第七話 王都騒乱 ②
壊さないように速度を落として、煉瓦の屋根の上を走り、裏路地に静かに降り立ち、道に飛び出した。
辺りを見回す――騒がしい人混みの中、ただ一人だけ距離を取られている青年がいることに気が付いた。
土色の長いズボンを履いて、薄ら汚れた半袖の白いシャツを着ている。その上にポケットの多い、袖のない茶色のジャケットを羽織った赤髪の青年は、服の中から、笑いながら小さな何かをばら撒いている。
(大量の黒い小玉が、彼を中心に散乱している――あれは火薬か!!)
人混みをすり抜けるように走り抜け、「そこの貴方!」と声を上げる。青年は振り向くと、私の姿を怪訝そうに観察した後、小さく笑う。
「守ってみろよ」
瞬間、彼は左手に『火』の紋章を輝かせる。
(――間に合えッ!!)
周囲の人々を守るため、手の甲の『障壁』の紋章に、ありったけの魔力を注ぎ込む。彼を中心に四面の『障壁』が展開され――爆発する。
「ぐッ――」
轟音が空に響き渡り、一瞬のうちに天に黒煙が広がる。
『障壁』はその衝撃を請け負い、砕け散り、消滅する。
(やはり――自爆ではない!)
真っ黒に焦げた地面。巻き起こる灰や土埃の中から、肩を竦め、眉を顰めた赤髪の青年が現れる。紋章の位置は分からないが――彼も障壁を使ったのだろう。
逃げ惑う人々を横目に眺める。あの爆音だ。私が何もしなくてもすぐに人は離れていく。
「『障壁』をこの距離で……器用なことすんなあ。いやいや、予想してなかったぜ! 全裸の変態女を呼ぶことになるとはな」
手で髪を払い、「はあ」とため息をつく。
「身の程も弁えずに、失礼なことをおっしゃいますのね? こんななりですが、私一応魔術の心得はあるんですのよ」
「そりゃいい。俺も魔術には自信があるんでなあ――じゃ、力比べと行こうぜ」
赤髪の青年は拳と掌を合わせ、ぱしっ、と音を立てた。
「それで……身体の一部が透けてるのはどういうカラクリだ?」
「貴方の質問には答えません。ところで、何故こんなことを?」と聞くと、彼は「理由か――そうだな。自由になりたかったんだ」と口角を上げた。
(自由に……? クーデター? なら、こんなただの大通りでやる理由はなんだ――?)
その動機を推察しつつ、「悪人に手加減できるほど、私は器用じゃありませんの」と言いながら、徐々に距離を詰める。
あと数歩、という位置になると、彼は「正義感に溢れてご立派だな」と両手を広げ、「そこのゴミでも拾ったらどうだ?」と目を細めた。
瞬間、足元が爆ぜる。爆薬が、いつの間にか転がされていた。煙が視界を覆う寸前、彼の右手の『火』の紋章が輝いていたのが見えた。
やがて煙が晴れる――地面は黒く焦げ、石畳は大きく抉れている。だが、私の身体には傷一つ付いていない。
「……マジか、イカれてんな」
「遺言はそれでよろしくて?」
そう言い捨てて一瞬で駆け寄り、風圧が彼の髪を揺らす。刹那、目を見開いた赤髪の青年の腹に、重い一撃を喰らわせる。
「ぉ、がッ――!?」
真っ直ぐに吹っ飛んだ彼は、大きな音を響かせながら、店員の居ない店の中に突っ込む。
それを追い掛けようと歩き出し、「投降しなさい」と声をかけた瞬間――。
「死ねェ!」
髭の生えた大男に、背後から剣を振るわれた。剣は地面に衝突し、鉄の音が響き渡る。
「ああ!? なんで避けられんだあ!?」
「野蛮ですわね」
額に刻まれたこの紋章により、光の位置で周囲の状況は全て知覚できる。気配こそ消していたかもしれないが、こんな鈍い剣を避けるなど、造作もない。
「うるっ――せえっ!」
横薙ぎに剣が振るわれる。跳躍して避けると、その位置に合わせたように大量の氷塊が飛来する。
瞬時に空中に生み出した障壁に手を付き、その腕を軸に回転して蹴りを入れると、その氷は粉々に砕け散った。
「出来のいい氷ですこと」
障壁に足を着けて見下ろすと、数メートル先の道の端に、濃い青色の外套を羽織った魔術士らしき風貌の女性がこちらを見ているのが分かった。
「喰らっ――ごぁあ!? うおあああああ!!」
跳躍してきた大男が斬りかかってくるが、難なく躱して数発拳を入れてから、その胸ぐらを掴んで魔術士に向かい投げ付ける。
「なっ、馬鹿ぁっ! ひっ――」
大男が地面に落ちた瞬間、「ぴぎゃ」という声が聴こえたが――まあ、死にはしないだろう。
障壁を解き、地面に降りる。突然、雑然とした店内が爆ぜ、「よそ見してんじゃねえよッ!」と叫んだ青年はこちらに手を向け、放たれた火炎が私を覆い尽くす。
目を閉じる――『裸身強化』によって身体を魔力で纏っている私には、その熱は伝わらない。汗が蒸発するほどの火力が私に向けられていようと、私の肉体にダメージはない。
「眩しくて敵いませんわ」
その吹き付けられた火炎を拳の風圧で払い除け、目を開けた。
「ハ、ハハ……」青年は青ざめた顔で笑い、「髪の一本すら燃えねえとはな――仕方ねえ」と呟く。
立ち上がった彼は服のポケットから黒い玉を取り出し、その『火』の紋章を輝かせながら天高く放り投げる。
「名を冠するなら――」
それが黄色に爆ぜたのを皮切りに、王都上空に、一つの巨大な火の塊が出現し、ぶくぶくと膨張する。
「『驚天』! ってとこかな」
(おそらく最初の花火は仲間への信号だろう――だとすれば、あの火球は他の『火』の紋章持ちが複数人で構成しているのか? ならこいつを倒しても意味は薄いな)
「……あれ、何か言いましたか?」
「……いや」
「じゃあ、終わらせますわね」
屈み、地面を蹴り砕いて距離を詰める。彼が咄嗟に私との間に生み出した障壁を一撃で叩き割りながら、「『障壁』の使い方が甘いですわ」と言い、両手の甲の『障壁』の紋章を輝かせ、彼の背中に硬い『障壁』を出現させる。
「お前、まさかっ――」
――これで、彼は吹っ飛べない。
逃げ道を無くした青年に、中指を尖らせた拳を振るう。蹴りを入れる。障壁に亀裂が走る。
風を切る速度で、腹に、肩に、腕に。身体の各所に、何度も、何度も、何度も、何度も、重たい打撃を加える。
「が、ぁ――」
血反吐を吐き、白目を剥いた青年の胸を、より魔力を込めて殴り抜ける。背中の障壁は粉々に割れ、青年は勢いよく吹っ飛び、また店の中に突っ込んでいく。
(急所は避けてやった。死にはしないはず――店主さんには、後で謝りに行かないと)
堅く握った拳を解き、身体についた土埃を払い、高く高く跳び上がって空に作り出した障壁に着地し、轟々と燃え盛る火球に照らされた王国を見下ろす。
「――誰も、殺させませんから」