出ていけ
「うわああああああああああああああ!!!!」
希菜子の凄惨な最期のシーンを思い出し、高秋は頭を抱えながら声をあげた。高秋の瞳の裏に強く焼き付く記憶。高秋の精神を壊しかけた、最悪の思い出。その記憶がまた、高秋を襲う。呼吸が乱れる。鼓動が激しく揺れる。ひどく、息苦しくなる。気が狂いそうになる。目の前にいる秋奈が、完全に希菜子に見える。その希菜子の首から……いや、秋奈の首から真っ赤な血がドクドクと滝のように流れている幻覚が見えてきて、吐きそうになる。口を手で押さえながら高秋が秋奈から視線を反らした時だった。
「たかぽん……」
と、秋奈が言った。びくんっ!と高秋は体を小さく跳ねさせる。ガタガタと体を震わせながら、恐る恐る秋奈の方に視線を向けようとすると。
「……大丈夫、私これからもっともっと成長して、きっと良い女になるから。娘だったことも忘れて恋しちゃうくらい魅力的な女性になって、たかぽんの心を虜にする。だから、もう暫くちっちゃくて可愛い秋奈の私を楽しんでて……ね?」
と、秋奈は高秋を抱き締めて言った。首に回る秋奈の細くて小さな腕が、頬に掛かる柔らかくて長い髪が、匂いが、体温が……高秋の心を宥める。娘の愛おしさが全身に廻った。娘の今の……今までの異常な言動が、有耶無耶に薄らいでいく。ただの子供の悪い冗談だったんだと、高秋の脳が処理しようとする。
「秋奈──」
高秋は秋奈の背に腕を回そうとした。すると、いつかの秋奈の視線を思い出した。子供のものとは思えない、ねっとりとした……念が纏わり付くような。そんな、胸苦しくなる視線。希菜子の視線によく似ていた。
これまでの異常な秋奈の言動が、一気に思い出される。
『私は秋奈じゃない、希菜子なの』
その秋奈のセリフが耳奥で強く響いた時、ゾクリとしたものが高秋の背中を走った。
今、秋奈を抱き締めてはいけない──高秋は直感した。そして、抱き締めようとしていた手で、秋奈の体を静かに引き離し、言った。
「……お前が本当に希菜子なら、俺はお前のことを抱き締めてやれない」
高秋は俯き、秋奈と目を合わせようとしなかった。秋奈を瞳に映しながら、希菜子と言いたくなかった。
「……どうして?」
秋奈の悲しげな声が、高秋の耳に流れてくる。惑わされてはいけない……と、高秋は首を振った。
「お前を……希菜子を幸せに、どうにかしてやれなかったことは本当に悔やんでいる。でも、俺には無理なんだ。お前が何度生まれ変わって俺のところに来ても、俺は……俺には、お前のことをどうすることもできない……」
そう言うと高秋は、秋奈に土下座した。
「……たかぽん?」
と、秋奈が言うと。
「──頼む、秋奈の体から出ていってくれ!俺はつまんない男だったと、ダメな男だったと思って諦めてくれ!俺なんかより、もっと君に合った良い男はきっと居るから。君を大事にしてくれる男は、絶対他にも居るから。俺にはもう、妻も子も居る。いや……それでなくても、今の俺には君をどうすることもできない。幸せになんて、できない……ごめん。だから今度こそ、俺を君から解放させてくれっ!いや、解放させてください。お願いします……」
深く、高秋は秋奈に──いや、秋奈の体に宿る、希菜子の魂に頭を下げた。
「……どうして?どうしてそんなこと言うの?私の何がいけないの?だったら教えてよ、私のダメなところ。たかぽんが好きになってくれるなら私、なんでもするよ?どうすれば、たかぽんは私のこと好きっていってくれるの?」
涙声で秋奈は高秋に聞いた。高秋は頭を下に俯かせたまま背筋を伸ばし、正座する膝を握った。
「……秋奈の体から出ていってくれ。願いは……それだけだ」
「……たかぽんは、私のこと嫌いなの?」
と、秋奈は言った。まるで、今にも泣き出しそうな少女の声色だった。希菜子が秋奈になりきって演技しているようで、高秋は不快だった。
「頼むから秋奈の姿で、秋奈の声で秋奈の真似事は止めてくれ。希菜子、その体は君の体じゃないんだ。それは、秋奈の……俺の娘の体なんだ。秋奈に返してくれ!」
お願いしますと、高秋は何度も頭を下げた。だが。
「……それは無理なの。だって、私が秋奈に生まれ変わったんだから。秋奈の体は私のもの……私そのものなの。たかぽんは『秋奈』っていう魂が別にいて、私がその子の体を奪ったって思ってるのかもしれないけど、違うから。この体は私の体……私の新しい器なの。だから、私は正真正銘たかぽんの娘──秋奈なの」
そんな……。高秋は絶望の底に叩きつけられた。
希菜子が俺の娘?本当の秋奈は本当に存在しないのか?妻はどうなる?
──そういえば妻は?買い物に行ったにしては遅すぎないか?もしかして本当に──……?
嫌な、予感がした。
帰らぬ妻。
もし、本当に目の前の秋奈が希菜子なら、こいつならナニかしていてもおかしくない。高秋は最悪の事態を想像し身を震わせた。
「おい……」
と、高秋は秋奈の肩を強く掴んだ。
「妻をどこへやった!?本当に買い物に行ったのか!?お前が妻に何かしたんじゃないのか!?」
なあおい!?と、高秋は声を荒らげた。すると、小学生とは思えない、冷めた目付きで秋奈は高秋のことを見詰め、溜め息を吐きながら。
「……何もしてないわよ、本当に買い物に行っただけ。確かに、殺してやりたいくらい憎いけど。背も力もない小学生の私が、大人の女を殺すなんてそう簡単にできないわよ」
と、呆れ顔で言った。
「殺してやりたい」「憎い」──……そんな言葉を淡々と口にする秋奈が、兎に角恐ろしかった。同時に、高秋の中で、沸々と怒りが込み上げてきた。
そして。
「──出ていけ」
高秋は秋奈を睨んで、そう言った。