お前は誰だ
「……は?行くって何処に?ママは?」
「……ママの居ない世界に、ママの知らないところに2人で逃げるの。そしてそこで、私とたかぽんでまた新しい家庭を築きましょ……ね?」
と、秋奈は高秋に微笑んだ。優しく、けれども恐怖を掻き立てる不気味で怪しい微笑みだった。
「……何言ってるんだ秋奈?意味が分からないよ。何でママから逃げるんだ?2人で家庭を築こうってどういうことだ?さっきの冗談といい、秋奈やっぱりおかしいよ。ママと何かあったのか?ケンカでもしたのか?なあ……秋奈?」
微かに、高秋は声を震わせながら言った。ドグンドグンと、高秋の胸が妙な鼓動を打っていた。
暫しの沈黙後。秋奈は言った。
「……私ね、たかぽんと一緒に居られるなら、もうなんでも良いと思った。だから、たかぽんの娘として『秋奈』として生まれた時は凄く嬉しかった。娘ならきっと凄く可愛がるだろうし、愛してくれる。ずっとたかぽんの傍に居られるって。たとえ、私とたかぽんの愛の形が違っていても、たかぽんの愛を一身に受けられるなら……娘でも良いかなって。でも……もう耐えられない。他の女と──……ママと仲良くしてるところなんて見てられない。見ていたくない。たかぽんのママへの愛を、私に注いで欲しいの。私を娘としてじゃなく『女』として愛して欲しい……だからお願い、私と2人でここから離れましょ」
高秋は口を小さくパクパクさせながら、眼を見開いて秋奈のことを見詰める。声を出そうとするが、言葉が出てこない。秋奈の言葉が理解できない。ただ、実の娘への──秋奈への恐怖が増すばかりだった。
「今は私小学生の体だけど、十数年もすれば良い女になるから……ママのこと好きでしょ?私よくママに似てるって言われるから、大きくなったらきっとママとそっくりになるよ。ママに……あの女に似るのは凄く癪だけど、たかぽんが女として愛してくれるなら──」
そっ……と。秋奈は高秋の頬に触れると、高秋の唇へとゆっくりと自身の唇を寄せていく──が。
「……お前誰だ?秋奈じゃないだろ?」
高秋は頬に触れる秋奈の手を払い、睨み付けた。秋奈は驚いたように一瞬眼を見開かせたが。
「……たかぽんったら何言ってるの?私は秋奈だよ?正真正銘、たかぽんの可愛い娘だよ。やだなぁもぉ~!」
と、秋奈はあどけなく笑って見せた。何処からどう見ても、可愛い実の娘。だが、高秋はその娘を見詰めながら恐怖に震えていた。
『……たかぽんは私のもの──……絶対、誰にも渡さない』
高秋は秋奈の方に視線を置きながら、瞳の裏ではいつかの残像を見ていた。もう2度と見たくなかった……思い出したくなかった記憶。できることなら、記憶から完全に消去したかった──……ある女の存在。
「たかぽん?」
はっ!と、秋奈の声で高秋は我に返った。目の前にいる秋奈が高秋の瞳に色濃く映ったかと思えば、秋奈の顔がまるで砂嵐のように乱れ、違う女の顔が浮かぶ。
目の前にいるのは、目に入れても痛くない可愛い娘──なのに、その娘の存在が恐ろしくて仕方無かった。
確認などしたくない。けど、確認せずにはいられなかった。
そして。
「……お前もしかして……希菜子、じゃないよな?」
どうしたの?と言った秋奈の声を遮り、高秋は声を震わせながら聴いた。高秋がそう言うと、一瞬秋奈の瞳が微かに揺れた。そして2、3度瞬きすると秋奈は。
「希菜子ってだぁれ?」
と、きょとんとした表情で言った。
「……いや、やっぱり何でもない。変なこと聴いてごめんな」
高秋は大きく溜め息を吐き、苦笑しながら秋奈に言った。目の前にいる秋奈は、秋奈に形を変えた──生まれ変わったあの女かもしれないと、本気で思ってしまった自身が急に恥ずかしくなった。秋奈の微かな反応に一瞬違和感を覚えたが、高秋は知らないふりをした。もうこれ以上、あの女のことを思い出したくなかった。
だが。
「えー!希菜子って誰なの?気になるぅ!」
秋奈は、高秋の服の袖を引っ張りながら聞いてきた。
「秋奈の知らない人だよ。ごめんだけど聞かなかったことにしてくれ」
「だーめっ!もう聞いちゃったからムリ!ね、希菜子って誰なの?もしかしてその人、私に似てるとか?」
秋奈の顔がまた砂嵐のようにジリジリと乱れ、その女の顔が浮かぶ。声まであの女の声に聞こえてきて、高秋はゾッとする。
「……秋奈に全然似てないよ。頼むからその話はやめてくれ」
高秋はそう言いながら、秋奈から視線を反らした。すると。
「あ!もしかして~たかぽんの昔の彼女さんだったりして!?」
不意に秋奈がそう言うと、高秋は体をびくっとさせ、瞳を揺らした。
「へ~やっぱりそうなんだ~……」
と、秋奈はニヤニヤしながら、覗き込むようにして高秋のことを見た。
「ね、ね、希菜子さんってどんな人だったの?綺麗な人?それとも可愛い系?ママにはナイショにするからさ、ねぇおねがい、教えてよぉ~!」
と、猫なで声に秋奈は言いながら、胡座した高秋の足を揺する。
──どんな人だった、か……
高秋は瞳の裏で、その女と──彼女と初めて出会った頃の記憶を映した。