双子の雲
今日はみんな何故だかザワついている。適当な人に聞いてみると、このクラスに転校生がやってくるとの事。どんな人かはもちろんの事、性別さえも不明らしい。土日の間に決まったから、転校生の詳細を知っているのは先生方を含めても片手で数える程度。
しばらくすると、担任の先生がやってきた。みんな先生に言われる前に席に着き、これから紹介されるであろう転校生を待ちわびていた。
そんなみんなの期待を裏切るかのように、ホームルームは淡々と進み、すぐに一限目の授業が始まった。授業中、さっきとは別の意味のザワめきが周囲から聞こえ、先生は注意するでもなく黒板にチョークを走らせていた。
昼休みになり、沢山の生徒で賑わっている購買を通り過ぎ、販売機から缶コーヒーを買って屋上へ向かった。
屋上に出ると、いつもは誰もいないそこに、一人の見知らぬ女生徒が立っていた。彼女は空を見上げながら、カメラの代わりに手を構え、青空に浮かぶ一人ぼっちの雲を捉えていた。
僕は気付かれぬように彼女の横を通り過ぎ、振り向きざまに缶コーヒーをわざとらしく音を立てて開けた。
「……なに、アンタ」
「別に」
肩につくかどうかの短髪。目付きは氷の女王のようだが、その瞳は少し紫がかった綺麗な色。体質か食が細いのか、首や袖から見える手首の細さが気になる。背は僕よりではないが、およそ百七十で長身だ。
「君が転校生?」
「だったら何?」
「みんなガッカリしてたよ。転校生が来るなんて滅多に起こる事じゃない。そんな一大イベントを不意にされたんだ。ガッカリもするさ」
「そんなの私には関係ない。勝手に盛り上がって、勝手に盛り下がってるだけ。嫌いなのよ、そういう無意味な期待は」
「無意味って?」
「ここまで話してて分からない? 私は最悪な女なの。性格も悪ければ愛想も悪い。そんな人間、誰が好き好むのよ」
「一理あるね。君のような捻くれた人は珍しい。一部のマニアにしか刺さらないんじゃないか?」
「……アンタも、相当性格が悪いね」
「その方が、君と仲良くなれると思ったからね」
「私なんかと仲良くなって、一体何になるの?」
彼女は一笑すると、フェンスに背を預けて俯いた。僕は少し距離を開けて彼女の隣に立ち、屋上から見える街の景色を眺めた。
「僕はミチル」
「……青葉。佐伯青葉」
「どっちで呼んだ方がいい? 名字か、名前か」
「どっちでも。ただの気紛れだから。明日から私とアンタは他の連中同様、他人よ」
「なら今の内に聞いておきたい事を聞かなくちゃ。さっきはどうして空を捉えていたの?」
「意味なんて無い」
「そんな訳ないだろ。意味のない事なんて、この世に一つとして存在しない。君がした事だって、君自身が理解出来ないだけで、ちゃんとした意味があるはずだよ」
「……無意味な物は、あるよ」
「それは何?」
「私よ」
突風が僕らを通り過ぎていった。風に吹かれた髪で青葉の表情は隠され、彼女がどんな感情で告げたのかは分からなかった。
ただ、声色が酷く無機質じみていた。諦め、というよりは、当然。自分が無意味な存在である事を信じて疑っていない。
僕は自分の瞳に色がついたのを感じた。今、目の前にいる青葉という女性に対し、生きながら死んでいる彼女に、好奇心を抱かずにはいられなかった。
「……どうしても、友達になれないのかい?」
「友達なんかいらない。特にアンタのような性格の悪い男なんか」
「じゃあ知り合いは? たまに顔を合わせ、たまに会話をして、終わったら他人に戻る。仲が良い訳でも悪い訳でもない、気紛れの関係」
「どうしてそこまで私と関係を持ちたいの?」
「知見を得られると確信したからだ。君は俗に言う変人の部類に入る人間だ。そんな人を避けていくなど、勿体ないだろう?」
「……ハァ……変わった人」
「君ほどじゃないよ」
「おまけに性格が悪い」
青葉がフェンスから離れた瞬間、僕の手から缶コーヒーを奪い取られた。
「缶コーヒー一杯分は付き合ってあげる。それでも足りなければ、別の献上品を用意しておきなさい」
青葉は缶コーヒーを一口飲むと、一瞬だけ表情を歪めた。もう一口飲むのかと思ったら、缶コーヒーを投げてきた。制服がコーヒーで汚れ、足元には黒い水溜まりが出来ていた。
再び青葉の方へ視線を向ける頃には、彼女は屋上から去っていた。僕は制服の上を脱ぎ、空になった缶を拾った。拾う時、黒い水溜まりに反射した雲の存在に気付き、空を見上げた。
空にはさっきまで一人ぼっちだった雲が半分に千切れ、双子の雲が浮かんでいた。