第2話
私は、実家のベッドで目を覚ました。私の身体は、五歳の時に戻っていた。過去に戻っていた。彼にまた会えることが嬉しかった。しかし、それは、彼の対応が決して変わらないということでもあった。彼を変えるような何かを、私は起こさなくてはならない。騎士としての私を彼に見せれば気に入ってもらえるのではないかと思ったが、付け焼き刃の剣術では鼻で笑われてしまう。
「この時の私はまだ、神子だと気付かれていない。なら、騎士として歩めるはずだ。」
私はすぐに両親へ、後宮専属騎士になると宣言した。後宮騎士であれば、当時王宮騎士の副団長をしていた彼と会えると思った。彼らは目を合わせた後、それを了承した。騎士の訓練は、簡単だった。教えてくれる人がいて、大手を振るって練習できる場所がある。私は実力を付けた。
私の実力を聞いた彼が屋敷に来た。直々のスカウトだった。目の前には妻を亡くした彼がいた。表情は暗く、目の下には隈があった。彼は妻を愛していたのだろうか。そうか、そうだったのか。だから私は、相手にされなかったのか。
両親はそんなことはつゆ知らず、彼に私を宣伝した。剣術の稽古をつけてやってほしいとまで言った。
「私は、騎士になったその時に見ていただければと思います。今の未熟な腕前では、エルピン卿を困らせるのではありませんか。」
「…いや、できれば貴方の剣を見せてください。稽古場へ案内していただけますか。」
私は彼を案内した。十歳の子供が使う言葉ではなかったが、変に隠す方が違和感がある。これで良いだろう。
稽古場で剣を持てば、彼は感嘆の声を上げた。私は兄上達が使う剣を持っていた。立ち方なら、彼から教わった。この感覚を忘れない為にずっと練習してきた。
「貴方はきっと、素敵な騎士になるでしょう。私と手合わせをしてみませんか。その方が貴方のことも、私のことも分かるでしょう。」
ああ、前に聞きたかった。でも彼は、もう私と結婚することもない。愛している。今も変わらない。剣を交えて分かる。彼は、優しく、強く、私が思っていたよりも繊細な人だ。私が強く踏み込めば嬉しそうに受けてくれる。子供も好きだったのか。今の方が前よりも彼を理解できる。
この手合わせがずっと続けば、そう思う程の、実りのあるものだった。私は自分の弱点を知り、それをカバーする程の強みを教えてもらえた。それだけでも幸せだった。彼は少し話をしてくれた。
「私は、きっと。平凡な家の騎士が向いているのでしょうね。剣を磨きながら、仲間と話している方が性に合う。」
「…エルピン卿は、騎士としても軍師としても秀でていらっしゃいます。それは若輩者の私でも分かる程でございます。現実的なこと言うのであれば、家柄と地位があるゆえ、誰も貴方に手を出すことはない。しかし、平凡な生まれでは、利用しようともっと多くの者が現れたと思います。それだけならまだしも、剣を握ることすらなかったかもしれません。」
「そう、そうです。私は恵まれた家に生まれ、剣を手にした。庶民の生まれであれば、戦争でも起こらなければ、傭兵にならなければ、剣を振るうことはないでしょう。本当に恵まれて、いるのです。」
「…恵まれていても、その人の傷に、想いに、優劣を付けることはできません。本人であっても、その傷と想いを矮小化してはいけません。あるがままを見なくては。」
「 そう…私は自分の傷を見て見ぬふりをしていた。それが、この結果なのでしょう。息子どう接すればよいのか、それも分からない。私は、騎士として一定の評価をいただいていますが、父親としては目も当てられない。」
彼は、息子との距離をずっと悩んでいたのだろう。妻であり、息子の母親であった人を亡くし、途方に暮れていたのだ。共に支え合い、これからという時に亡くしてしまった。こんな子供に溢してしまうほど、彼は不安定になっているのだ。私は彼の手を握った。
「先ずは、ご子息の話を聞いてみるのはどうでしょうか。そして、自身のお話をされれば、いずれ会話が弾むはずです。子というものは、どうしても無条件に親を愛しているものです。エルピン卿の温かい言葉とお人柄であれば、きっと上手くいくはず……失礼いたしました。年端もいかない子供に言われるのは不愉快でしょう。どうか、広い御心でお許しください。」
「いや、構いません。私がくだらないことを言ったものですから。ありがとう、エドナ殿。またお会いしましょう。試験で待っています。」
彼は少し目を輝かせた。希望を見出せたのだろうか。それなら良い。妻を亡くしても、強く生きてほしい。私はその次の日、神子であると神殿に知られてしまった。
私はまた、神殿に閉じ込められてしまった。今度はさらに、自室に鍵をかけられて厳重に管理され、剣を持つなどとても許されない。私は自室と祈りの間を行き来するだけになってしまった。それでも、自室で筋力を上げるために訓練を行った。体力が落ちないように縄跳びをした。全ては剣とアルフレドのためだった。私の執念とも言える想いがそうさせた。
そんな中、また戦争が起こる。私は神子として、戦場の兵士や騎士の手当てを行った。前線の病院にて、一人一人と顔を合わした。祈りで痛みを鎮め、魔法で洗浄する。皆が病気にならぬように、院内を清潔に保ち、患者に明るい言葉をかける。これだけで沢山の命が助かった。
そこに患者がまた舞い込む。それは、アルフレドだった。前にはこんなこと、なかった。私は彼に近寄った。酷い傷だった。杜撰な治療を受け、傷口が化膿している。そこから熱が出てしまったのだろう。すぐさま祈り、洗浄魔法をかける。化膿した部分は医者に診てもらう。医者が来るまで必死に声をかけた。
「もう傷は洗浄しましたから、きっと治りますよ!お気を確かに!息子さんが待っていますよ!」
同じ言葉でも良い、諦めないように何度も声をかけた。医者が間に合い、彼の傷を治療した。
その間にも私は他の患者の傷を診る。簡単な傷は私の手当でもなんとかなる。手早く消毒してガーゼをあて、包帯を巻く。酷い臭いがする患者の身体を温かいタオルで拭うのも私の仕事だった。彼だけに構うことはできない。私は、毎日を忙しく過ごしていた。その間、彼が回復したと聞いた。彼が私に会いたいらしく、神官から呼ばれ、私は部屋へ早足に向かった。
神子として彼に会うのは初めてだった。彼は、深く頭を下げて礼を言う。私は慌てて、これが仕事なのだと伝えた。
「騎士には成れず仕舞いでしたが、鍛錬は続けております。あの日、見ていただいた剣は、この院内で役立てています。時折、暴れる患者を抑えなくてはいけないので。」
「それは、良かったと言ってよいものか……私の傷を診てくださったと、聞いています。貴方のおかげで、息子にも会えそうです。」
「ええ、元気な姿でお会いしましょう。怪我をしたことなど嘘だったかのように。」
「……貴方は、命の恩人だ。本当に、本当にありがとうございます。」
彼はまた頭を下げ、瞳を揺らした。私は、朝日を浴びた者のように、眩しい気持ちで見つめた。静かで穏やかな空気である筈なのに、何処か張り詰めた空気なのは、私が彼を好きだからなのか。彼が口を開こうとした瞬間、神官が私を呼びに来た。何を言おうとしていたのか少し気になるが、今は患者がいるのだから、そちらを優先しなくてはならない。私は彼に失敬と言い、患者の下へ向かった。
それから話す機会はなく、彼の活躍によって戦争が終わった。
前とは違い、彼と出会い、話して、剣を交えた。幸福を与えられるとよりほしくなる。しかし、これ以上の幸運はきっと訪れない。神殿で静かに彼へ祝福があるように祈った。この国の飛躍など、些末なことも祈っていた。
そして、外の神子が現れた。以前と違うのは、私が開放されないことだった。前は用無しだとすぐに追い出された筈なのに、妙に出し惜しみをしている。これには何かあると、私は神官に話しかけた。
「私は神殿から追い出されるのでしょう?外の神子が現れたのだから、私はもう用無し。捨てられる筈です。」
「そんなこと!貴方様のおかげで助かった命と国が、そんな非常識なことはいたしません。」
「それじゃあ、望まれない方との結婚でしょうか。後妻になるのが精一杯ですね。なんせ、行き遅れですから。」
「……私が聞いた話では、何方かが貴方様を養子に迎えるつもりだとお聞きしました。しかし、難航しているそうで…国王陛下と教皇は、それを許可せず、揉めているらしいのです。」
「そうですか……」
前と違う展開。それならば、養子にと望んだのは誰だろうか。私の知らない人かもしれない。もしくは、彼か。彼ならば、私が誰かの後妻になるくらいならと、助けようとしてくれるかもしれない。どのみち、私は沙汰を待つしか方法はないのだ。