第八話 王都騒乱 ③
障壁を足場に、私は空高くから王国を見下ろしていた。
(――この巨大な火球を構成している、複数の『火』の魔術士は、直にエル様が拘束してくれるはず。それより先に街に落とされないようにするためには――)
すう、と深呼吸をする。現れた六面の『障壁』が火球を囲う。膨張の勢いは途端に緩やかになり、やがてその成長が止まる。
(空間を仕切れば、やがて酸素は無くなりますもの――それより、さっさと残党狩りに行かないといけませんわね)
その『仕切り板』を維持しながら、足元の障壁を解き、足元に誰も居ないことを確認する。
風を浴び、髪を靡かせ、重力に身を任せる。小さな川の横、その道に降りる瞬間――。
「喰らえ、『屍覇』ァ!」
「ッ――!?」
視界が極光に埋め尽くされる――先のものよりも威力が高まっている。
着地しようとしていた場所は粉々に砕け散り、咄嗟に障壁を生成して勢いを殺し、小さなクレーターの中に降り立つ。
「ガ、フ……『屍覇』も効かないとなると、流石に傷付くぜ。化け物がよ……」
血を吐きながら、あの青年は口角を上げる。反対側の岸に立ち、両腕はだらんと垂れ下がり、血の付着した砂に塗れていた。
「効きましたわよ、ちょっぴり眩しくて」
(――確かに戦闘不能まで追い込んだはず。なぜ動ける? 身体強化の度合いを見くびったか――)
「というか……さっきからなんなんですの、その技名みたいなの。子供の頃の夢は吟遊詩人でして?」
「あ? よく分かったな……?」
(いちいち異世界の神の名前とか使われると、それっぽく翻訳するの面倒なんですけど……)と思いつつ、「あれを耐えたのは褒めてさしあげますわ。しかし私の前に姿を出したのは悪手でしょうに」と髪を払った。
「ハ! さて、どうだろうな?」と笑う青年。
突如、私が背を向けていた屋根の上から、大柄の男二人が飛びかかってくる――新顔だ。
「死ィ!」「ねェ!」
二つの拳が振り下ろされる直前。私は振り返りもせず、それぞれの顎先に拳を当てる。間を置かずにその胸ぐらを掴み、川の中へと投擲する。
「ォ――」「ァ――」
大きな飛沫が上がり、流される巨漢二人を尻目に、「何回やっても同じですわよ」と満身創痍の青年に瞳を据える。
「なるほどな……額の『光』の紋章で、光の位置が感覚で理解できるんだな? だから死角がないみてえな動きができる」
「呼吸の音も足音も消していたのに、残念ですわね。それでは、私は急いでますので――今度こそ、静かにしておいてくださる?」
「……ハ、つれねえなあ」
対岸に跳び移り、青年の後頭部をやや弱めに殴った。
がくり、と気絶した彼を道に横たえ、少し屈んで跳び上がる。
(――。空に何か居る)
カッ、カッ、カッ。そう音を立てて『障壁』の足場を跳び継ぎ、炎の塊を閉じ込める六面の『障壁』の上に飛び乗った。
「で、そっちは順調ですの? 全部見えてますのよ」
「えぁ!? ……う、あ、えっと……」
障壁の天面には、額の『火』の紋章を輝かせた、灰色の髪の、緑色の外套を着た魔術士らしき少年が居た。
緑色の外套――つまり、三級の魔術士。おそらく『障壁』の破壊をしようとしていた彼は、私を前に、びくびくと全身を竦ませていた。
(――『光』の探知範囲はそこまで広いわけではない。実際見えてはいなかった。あの赤髪の青年が身体を出し、男たちをけしかけた目的は、私の意識を引くことか。だが、この少年が何になる?)
「あ、これ……は……」
(足が黒く焦げている――足の裏を爆発させて、空を跳んだのか? 無茶なことを。なら、なぜ爆発音に気が付かなかった? よほど遠くで、それこそ城壁の上から? ――特定する意味もないか)
先程は濃い青色の外套の女性――二級魔術士が氷を放ってきたことを考えるに、ここに居るのは彼でないといけない理由がある。それは、私との戦闘ではない。
(でも、この火球の維持をするなら、尚更私の前に出る意味がない――何を企んでいる?)
「貴方たちに問います。何故、こんなことを?」
「ぁ――自由に、なりたいから……」
(またそれか――だが、おそらく首謀者はいるだろう。いや、そんな漠然とした指針では、とてもこの量の集団を纏められるようには思えない。私は何かに気付いていないのか――?)
少年は、よろよろとした足取りで私に近付いてくる。
「う、ああ……」
涙を流し、目を強ばらせた、恐怖、困惑、絶望の入り交じった表情――明らかに自分の意思ではない。
大きく開いた彼の口の中で、舌がぐるりと動き、少年は喋り出す。
「げぁッ――おい! 今から、自爆、するぞ……! 『障壁』を解いて、この火を国に落とせェ!」
(自爆――!?)
緑色の外套の下には、彼の身体に巻き付くように、大量の爆薬が仕込まれていた。
(――まさか、『洗脳』の刻印? いや、他者の脳に作用できる紋章が作れるわけがない。仮に存在していたとしても、少なくとも遠隔で発動できる代物ではない――)
「一歩でも動いてみろ! 直ぐに爆発するぞ!」
「……脅しになっていませんわね。三級魔術士の貴方が、私の『障壁』を破れるとでも?」
「ォ――俺が! 死ぬんだぞ! 子供の、命が!」
やはり、彼は操られている。目を剥いて、額の『火』の紋章を輝かせながら、必死の形相で『殺さないで』と訴えかけている。
(なんて惨いやり方……!)
「早く、この『障壁』を! 解けェエエエッ!!」
「――その必要は無い」
声を張り上げる少年の真後ろ。彼とそう変わらない体躯の一級魔術士が、濃い赤色の外套を風に靡かせ、そう言葉を紡いだ。
「エル様!」
名を呼ばれた『王国最強』、エル・エリクシアは、腕を回し、彼の額に触れ――その刻印を焼き焦がした。
「――っあ゛あ゛!!」
刻印はあくまでも肌に染み付くものだ。これで彼は『火』の刻印を使えない――故に、爆発できない。
「が、ぁ――!?」
すぐさま生み出された『水』によりその額が冷やされる。彼は意識を失い、ぶわと汗を吹き出しながら、ふらりと力なくその場に倒れた。
「……ありがとうございます、エル様」と、私は頭を下げた。
「ううん、ごめんね。ちょっと時間かけすぎたかな」とため息を吐きながら、エル様は『障壁』に横たわる彼の前でしゃがんだ。
「下の人間は全員捕縛してきたよ――そろそろ、これも消えるかな」
足場にしている障壁の向こう。完全に制御を失い、火球は縮小していて――緩やかに、消滅していった。
天面を除いてその障壁を解除し、「『自由になりたい』とは、なんだったのでしょうか」と、どこか苦しそうな顔で息をしている少年の目を見てそう言った。
「この子は、魔術学院でも素行のいい、真面目な生徒だった。おそらく、当人の意思でこんなことをしているわけじゃないって言うのは、歩由美も分かってると思う」
「『催眠』をかけた誰かの、扇動の言葉……?」
「それとも、その誰かの、心からの叫びか……ううん、やめにしようか。原因は私が突き止めるから、大丈夫。歩由美は気にしなくていい」
優しい笑みを浮かべるエル様に、「ありがとうございます」と、そう伝えた。
「……本当に、よくやったね。流石に負傷者は何人か出ているけど、『風』を読む限り、誰も死んではいないはずだ――歩由美が赤髪の彼を止めてくれていなかったら、きっと間に合わなかっただろう」
その言葉に、なんだか背中がむず痒くなる感じがした。
「……それじゃ、火や瓦礫の処理は兵士たちがやってくれてるから、それ、手伝いに行こうか」と言って振り向き、少年を片腕に抱いて、エル様は障壁から飛び降りた。