第46話 姫昌 スローライフ満喫、一方で東方と南方で反乱が起りました
初めまして!原 海象と申します。
今回は有名な『封神演義』の編集・アレンジバージョン『封神伝』を投稿致しました。
「封神演義」は明代以前に発行された神魔小説で、今の形になったのは明代の編者 許仲琳によって現在の形になりました。また漫画やアニメとなったのは安能務先生の封神演義版によって一代ブームとなり、皆様のよく知っている形となりました。原作と安能務先生の翻訳ではかなり違いがありますが、ライト小説らしくできるだけ読みやすいようにしております。
<封神伝>
第46話 姫昌 スローライフ満喫、一方で東方と南方で反乱が起りました
その頃、紂王は費仲と尤渾に向かって話していた。
「姫昌は明日、太廟から火が出ると言いおったが、もしそれが当たったらどうしたものだろうか」
費仲に最近いいところばかりとられているので尤渾は即座に答えた。
「明日、太廟の、守りの役に厳重に守りにつかせて、香を焚くなと命令すれば、火など上がるはずがありません」
紂王はもっともだと言い側近に命じますと後宮に戻って行ったので、費仲と尤渾も退潮して行った。
翌日になって、武威王黄飛虎は約束通り七人の大臣と大殿に集まり正午を待って、陰陽官に時刻を知らせるように命じた。やがて陰陽官が「ただいま正午です」と伝えた。
一同は太廟から火などが出ないので、これはたいへんなことになったと慌てた。
そのときである。ふいに空中に雷鳴が轟き、山河が揺れたかのように落雷が落ちた。
すると、別の陰陽官から慌ただしく報告をしてきた。
「申し上げます。只今太廟から火が出ました」
姫昌を助けたい、しかし占いは当たってほしくないと思っていた比干はこれを聞いては長い溜息をついた。
太廟から火が出るというのは異常なことだ。高祖成湯以降の先王が建国された商王朝の天下も長くはあるまい……。
比干の内心を知らない黄飛虎は「これで姫昌殿の死罪は免れたな」と安どして言った
人々は王府を出て火事の様子を眺めていた。火は天をも突くような勢いで燃え上っていた。この時、紂王は文武諸官を招集していた。そこへ奏御官が来て「正午に太廟から火が出ました」と報告する。これを聞いたさすがの紂王も驚き言葉もでないありさまで、費仲と尤渾の二人もお互いの顔を見てびっくり仰天するばかりで、さらには文武諸官からは姫昌は聖人だったのかと思いすら出始めた。
紂王は恨め難しく費仲と尤渾に言った。
「姫昌の卦は真実に当たった。太夫!どうしたらいいだろうか?」
費仲、尤渾は慌てて奏上した。
「偶然に当たりはしましたが、たちどころに放免し、帰郷させるというわけにはまいりません。大臣達の口うるさい諫言を避けようと思われますなら、死罪を免じておいてこのように取り計らえばよろしいのです。こうしてこそ安定は守られ、手ごわい臣下が乱を起こす心配も無くなるというものです」
そこへ黄飛虎、微子、比干らが来た。
「太廟から確かに火が出ました。陛下、姫昌殿の占いは当たりましたぞ。どうか姫昌殿の直言の罪をお許しください」と比干が申し出る。これに対して紂王は費仲の策のとおりに言った。
「わかった。占いが当たったゆえ、姫昌の死罪は許す。しかし、帰郷は許されず。しばらく一ヶ月余りは王領の羑里に住まわせ、のちに国が安泰となってから帰郷させることとしよう」
比干たちは陛下のご恩に感謝して退出し、ともに午門まで来た。比干は姫昌に向かって言った。
「貴候のために陛下に上奏したところ、死罪は放免されたが帰郷は許されず、しばらく一ヶ月余りは王領の羑里に住むようにということでした。まずは心を安んじてこの処遇に耐え、陛下の気が変わるのを待てば、必ず晴れて帰郷できましょう」
比干の慰めの言葉に、姫昌は叩頭した。
「今日、陛下がわたくしを羑里に拘禁されたのも、広い恩というものです。これに背く理由などありません」
黄飛虎がそれに対して言った。
「なに、一ヶ月余りの辛抱です。羑里に長く拘留させられぬように、我らが機を見て必ずや貴候の為に尽力しますから」
姫昌は大臣達に礼を言い、午門にて宮殿に拝礼してから護送官に連れられ羑里へ向かった。
*****
羑里の将兵や民は、山羊を退き、酒樽を担ぎ、道の両端に集まって姫昌を出迎えた。そして口々に、「羑里に聖人様が来れた」と騒ぎ出し喜びあった。
喜びの声があちこちで上がり、鼓の音が響きわたる中、姫昌は城内へと迎えられた。護送官は
「聖人の心は日月のごとく四方をあまねく照らすという民がこうして迎える様子を見れば、姫昌さまが罪なき者であることが分かると言うものだ」とこれを見て感嘆した。
やがて姫昌は邸宅に入り、護送官も朝歌に戻って行った。
姫昌は羑里に来てからまもなく、地元の道徳や風紀は改まり、将兵や民もそれぞれ己の暮らしに安んじるようになった。また、姫昌は時間がたっぷりあったので先天の八卦を取り出し繰り返し六十四卦に増し、それをさらに三百八十四卦に分けることを行った。その間自分を知り、君主を憎む気など少しも起きなかった。
さて、紂王は姫昌を拘束してなんの憂いもなく連日宴を催していた。
しかし、ある日一通の知らせが元帥府届いた。元帥府の主である黄飛虎が封書を開くと
『東伯候の息子 姜文煥が反乱を起こし四十万の兵を率いて遊魂関を攻め落としたとある。また南伯候の息子 鄂順が謀反を起こし、二十万の兵を率いて三山関を攻め落とした』と書かれていた。天下四百の諸侯が反乱を起こして立ち上がったのであった。
黄飛虎は肩を落としため息をつかずにはいられなかった。
「東。南の大諸侯が兵を起こしたとは!天下の人心は大きく揺れることになる。万民が安んじることができる日が再びくるのは、いったいいつのことやら……」
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さて、話は変わる。乾元山金光洞の 太乙真人は、神仙が千五百年目に殺人の戒を破り、それを慕って、天下が大乱したのち安定を取り戻すことを悟った。また、姜子牙も将を斬って神に封じるべきときがきたこと、また、成湯の天下は滅び、周朝がまもなく興ることを知り、その為に玉虚宮に行って道を教えていた。
その日、太乙真人がすることがなく洞内で錬気を行っていると崑崙山玉 玉虚宮の白鶴童子が玉札を手に持って訪れた。真人は玉札を受けとって、玉虚宮に一礼をした。
白鶴童子は言った。
「姜子牙がまもなく山を下りますので、師叔は霊珠子を下山させてください」
「わかっておるわ!」と太乙真人は怒鳴りつけるように答えて、これを聞いた白鶴童子は慌てて本山に帰って行った。




