第九話 出会い、別れ、旅立ちの日。
「――俺がやったことは、全部覚えている」
夕方。橙色が透ける、薄いカーテンの締め切られた病室に、私とエル様は今回の事件について、情報を得るためにここに来ていた。
ちなみに、今の私は服を着ている。いつもの制服である。
身体の節々が包帯に巻かれた赤髪の青年――バーン・バーンロックは、ベッドで半身を起こして、苦しげにそう口にした。
「なんというか……だな。別の自分が身体を動かしていて、それを眺めるしかできなかった……ようなものだ」
エル様に焦がされた、『火』の紋章のあった右手の甲。巻かれた包帯越しに、彼はそれを撫でた。
「自分で、自分を動かせるようになったのは――別の自分が居なくなったのは、最後、気絶させられた時だった」
「……その。色々と、申し訳ありません。他に方法があれば、あんな野蛮な方法は……」
「いや、いいんだ。たぶん、力ずくで止めるしかなかっただろうし……それで、なんだが。ここで目覚めた瞬間、『洗脳』が解けていることに気が付いたんだ。それがなんでかは、俺には分かってない。教えてくれるか?」
首を傾げた彼の質問に、エル様が応じる。
「ああ。他の子たちの証言から考えるに、『洗脳』が解ける切っ掛けは、私は『身体が生命の危機を経験すること』だと推測している」
気絶することが引き金なら、寝たら解けるはずだし。一斉に『洗脳』が解けたわけでもないから、術者の意思でもないだろう――と、エル様は付け加えた。
エル様は「まあ、強引な方法なんだけど……」と前置きして、「私が捕まえた段階で、まだ『洗脳』が解けてない連中は、身動きの取れない状態にして、空から落として、地面にぶつかる寸前で『風』で止める――これでなんとかなったから、少なくとも『生命の危機』が一因にあるのは間違いないだろう」と語った。
「な、成程な……」
「ありがとう。他に何か、伝えられることはある? なんでもいいから、情報が欲しいんだ」
そう聞いたエル様に、バーン・バーンロックは「……いや、もう言えることはなさそうなんだが……一つだけ、質問してもいいか?」と、赤い瞳を真っ直ぐ私に向けた。
「私に、ですの? 構いませんわよ」
そう言うと、彼は私の方を向き直って、小さく咳払いをして口を開いた。
「君の名前を、教えてくれ。それだけだ」
「……そう言えば、言っていませんでしたわね」
名前、名前か――確かに、彼には名乗っていなかった。
もう会うことはないだろうが、名を教えないメリットも薄いだろう。
「私の名前は聖麗院 歩由美。歩由美と呼んでください」
「ありがとう。俺はバーン・バーンロック――本当に、歩由美たちには色々と迷惑をかけてしまった。この恩はいつか返す。だから、それまで待っていてくれ」
義理堅い人だな。そう思いながら、私は「ええ、待っていますわ」と微笑んだ。
▽▲▽▲▽
結局、出発の日は延期となった。
予定されていた見送りに関しては、センリィ様はスケジュールの都合で来れず、エル様も事件の後始末に奔走しているらしく、残念ながら取り止めることになった。
今朝方、「言いたいことはもう全部言ったから、大丈夫でしょ。歩由美、撫々花。長い旅になるだろうけど、頑張ってきてね」と書かれた短い手紙が届けられた。
(少しだけ心細いけど、私なら大丈夫だ。撫々花のために、私がしっかりしなくては――)
そんなことを考えながら、幾らかの荷物を背負いつつ、撫々花と二人で王城から歩いていた。
「撫々花。旅の間、困ったことがあったらいつでもなんでも言ってくださいね?」
そう心配になって言うと、撫々花は「はい、よろしくお願いします!」と微笑んだ。
「色々、不安なこともあります。特に戦闘は……でも、私、ちょっとだけワクワクしてます」
「きっと、大変なこともいっぱいあると思いますけど、お姉様との『旅』なんて初めてですから!」と、私に振り向いた。
そうだ。『神獣祭』までの道のりを手助けしてくれる人が居るのだった。
昨日も別の場所で待機していたそうだが、顔を合わせるタイミングが無かったため、これが初対面になる。
「お姉様。もしかして、あの人が……?」
城門の前――やや小型サイズの竜車の横に、灰色の長髪の女性が立っているのが分かった。
「あ!」
伸び放題の灰色の髪を、太い茶色のゴムでひとまとめにした、黒いゴーグルを付けている長身の女性が地竜車の前に立って、こちらに手を振っていた。
その肌は全体的に日焼けしていて、その髪は整えられた様子はなく、どこか野生的な印象が感じられる。
「ああ、ええと……はじめまして、ます!」
たどたどしく、しかし力強く、彼女は言った。
「ちがう、だった。ますじゃなくて、はじめまして、です! ……あってる、ですか?」
言い間違え(?)を慌てて訂正して、得意げそうにしたのも束の間、不安そうに首を傾げる灰色の長髪の女性。
「ええ。はじめまして」
濃い黒色のゴーグルによってその目の形は伺えない。しかしどこか明るい雰囲気を纏っている彼女に挨拶を返した。
それに撫々花が続いて、「は、はじめまして!」と会釈した。
「あたし、喋るのにがて、です。ごめんなさい、です……あ! 名前! あたしの名前、ケットラ! です!」
「ふふ、私の名前は歩由美、ですわ」
「私は撫々花です! 妹の!」
「おお、分かった、です! 歩由美、撫々花!」
ケットラは大袈裟に私たちの名前を読み上げて、「あたしが、地竜繰り、です。あ……こっち、来て欲しい、です!」と、竜車の正面に来るように手招きをした。
言われた通りに着いていくと、焦げ茶色の鱗の、よく似た姿の地竜が二匹、神妙そうな顔をして待っていた。
「こっちは、ガトラとスコーラ!」
「ガア!」「グァー!」
「よろしくお願いしますね。ガトラ、スコーラ」
「「ンギャアッ!」」
古くに翼を失った、地を駆ける竜。それが地竜であり、地竜たちに竜車を引かせるのが地竜繰りである。
私と撫々花がかつて遭遇したあの赤竜から何回りも小さいサイズの、四足歩行の竜である。具体的な大きさは、だいたい私の腰くらいはあるだろうか。
王城にある図鑑で見たことがある。おそらく、彼らは地竜の中でも竜車を長い期間引かせるのに特化しているものだ。
その四肢は太く、どっしりとした雰囲気を纏っていた。
双子であることを即座に確信するほど、ガトラとスコーラという名の地竜たちの見た目は似ていた。いや、見た目だけではなく、声も似ている。
紐に繋がれておらず、挨拶を終えてすぐ、駆け回って遊び始めた――もうどっちがどっちだか分からない。
「ケットラさん、改めて、よろしくお願いしますね」
ビシッと敬礼を決めて、ケットラさんは顔を綻ばせた。
「よろしく、ますっ!」