ママを殺した♪
秋奈が小学一年生になったある日のことだった。
「たかぽーん、いつまで寝てるの!いい加減起きなさいっ!」
そう言いながら、秋奈は高秋の布団をひっぺがした。日曜の午前10時頃。この日高秋は休日だからと、だらだらと眠っていた。
「……後5分、いや後10分だけでいいから寝かして……」
と、高秋は秋奈から布団を取り返し、頭まで被った。
「もおっ!」
と、秋奈がまた高秋から布団を剥がすと、高秋は「さっ、寒いっ!」と言いながら、敷布団の上で身を丸め震えた。
「5分とか10分とか、さっきからそればっかで全然起きないじゃない!仕事がお休みだからって、ダラダラ寝てないでちゃんと起きなさい!」
と、秋奈は剥ぎ取った布団を片手に仁王立ちし、高秋に怒鳴った。
「わ~かった、分かったよ。起きます、起きますよぉ~……」
と、高秋は渋々身を起こし、欠伸をしながら頭を掻くと。
「……あれ?ママは?」
高秋は妻がいないことに気づき、きょろきょろと周りを見た後、秋奈に聴きた。すると、秋奈の表情が曇り、そして。
「……はぁ、たかぽんったら気づくの早すぎ。ママはね……殺したの。私が」
そう、秋奈は言った。無表情に、けれども瞳の奥からは鋭く尖ったナニかを感じた。時々、秋奈の方から感じる視線に似ていた。
「……は?はは、な、何言ってるんだ秋奈?パパは嘘つきな子は嫌いだなぁ」
高秋は声を震えさせながら苦笑した。小学一年の秋奈が本当に人殺しなんてするわけがないと思った。思い……たかった。だが、高秋を見おろす秋奈の視線が鋭く刺さる。小学生とは思えない眼。嫌な予感が頭を過る。高秋は大声で妻の名前を何度も呼んだ。だが、妻の返事はない。高秋の鼓動が上がる。不安が高まる。
高秋は顔を青ざめながら、秋奈の肩を掴んで声を荒らげた。
「な、なあ、殺したなんて嘘なんだろ?ママは何処に行ったんだ?なぁ、そういう悪い冗談はよしてくれ!秋奈っ!!」
高秋は敷布団の上で膝をつき、秋奈の眼を強く見詰めた。すると、秋奈がニタリ……と笑った。その瞬間、高秋の背筋がゾクリとした。
「そんな…………」
高秋は腰を抜かしたように、その場にペタリと座り込んだ。
すると、秋奈がプッと吹き出した。
「やだなぁたかぽんったら、すっかり信じちゃって。嘘ようーそ!私がママを殺すわけないじゃん。昔っからそうだけど、たかぽんてほんとすぐ騙されるよね~。かっわいい~!」
と、秋奈はお腹を抱えながらケタケタと高秋のことを笑った。高秋はしばらく放心状態で秋奈のことを見上げていたが、だんだん怒りが混みあがってきた。
そして。
「ふざけるな!!」
バチンッッ!!
高秋は立ち上がって怒声をあげ、秋奈の頬を平手で叩いた。するとケタケタと笑っていた秋奈の笑い声が止まった。高秋に叩かれた方の頬を手で触りながら、秋奈は眼を見開いて高秋を見た。
その表情を見て、高秋はハッと我に返り「ごめん」と、秋奈を抱き締めた。
「痛かったよな……ごめんな。でも、秋奈も悪いんだぞ?『ママを殺した』なんて、パパにひどい嘘をついて。秋奈、こんな嘘はもう言っちゃダメだぞ?」
「わかったな?」そう高秋が言うと「……うん、わかった。ごめんなさい」と、秋奈は高秋の胸の中で頷き、小さな腕を背に回した。
高秋が離れようとすると秋奈は「いやぁ」と、高秋にしがみついた。
「秋奈……」
「もっとずっとぎゅってしててぇ!」
甘え声でそう言う秋奈。
「わかったよ」
と言い、高秋は秋奈を優しく抱き締めた。胸の中の秋奈は小さくそして、加減を間違えると折れてしまいそうなくらい細く。何処からどう見ても、秋奈は幼い少女で、愛しい自慢の娘だった。
そんな彼女の「殺した」という言葉を真に受け怯えてしまった己を、高秋は恥じた。
背に回りきれていない秋奈の細い腕。温かくて愛しい。高秋は秋奈の頭を撫でながら、優しく微笑んだ。するとふと。
「……じゃあ、ママは?何処にいるんだ?」
高秋は秋奈に問うた。
「……買い物行った」そう言いながら、秋奈は先程よりも強く、高秋に抱きついた。
「ママは秋奈に『一緒に行こう』って、誘わなかったのか?」
「誘ったよ。でも、行かないって断ったの」
「何で?パパがいるからか?」
と、高秋が問うと、秋奈はコクりと頷いた。
「パパのことなんて気にしないで、ママと買い物に行ってよかったのに」
と、高秋は言いながら秋奈の頭を撫でた。すると秋奈は、高秋の胸の中で静かに首を振った。
「……たかぽんと一緒に居たかったの。2人きりになりたかったの。こうして……たかぽんに抱き締めてもらいたかったの」
「何言ってるんだ?いつもこうして、秋奈のこと抱き締めてるだろ?」
「……違うの」
と言いながら、秋奈は高秋から離れた。
「違う?何が?」
と、きょとんとしながら言う高秋の瞳を秋奈は見詰めた。
「秋奈──……」
と、高秋が言いかけた時だった。
─────……
秋奈が高秋の唇にキスした。
お互い、頬に軽いキスをしたことは何度かあったが、唇と唇を重ねたキスは初めてだった。高秋は突然のことで、頭が真っ白になった。
そして。
「……ねえ、このまま2人でどっか行っちゃわない?」
ちゅっ、と音を立てながら高秋の唇から離れると、秋奈は高秋の瞳を見詰めながらそう言った。