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ひさしぶり




 ─────おぎゃあ……おぎゃあ……



 高秋に女の子が産まれた。


「秋奈、パパだよ」


 高秋は手を震わせながら、生まれたての我が子を抱き上げ、涙ながらに声をかけた。すると、産声をあげていた秋奈は父親の高秋を見ると、ピタリと泣き止んだ──かと思ったら。


 ……ニタリ。


 秋奈が不気味に微笑んだ。その瞬間、高秋の背筋がゾクリとした。赤ん坊がニタリと微笑むものだろうかと、高秋は頭を振り、もう一度秋奈を見た。

 だが、秋奈はキャッキャと屈託なく笑っていた。怪しさを含む微笑みなど微塵もなかった。


 高秋にとって、秋奈は初の子だった。

 自分に子がちゃんと育てられるのだろうかという不安がそう見せたのだろうと思い、特に気にも留めず高秋は。


「これからよろしくな、秋奈」


 と、秋奈に微笑んだ。


 秋奈は高秋を見ながら、屈託なく微笑んでいた。


 

■■■



 それから秋奈は、特に大病を患うことなく、元気にすくすくと育っていった。一歳にもなると「ママ」などの簡単な単語を話すようになった。

 ところが、妙なことにパパである高秋のことを何故か「たかぽん」と呼んだ。誰が教えたわけでもなく、気づくと秋奈はそう呼んでいた。

 何度もパパだよと教えても、違うと頭を横に振ってパパと呼ぼうとしなかった。


「誰かあなたのことをそう呼ぶ人なんていたかしら?私は一度もそう呼んだことないし……」


 と、高秋の妻は首を傾げた。

 しかし、高秋はそんな呼び方をする人間を1人知っていた。だが、その人間と秋奈はこれまで一度も接触したことがなかった。いや、接触できるわけがなかった。


 何であいつと同じその呼び方を……?


 高秋はひとり、秋奈のその呼び方に怯えていた。

 

 止めさせようと、高秋は何度何度も「パパだよ秋奈」と教えたり、パパ以外の『お父さん』や『父』などの別の呼び方を教えた。しかしその度に「違う」と、秋奈は首を横に振り『たかぽん!』と呼ぶのだった。



■■■



 秋奈が4歳になった頃であった。高秋の妻が言いにくそうに言った。


「あの子、何だか私のこと嫌ってるみたいなの……」


 は?と、高秋は眉間にしわを寄せた。秋奈は部屋で眠っていた。

 会社の付き合いで深夜に帰ってきた高秋は、茶漬けを啜りながら妻の話しに耳を傾けていた。


「何言ってるんだ?そんなわけないだろ」


 高秋はため息混じりに言った。


「でも……」


 と高秋の妻は言って、静かに視線を落とした。


 この頃、仕事が多忙で。ろくに妻の顔を見てなかったことに高秋は気づいた。久々に見た妻の顔は、顔色が悪く頬が微かに痩け、目の下には真っ黒な隈ができ、ヘアゴムでひとつに纏めた髪は乱れていて、ひどく疲れきってるように見えた。


「……どうした、秋奈に何か言われたのか?」


 高秋はテーブル向かいに座る妻の手をそっと握り、そう聞いた。すると、高秋の妻はゆっくりと顔を上げ、高秋の眼を一瞥すると、ふるふると静かに首を横に振った。


「じゃあ、何かあったのか?」


 と、高秋は妻に問うた。


 すると、高秋の妻は、ゆっくりと口を開いた。


「特別、何かあった訳じゃない……けど。時々、秋奈の私を見る目つきが怖いの。私のことをひどく怨んでいるような、妬んでいるような……そんな呪いみたいなものを感じるの。そう、あれは、好きな男をほかの女に奪われた女の嫉妬の眼によく似てる」


 「そんな馬鹿な」と、高秋は溜め息を吐いた。


「本当よ、あれはそんな眼なの!」


 と、高秋の妻が声を荒らげた。


「あなたには分からないでしょうけど、あの子時々あなたの子としてじゃなく、女として……女の眼で、あなたを見てることがあるの。それに最近からじゃないわ、もうずうっと前から、秋奈はあなたのことをそんな眼で見ていたのよ!そして私は秋奈とって、愛する男を奪う憎い女!あの子はあなたのことを女として愛して──」

「いい加減にしろ!」


 高秋は怒鳴り、平手でテーブルを叩いた。が、現在時刻が深夜の1時で、部屋では娘が眠っていることを思い出すと、はっと我に返った高秋は、娘の眠る部屋の方に目をやった。だが、どうやら秋奈は目を覚まさなかったようだ。

 高秋は大きく溜め息を吐くと、小声で妻に言った。


「いいか?秋奈は正真正銘、俺と君の子だ。俺のことを女として愛してるとか、君のことを怨んだり呪ってるとか、どう考えてもおかしいだろ。それにまだあの子は4つだぞ?人に嫉妬したり、妬んだりなんてまだできないし、そんなこと知らないだろう」

「でもっ……!」


 ぽろり……と、高秋の妻の目から1粒の雫がこぼれた。啜り泣く声が、静かな空間によく響いていた。


「……怖いの。秋奈のことが。自分のことが。自分の娘だから愛しいはずなのに、あの子があなたと楽しそうにしてると憎いとか思ってる自分がいるの……私は、母親失格ね」


 両手で顔を覆い涙で声を濁らせながら、高秋の妻は言った。

 すると、高秋は席を立って妻の後ろに回ると──……ぎゅっと、妻の体を優しく抱き寄せた。


「ごめんな。忙しさにかまけて、家事も育児も全て君に任せっぱなしにしてたせいで……君がこんなになるまで気づかないなんて。俺こそ、君の旦那失格だよ」


 そう言いながら、高秋はさらに妻を抱き寄せた。高秋の妻は、高秋の胸の中でふるふると小さく首を横に振った。


 しばらく、高秋は妻の体を抱きしめていた。すると、高秋の背中がゾクリっとした。何処からか、強い視線を感じたのだ。それは、秋奈の眠る部屋の方からだった。

 高秋は席を立ち、恐る恐る秋奈の眠る部屋の襖を開いた。


 カタッ……


 襖を開けると、秋奈は布団の中ですうすうと心地よさげな寝息をたてて、グッスリと眠っていた。


「どうかしました?」


 背後から高秋の妻が言った。高秋はびくっと小さく体を跳ねさせた。


 気のせいか……


 高秋はそう心の中で思いながら。


「……いや、何でもない」


 と、静かに襖を閉めた。



 それ以来、高秋は時折強い視線を感じるようになった。ねっとりとした……念が纏わり付くような、そんな胸苦しくなる視線。そして、その視線の先には必ず愛娘の秋奈がいた。特に、高秋が妻と仲良くしている時には、一段と強く刺さるような視線を──殺気のようなものを、感じた。

 それが秋奈の視線だと、高秋は俄には信じられなかった。その視線の送り方は、どう考えても無邪気な子供のものではなかった。そして、その視線の送り方に……高秋は覚えがあった。

 

 高秋はそんな秋奈の視線に怯えながら、けれども愛しい我が子である彼女を甚く慈しんだ。





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