風邪の治し方
あの後、ミチルが家まで送ってくれた。道中で会話は無かったけど、ずっと手を繋いでくれた。私の手を握るミチルの力が痛いと思う程に強く、自分が大切にされてると感じて、真剣なミチルとは裏腹に、私は浮かれていた。
「着きましたね」
「そうだね……」
「……そういえば、沙耶さんと連絡先を交換していませんでしたね? 交換しておきましょう。電話が出来れば緊急を要する時に駆けつけられますから」
「それって、あの子が私を襲うかもって事?」
「まぁ、可能性としてはあり得ます。といっても、僕と彼女の問題なので、襲われるなら僕の方でしょう。でも、一応用心はしておいてください」
「私達が連絡を取り合うよりも、警察に通報した方が良いと思う。あの子は、普通じゃないよ」
「実害が無いので、通報するだけ無駄ですよ。それに、連絡先を交換するのは、あくまでも今後のやり取りの為です。電話出来た方が、予定を合わせやすいでしょ」
ミチルがポケットから携帯を取り出したのを見て、私も慌てて携帯を取り出した。さっき怖い事があったにも関わらず、ミチルの連絡先を手に入れた事の嬉しさが上回ってしまい、思わずニヤけてしまった。
それを見たからかは分からないけど、ミチルは私の頬に触れ、親指で顔を撫でた。
「今日は本当にすみません。まさか、こんなに早いとは思わなかったんです」
「別に、ミチル君の所為じゃないでしょ? あれはたまたまなんだから」
「……そうですね」
ミチルが酷く悲し気な表情を浮かべている。こういう時、大人が子供にしてやれる事は慰めだろう。でも、こういう時に掛ける言葉が見つからない。慰めた経験も無ければ、慰めの言葉を貰った記憶も無い。
改めて実感した。私の人生は、ずっと独りだった。自分をアピールする術を知らず、その所為で周囲の人からは相手にされなかった。家族も友人も、浅い付き合いの知り合いさえいなかった。
でも、ミチルと出逢ってからは変わった。春香さんと知り合って、ミチルという好きな人が出来た。人間関係だけでなく、喜びや悲しみ、愛しさ切なさといった感情まで。そう思うと、私はミチルから色々と貰い過ぎている。
だからか、私はつい口に出してしまった。
「ミチル君。ミチル君は、私と出会ってから何か変わった?」
荒唐無稽な言葉。口に出した自分自身でもそう思った。
「変化はありません。ですが、今までの知見以上のものを得られる気がします」
そう言うと、ミチルは私に笑顔を見せてから帰っていった。私も私だけど、あの子も中々だ。変な言動に関しては、やっぱりミチルの方が得意みたい。
ミチルの姿が見えなくなるまで見送った後、再び携帯の連絡先の欄を見た。そこには、ミチルの連絡先だけがある。今すぐ掛けたい気持ちを抑え、記念にスクリーンショットで写真フォルダのお気に入りに設定した。
「今日の夜、電話してみよっかな」
そんな事を呟きながら、私は家の扉を開けて中に入った。
誰もいないカフェ。
明かりが点いていないから、開けた扉から差し込む陽の光が暗い床を照らす。
その床の光には、色濃い影が出来ていた。
私の影。
私の後ろにいる誰かの影。
「……え」
私が動く前に、背後にいた誰かが私の口を塞ぎながら押し入った。扉を足で蹴ったような乱暴な音が鳴ると、暗闇の中、息苦しくなった。まるで暗い海の中で溺れているような錯覚を覚え、自分が首を絞められていると分かった頃には、私の意識は暗闇に溶け込む寸前だった。
目を覚ますと、私は椅子に座っていた。立ち上がろうとするが、手足をキツく縛られている。そこに気が付くと、次は自分が裸になっている事に気付いた。
半ばパニックになりながら、周囲を確認すると、ここがカフェの裏にあるキッチンだと分かった。別の場所に運び出されたわけではなさそうだ。
しかし、状況は何も変わらない。私を襲った犯人はここにはいないが、まだ家にいる可能性が高い。服を剥ぎ取られてる事を考えるに、犯人は強姦魔だろうか。だとしたら、どうして椅子に縛り付ける必要があるのだろう。
それに、私の首を絞めたあの腕。男性の腕にしては、やけに細かった。
「あ、目が覚めたんだ」
女性の声がした。顔を上げると、橋で目にした青葉さんが目の前に立っていた。手に救急箱を持っているが、それをテーブルの上で開けた時に見えた中身は、治療とは関係が無さそうな物ばかりだった。
「なんで、どうしてこんな事を……!」
「アンタがアイツの特別だから。子供ってさ、まぁアンタは大人だけど、お気に入りの物を取られたり壊されたりすると泣いちゃうよね。ゴミとか、砂で作った歪な城とかでもすぐ泣くんだ。泣いた子を憐れんだ他の子や先生が親切にするとね、泣いていた子は親切にしてくれた人に依存するようになる。さっきまで自分が弄んでたお気に入りの物のような扱いをされてね」
冷静に、平常心で、何の迷いも無く青葉さんは救急箱の中から物を取り出していく。その中からガムテープを取り出し、手の平の長さで切り取った。
「私さ、嬉しかったんだよね。他人が積極的に私と関わろうとするのが。それが大嫌いな男っていう生き物でも、何度も傍に近付かれたら、好きになっちゃった……でも、結局アイツも私を特別扱いしてくれなかった。物珍しさだけで近付いてきただけ。飽きたら私の傍には二度と近付かない。素敵な恋も叶わないのなら痛いだけ。私は痛いの。凄く、凄く。だからこの痛みをアイツにうつすの。風邪を早く治すには、他人にうつすのが一番だって言うでしょ?」
「なに……言ってる、の……?」
「血だらけになったアンタを見たら、アイツはどんな顔をするかな?」
「やめ―――」
彼女は私の口にガムテープを叩きつけると、手に隠し持っていた画鋲で私の右胸を突き刺した。痛みと恐怖で叫んでしまったが、悪魔のような彼女の高笑いが私の叫びを掻き消していった。
「アッハハハハ!!! まずは小さな痛みからね! これからどんどん痛みを上げていくから! 思う存分泣き叫んで、楽しんでちょうだい!!!」