第十一話 到着!! 温泉郷・バンバーナ
メイロールを出てから数日が経った。
真昼の空の下。城門を抜けて、ちょっとした丘の上から、この国の景色を一望する。
この国を経由して、私たちは『神獣祭』の開催されるトレンティアに向かうのである。
――石造りの建物の間を、穏やかな風が抜けて、私の薄い金色の髪を揺らした。
国中のそこかしこから立ち上る湯けむりが、この国が『温泉郷』と呼ばれる理由だろう。
「着きましたね! バンバーナ!」
リュックの重さをものともせず、私は腕を大きく伸ばして、そう叫んだ。
どこかから風に乗って、硫黄の匂いが流れてくる。
「はぁ〜! 温泉ですよ! 温泉!」
「ふふっ、そんなにはしゃいじゃって」
私は振り返ってお姉様の方を見た。
「まあ、旅の間はケットラさんの『水』と『火』の魔術でなんとかしていましたけど。それでも私たちとしてはあったかいお湯に浸かるのは夢というか……! やっぱり、お姉様も楽しみですよね?」
「ええ、それはもちろん。でも、あんまり目立つ行動をしないように、ね?」
周りを見回すと、丘の周りの人々から暖かい目で見られていることに気付く。
「あ。ごめんなさい……!」
私は頭を下げる。
はしゃいでしまった。子供っぽかったかな。
お姉様は「いいんですのよ」と微笑んで、「それでは、宿屋に向かいましょう」と私の手を優しく握った。
「宿屋……お姉様が居るからお金はともかく、予約とか、大丈夫なんですか?」
「ああ、その辺はお師匠様が」
「なるほど」
ケットラさんは、竜車の横で地竜たちの頭を撫でながら、「あたしは、竜車を置いてくる、ます。少し待ってて」と言った。
「わかりましたわ。場所はどちらに?」
「地図だと……えと、あの道、曲がってすぐ? じゃあ、行ってくる、です!」
「ありがとうございます、ケットラさん」
ガラガラと竜車を引いて遠ざかっていくケットラさんを小さく手を振って見送る。
(……田舎者っぽいかなあ。でも気になるから)
お姉様の手を握って、私は辺りを見回していた。
目を細める。メイロールほどの高さはないものの、大きな城壁の上で、何人もの魔術士たちが石を積んでいるのが見えた。
(なんだろう、増築でもしているのかな)
立ち上る湯けむりが目に映る。ぱちぱちと瞬きをして、私はお姉様に顔を向けて口を開いた。
「お姉様、お姉様。バンバーナは、なんでこんなに温泉があるんですか?」
お姉様は微笑んで答える。「そうですわね……北に、大きな山が見えますわね? あれは火山なのですわ」と、城壁の向こうにある、少し遠くの山を指さした。
「火山の地下にはマグマがあるでしょう? マグマに地下にある水が触れたり、もしくは、マグマの熱で温められたりして、地上に湧き上がってくるのですわ。だからとても奇跡的な立地だった、と」
「ほほう……?」
お姉様は一度目を逸らして、「まあ天然のものだけではなく、『土』の魔術による掘削があって。その是非を巡って色々問題も起きていたようですが……」と呟いて、
「それなりに歴史のある国ですから、ここでは語り切れませんわね……説明になってるかどうか分かりませんが、バンバーナに温泉が沢山湧いたというよりは、温泉が沢山湧いた場所にバンバーナができたのですわ」と付け足した。
「なるほど……ありがとうございます、お姉様」
「ふふ。私たちが宿泊するところにも、もちろん温泉がありますから、お楽しみに」
「やったー!」
――とにかく楽しみ、温泉郷!
▽▲▽▲▽
それから少し経って、お昼時。
ガトラとスコーラは庭の方で待機させている。私は撫々花とケットラを連れて、二階建ての大きな宿屋の扉を、手の甲でコンコンと叩いた。
「ようこそ、『薫風亭』へ」
開かれた大扉の先。そう言って私たちを出迎えたのは、灰色の作務衣を着た、大柄の男性だった。
「私はマギロット。マギロット・バルディ・ネテウと申します――」
オールパックにした黒い髪を撫でながら、鷹揚とした、野太い声でそう言った。
「こんにちは。聖麗院、歩由美ですわ」
「お話は聞いております」
「あっ、妹の、聖麗院、撫々花です」
「あたしはケットラ、です」
「こんにちは。撫々花様に、ケットラ様ですね。どうぞこちらへ」
彼の大きな背中を追うようにして、『薫風亭』の中に入る。
大きな広間、天井の中央に、少し大きなシャンデリアのようなものがある。その暖かな光が、広間を隅々まで照らしている。
「少しご紹介を。右手の扉からは、廊下を挟んで皆様がお泊まりいただく部屋がございます。左手には椅子など、おくつろぎできる場所が。奥の二つの入口から、男女それぞれの脱衣所、そして温泉に――」
「ほほう……」と、撫々花は目を輝かせていた。
(初めての……旅行だもんね)
正面のカウンターには、少し背の低い女性が一人。紫がかった髪を腰まで長く伸ばしており、前髪はその瞳を隠している。
「こんにちは、メイ・ネテウ……と、申します」
色艶もよく髪先は整えられてはいるが、そのあまりの長さに、何年も髪を切っていないような印象を受けた。
「彼女は私の妻です。この宿の手伝いを」
「ええ、よろしくお願いします」
ちなみに、この世界でもこういう髪色は少ない。
おそらくは地毛だろうが、なかなか見ることはない。
「それでは」と手続きを進めようとすると、『薫風亭』の扉の外、『光』の探知に人間が引っかかり、胸のボタンに手を添えて、咄嗟に振り返る。
「っ……?」
「お姉様?」
バタン。
――大きな音を立てて、扉が開かれた。
「よう!」
その向こうには、赤髪の青年が大きく脚を開いて立っている。
シワの一つもない白い半袖のシャツに、土色の長いズボンを履いて、ポケットの多い茶色の、袖の無いジャケットを羽織った青年。
溌剌とした声とは裏腹に、服の下、彼の身体の各所には、ぐるぐると大量の包帯が巻かれている。
「歩由美ッ! オレを仲間に入れてくれ!」
そう、彼の名前は。
「バーン・バーンロック……?」
なぜ貴方がここに。
彼はガッツポーズを取って、口角を上げる。
「おう! 久しぶりの登場だぜ!」
「いや、たかが数話でしょうに……」
▽▲▽▲▽
――同日、陽が昇る前。メイロール、その王城にて。
「……は? 歩由美たちに着いていきたい?」
赤髪の青年、バーン・バーンロック。
全身の節々に包帯を巻いて、国に支給された質素な服を着ている彼は、背筋を伸ばし、その目に熱を込めて、まっすぐと私の目を見ていた。
「それは……本気で言ってるのか?」
「ああ、本気だぜ!」
「本気です、だ」
「本気です!」
頭を抱える。こいつマジだぞ。
「理由はなんだ」
「恩は返すって約束したからな」
「着いていきたいなら、勝手に着いていけばいいだろう。」
「ダメなんだ。ここからじゃ追い付けない」
頭を抑えたまま、少し考える――。
先日の王都騒乱において、彼は何者かに行動を強制されていた。私はそう結論付けた。
歩由美がよく動いてくれたおかげで、『殺人』の二文字が彼の罪状に加えられることはなかったものの、被害は少なくない。
あの大事件を「彼らは洗脳されていましたから悪くありません」なんて言えば、余計に国民は混乱するだろう。
自分の意志によるものではないことがほぼ確定しているとはいえ、野放しにはできない。そのため、彼らは国によって保護された。
表向きには「王都から追放された」という形にしながら、かの事件の『重要参考人』として匿われている。
(彼らの証言、体験を元に、私も真相の究明に動いているけど……あまり進展はない)
『洗脳』があまり強い効力を持つとは思わない。
あれは催眠術の一種であると、医学者たちは答えた。
しかし、もしも私の考えが誤っており、彼らにかけられた『洗脳』がまだ続いていたら――場合によっては、この国の存亡に関わる。
そう懸念した国のお偉いさんたちは、バーン・パーンロックらに、既に身体に刻まれた紋章の消去及び、当分の刻印の禁止を言い渡した。
そんなわけで、今の彼には『火』の紋章どころか『障壁』、『身体強化』すらない。
完全に無害である。
そして、完全に無力でもある。
(……コイツが歩由美たちに着いて行ったところで、何も変わらないだろう)
「歩由美たちに会えたとして、お前に何が出来るんだ」
「……それは分からない。でも、エル様が許すなら、俺は歩由美たちのために何かをしたい」
(――そうか。こいつは、そういう奴なんだな)
「……気が変わった。私が、手を貸してやる」
私だって、国や、世界が許すなら――そんな考えを心の奥に閉じ込めて、私はそう言った。
「ありがとう、恩に着る!」
▽▲▽▲▽
「――そんで、諸々用意したら、夜のうちに『風』の魔術でバシュン! っと空を飛ばさせてもらって、なんとか追い付いたわけだ」
(やっぱり無茶苦茶だ、あの人……)
とにかく、この男が善意で動いていることは分かった。
「荷物持ちでも雑用でも、なんでも言ってくれよ。どのみち、もうあの国には居られなかったんだ」
「……とりあえず、少し確認します。紋章は?」
「無い。全部エル様に焼いてもらった」
「他の所持品は?」
「財布。あと替えの包帯と薬が少し。ポケットの中だ」
「怪我の具合は?」
「走ると全身痛え」
(……誰が全身ボロボロの貴方に荷物持ちをさせるんですか!)
ふと目線を向けると、撫々花は、静かに私を見つめていた。
「あ、私は……お姉様が許可するなら、大丈夫です」
そう言って撫々花は柔らかに微笑んだ。
「あたし、も、歩由美に従う、です」
「……わかりましたわ。ありがとう」
バーンの赤い眼には、悪意の類は一切感じられない。
「……」
撫々花だって『身体強化』ができる。今の単純な力の差で言えば、バーンよりは上だろう。つまり、撫々花を傷付けることは万に一つもない――はずである。
(なにより、エル様が送り出したのだ。おそらくは、何か考えがあるはず……)
であれば、もうメリットデメリットの話をする意味がない。
「……分かりましたわ。同行を、許可します」
「よし! これからよろしくな!」
そう彼は笑顔を浮かべる。
「一応言っておきますが、貴方を信用したわけじゃありませんのよ? 貴方を送り出したエル様のことを信頼しているから、同行を許したのですわ」
「わかってる。最初から仲間として認めてもらえるとか、そんなつもりは毛頭ない」
そう言って、彼は自分の胸に手を当てて、真剣な眼差しで私たちを見た。
「――改めて、俺はバーン・バーンロックだ。エル様から、撫々花とケットラさんの事は聞いている。『神獣祭』まで、よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします!」
「あす!」
マギロットさんは「おほん」と咳払いをして、「それでは……よろしいですかな? そちらの方もご一緒ということで」と言った。
変に待たせちゃって申し訳ない。
「ええ、まあ……それで構いませんわ。では、彼の部屋を用意していただいても?」
「承知いたしました。少々お時間を頂きますが、よろしいでしょうか」
「構いませんわ。バーンは少し待っていなさい」
「あ、はい。色々すまねえな……」
「メイ。隣室でいい、バーン様のお部屋の用意を。いいね?」
「はい、分かりました」
紫髪の小柄な女性はすたすたと小走りで、カウンターの奥の扉に消えていった。
「ところで……お支払いの方はどのように?」
と、マギロットさんがカウンターの方から取り出した料金表を彼に手渡す。
「……バーン、まさか私に払わせようと?」
「安心してくれ! 有り金全部持ってきたから」
そう言って振り返った彼は、ジャケットにある沢山のポケットの中から財布を取り出し、「え、え、と……?」と呟きながら料金表を指でなぞる。
(……私は修行の一環で魔物狩りをしましたから、お金に困ることはないですけれど……)
「なあ、歩由美……お金、貸してもらっていい……?」
「貴方って計画性ありませんのね……」
いかにも申し訳なさそうな顔で振り返ったバーン・バーンロック――こいつが仲間で、本当に大丈夫なのだろうか。
(……いったい、どうなることやら)