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罪と罰

 ミチルが帰ってきた。色々と聞きたい事があったが、ミチルの帰還に涙を流しながら喜ぶ音霧の前では、聞くに聞けなかった。


 そうして夜になり、私達は久しぶりに三人で食卓を囲んだ。今日の晩ご飯はいつも以上に力が入っており、ステーキをメインとしたお祝い料理が並べられている。一口食べてみると、見た目から想像した味以上の美味しさで、思わず笑みが零れてしまった。


「やっぱり音霧が作る料理は美味しいよ。今の今まで、食事と呼べる物を口にしてなかったら、余計にそう思う」


「足りないようでしたら別の物を作ります。どんな料理でも構いませんよ」


「いや、この料理を味わおう。量を食べて腹を膨らませるより、音霧の気持ちで腹を満たしたい」


「料理人冥利に尽きます」  


「それで、春香は何を言いたいんだい? 僕が帰ってきてから、言葉を詰まらせていただろ」


「……どうしてあんな事をしたの?」


「春香様。もうその件については―――」


「いや、いいんだ。ここまで頭を悩ませたんだ。その苦労に応えず水に流すなど、あんまりじゃないか。春香。君の質問に答えよう。しかし今は食事中だ。荒事は無しで、穏やかに談笑しよう」


 ミチルは小さく切ったステーキの一切れを口に運び、目を閉じて味わった後、水を飲んだ。もう一口食べるのかと思いきや、ナイフとフォークを食器の端に置いて、私を真っ直ぐ見つめてきた。


 私は緊張していた。目の前にいる人物は、幼少期から知っている幼馴染の男の子。それなのに、今の彼が掴めない。まるで別の誰かがミチルに憑依しているかのように、明らかな変化が起きている。


 しかし、探していた事件の真相がようやく分かる。緊張ごときで逃げてしまえば、今回の事件が悩みとなって一生苦しめられるだろう。私は水をほんの少し多く飲み、口の中の脂を薄めた。


「……まず最初に、今回の事件はアナタが計画していたで合ってるかしら?」


「計画、とは違うかな。唐突な思いつきの方が正しい。それがたまたま全て上手くいっただけだ」


「どうしてあんな事件を起こしたの? アナタを含めた三人が重傷を負ったのよ? 特に沙耶さんは、顔に大きな火傷の痕が出来てしまった。一生残る傷痕よ」


「であるならば、それは良い事だ」


「良い事な訳ないでしょ。沙耶さんはこれから一生他人の目を気にして生きていく事になるのよ?」


「僕は気にしない」


「アナタが良くても、アナタ以外の人間が気になってしまう」


「人が傷痕を見てまず思うのは、称賛や憐れみではない。醜さだ。どれだけ名誉ある傷だとしても、傷のある人間と傷の無い人間では差異が生まれる。牙を抜かれたライオンが群れから嫌悪されるように、人間もまた傷のある人間を嫌悪する」


「なんて事を言うの……」


「しかし、ごく稀に内面を重視する物好きが人間には存在する。外見の美しさではなく、内面に秘められた想いに心惹かれる者が。僕は沙耶さんに惹かれている。暗く、重く、どうしようもない無力な彼女を僕は愛している」


 そう言うと、ミチルは再びナイフとフォークを持ち、ステーキを口にした。今すぐにでも叩いてやりたかったけど、肝心の真相をまだ掴めていない今、下手に癇癪を起こすのは自滅の一手。湧き立つ怒りにナイフとフォークを握る手に力が入り、ステーキを切る時に食器の音を鳴らしてしまった。


 落ち着け春香。このままミチルを優位に立たせたまま、彼が何の改心もせずに終わってしまうのは望むところではないだろう。冷静に会話を続け、落ち着いて痛い所を突け。


 互いに水を飲み、再び質問のタイミングがやってきた。


「アナタはあの事件で何を知りたかったの? 青葉を利用して沙耶さんを傷付けてまで知りたい知見の正体は?」


「恋だよ」


「……恋?」


「恋は胸を高鳴らせ、目に見える物全てが華やかになると思っていた。でも、ある日分からなくなったんだ。学校の生徒が振られると分かっていて告白し、相手が振られると悟っている事を知っていて振った。元の友人関係に戻る為に、恋を蔑ろにしたんだ。友人は素晴らしいものだけど、恋を捨ててまで優先すべきものなのか? 僕はそれが知りたくて、友人と恋が同席するあの場を設けたんだ」


「それでアナタは、恋を選んだ……でも、やっぱりおかしい。それを確かめるだけなら、わざわざ危険な状況にしなくても確かめられたはず」


「人は追い詰められた状況にこそ、隠していた本音が露わになる。僕は自分が把握しているよりも嘘をつく。だから確実に本音を知る為に、あえて危険を持ち込んだ。誤算だったのは、青葉さんの危険性が想像以上のものだった。だからこそ、僕は青葉さんにも興味を抱いていたんだろうね」


「……罪悪感は? 人を傷付けてしまった罪の意識はアナタにあるの?」


「ああ。沙耶さんと再会する時、僕はきっと泣いて謝るだろう。そして今回の一件を猛省するだろう」


「今はどうなのよ……!」


「食事と同じだよ。今美味しく頂いているこのステーキも、元は生きた牛。それが殺されて肉にされる場面を見れば、ほとんどの人はショックを受け、中には二度と肉類を口にしない人もいるだろう。どんな人間であれ、実際に目にしなければ、罪悪感は憶測に過ぎない。どんな物事にも意味があり、その意味を知った時、初めて人は本当の気付きを得る」


 ミチルは再びナイフとフォークを手に持つと、一口サイズに切ったステーキを口にした。おそらくミチルが思っているのは、食材となった牛への感謝ではなく、美味しい料理に仕上げた音霧に対する感謝だろう。


 釈然としないが、事件の真相は掴めた。ミチルは恋と友情を天秤に掛け、どちらが大事かを確かめる為に青葉に事件を起こさせた。しかし、ミチルの想像以上に青葉は危険で、大事に発展してしまった。青葉は正当防衛を成立させる為に自分も刺されたと言っていたけど、これまでのミチルの言葉から察するに、彼なりに責任を感じて自分自身で罰を下したのだろう。


 事件の真相は分かった。ミチルも今は罪の意識を感じていないけど、沙耶さんに会えば感じると言った。出来る事なら、そこで自身の倫理観を見直してほしい。


 食事を終え、水を飲み干した直前に、一つの謎を思い出した。


「……どうして青葉は、アナタを殺さなかったの?」 


「彼女の面会に行った?」


「え、ええ」


「そっか……ごちそうさま。本当に美味しかったよ。改めて、毎日音霧の料理を食べられていた自分の幸福さに気付かされた」


「私も、ミチル様が私にとってどういう方なのか、よく理解しました。ささ、食器の片付けは私に任せて、今夜はもうお休みになってください」


「ちょっと待って! まだミチルから答えを聞いていない!」


「明日にでも沙耶さんのお見舞いに行くよ。バスで行くから、車の送迎はいらない。それじゃあ二人共、おやすみなさい」


 ミチルは逃げるようにして、リビングから出ていこうとした。私は席を立ち、ミチルの左手首を掴んで引き留めた。


 そうして気付いた。ミチルの左手の指が、薬指が無くなっている事に。


「沙耶さんが傷を負い、醜いと蔑まれるのなら、僕もまた蔑まれよう」


 私はミチルの手首を掴んでいた手を無意識に離してしまい、後ろに下がって距離をとってしまった。何かを言いたかったが、何を言うべきかが思いつかず、喉に言葉が詰まるだけ。そうしている間に、ミチルはリビングから出ていった。


 私は、偽善者だった。

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