狙われたというのに、ミチル君は他人事のように、溶けた料理の残骸を笑顔で眺めていた。
ふと、この部屋を取り囲む襖を見渡してみると、一箇所だけ襖がほんの少しだけ開いていた。ただ単純に閉め忘れただけかもしれないが、その僅かな隙間が、俺の背筋を凍り付かせた。