ピュア
爆発した。ミチルの言葉が、あの表情が、私を苛立たせる。あの男の事だ。既に私自身も自覚出来ていない想いの奥まで見透かしているだろう。その上で、私を挑発してみせたんだ。
「あの絵の女……! 私の物を奪い取るなんて……!」
足りない。どれだけ物を壊しても、どれだけ叫んでも、怒りが収まらない。湧き上がる怒りが全身を熱くさせ、私の体を突き動かす。このまま怒りに身を奪われたままでは、取り返しのつかない行動を起こしてしまいそうだ。
歯を喰いしばりながら洗面台まで行き、全開にした蛇口から流れる水で頭を濡らした。水の轟音が頭の奥まで響き渡り、詰まっていた思考が徐々に軽くなっていく。
なんとか冷静さを取り戻し、蛇口を捻って水を止めた。部屋に戻ると、物という物が散乱していた。
突然、チャイムが鳴った。誰かが訪ねて来たようだ。玄関に向かう途中にあるキッチンから包丁を手に取り、背中に隠しながら扉を開けた。
チェーンロックで半端に開いた扉の隙間から見えたのは、見知らぬ男だった。
「あの、隣の者ですが、物音が凄くしてたので。大丈夫、ですか……?」
「音? 音って?」
「壊れたり、倒れたりするような……」
「……あー、音ね。アハハ、ちょっとドジっちゃって。色々倒れちゃったの」
「怪我は?」
「いいえ。ごめんなさいね、こんな夜中に」
「いえ。ただ心配になったので」
「ありがと……警察に連絡した?」
「えっと、まだです。先に確認しようかと―――」
「そっか。ふーん……ねぇ、もし良かったら、少し手伝ってくれない? 私一人だと、ちょっとキツいの。お礼はするから」
「良いですよ」
「ありがと……優しいのね、アナタ」
チェーンロックを解き、隣人を家に招き入れた。男はソワソワとした落ち着かない様子で廊下を進んでいき、その背中を眺めながら、私は玄関の扉の鍵を閉めた。
「これは……アハハ……ちょっとどころのドジではなさそう、ですね……」
「アナタ、恋人は?」
「え?」
「振り向かないで。恋人はいるの?」
「……いません」
「そう。優しいのに」
「アハハ、優しいだけですよ」
「仔羊みたい」
「え?」
彼は凄く大人しかった。私がする事全てを受け入れ、反抗の意思をまるで感じなかった。細身だけど筋肉もあって、中の様子から察するに、煙草や酒は一切口にしていなかったみたい。臭みも無く、癖も無い。
先に夕食の準備を済ませ、シャワーで汚れを落とし、テーブルの席についた。テーブルには三品の料理を並べてある。ステーキ・ソーセージ・ゼリー。
「いただきます」
ナイフとフォークを扱い、まずはステーキから口にした。少し硬めに作ってみたが、それでもナイフがスッと入る程に柔らかく、あっさりとしていて美味しい。
ソーセージには少し手間を加えてみた。色んな臓を混ぜ合わせ、それを毛抜きした皮で包んで焼いてみた。ソーセージというよりかは、ベーコン巻きのような料理になってしまったけど、不思議な食感で食べてて楽しかった。
最後に残ったゼリー。これが一番の楽しみ。杏仁豆腐に埋まった目玉をスプーンですくい出し、キラキラと光る目玉を眺めた後、口の中に入れて舌で転がした。頬の裏側に舌で押し込んだり、潰れないように歯で挟んだりした後、ゆっくりと嚙み潰した。
グジュ。
プチプチ。
クチャクチャ。
湯気が立つ白湯を飲んで、夕食を終えた。達成感と解放感に体が軽くなり、椅子の背もたれに身を預け、天井を見上げた。久しぶりに食べた自炊料理は格別だ。特に今日のストレスが溜まった体には、熱い湯のように染み渡る。
「……また、別の場所に行かないと」
今までよりも早い段階で、ここから去る事になってしまった。いつものように処理をして、いつものように別の問題を起こしておかないと。
私がストレス発散の為にしてる事は、世間一般では犯罪だ。上手く隠し通せているのか、あるいは野放しにされてるのか。いずれにせよ、こんな事はいつかバレる。
でも、その前に。やっておかないといけない事がある。牙が抜けたライオンは大人しくなる。翼に傷を負った鳥は飛べない。人は大切な物を失えば、死人になる。
「ミチル……従順で可愛い、私の子供……」
私は女が好き。ミチルが男なのが残念だけど、彼が感じさせてくる感情の多くを考えれば、性別など些細な問題だ。傷付けて、愛して、一緒に死にたい。
その為にも、彼の一番大切な物を壊さないと。
彼の目の前で。