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封 神 伝  作者: 原 海象
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第2話 紂王 東宮(王太子)へ擁立の経緯

初めまして!原 海象と申します。


今回は有名な『封神演義』の編集・アレンジバージョン『封神伝』を投稿致しました。


「封神演義」は明代以前に発行された神魔小説で、今の形になったのは明代の編者 許仲琳によって現在の形になりました。また漫画やアニメとなったのは安能務先生の封神演義版によって一代ブームとなり、皆様のよく知っている形となりました。原作と安能務先生の翻訳ではかなり違いがありますが、ライト小説らしくできるだけ読みやすいようにしております。


<封神伝>

第2話 紂王 東宮(王太子)へ擁立の経緯



紂王の父、商王朝第二十九代の王、帝乙には三人の王子がいた。第一王子は微子啓で第二王子は微子衍えんである。紂王は第三王子で幼名を季子という。

ある日、帝乙が庭園に遊び、文武諸官を率いて牡丹を眺めて楽しんでいた。すると突然、飛雲楼から一本の梁が落ちてきた。とっさに、第三王子の季子が両腕で柱の代わり梁を支え、帝乙の命を救った。

建物の屋台骨である梁が落ちる。これは国家の凶事であり、第三王子が支えるということは慶事でもある。そこで占い師を統括する天台官はさっそく斎戒沐浴をして甲骨を火にくべ、焼けて現れた割れ目で吉凶を占ったが、亀裂は現れなかった。



前代未聞のことである。天台官は何度も甲骨を火にくべたが一向に亀裂は現れなかった。

困り果てた天台官は、意を決して商王朝で三代にわたって仕えた聞仲太師に相談をすることにした。


聞仲太師は昔、崑崙山で仙術の修行を修めてたことがあるが「仙骨がない」とのことで下山をさせられた経緯がある。「仙骨がない」ということは仙人になる素質がないに等しい。しかし、聞仲は諦めず崑崙山とは流儀の異なる金鰲島きんこうとうで修行をし直した。そこで兵法を極め、武術に長けているばかりではなく、道術・玄術にも通じた。


天台官から相談され本来であれば、職域を犯すことになることから聞仲自身は一切発言をしなかったが、今回の件については聞仲自身首を傾げることであった。

というのも、第三王子季子が生まれた際に聞仲の乗獣である黒麒麟が季子の産声に合わせるように唸り出した。そして今回の事件の吉凶を判断することができない。


聞仲は黒麒麟に聞いてみてはと考えてみた。


黒麒麟は神獣で雲に乗って空を駆けることができ、人語は話せないが人語を理解することができる。その為、神獣であるから物事の吉凶も見抜くことができる。

しかし、黒麒麟に質問をしても首を縦にも横にも振らず、表情も示さない。

天台官は途方に暮れたが、聞仲は季子の育て方次第であると悟った。


******


十数年の月日が流れ、季子は元服して名を寿王と改められ、宰相の商容、上大夫の梅伯、趙啓らは寿王を東宮(王太子)にと上奏した。こうして第三王子であった寿王が東宮に立てられたのである。

そして五年後には帝乙は三十年在位して崩じた。東宮の寿王は聞仲太師に託され天子の位についた。


そして、紂王と名乗り、朝歌ちょうかに都を建てた。朝廷では文武百官の信頼と尊祟を一身に集めた聞仲太師が控えている。そして政治は老練な三代にわたって仕えた宰相商容が取り仕切っていた。商王朝の武神といえる鎮国武成王黄飛虎が百万の大軍を統御して、鎮国武成王として天下の諸侯に睥睨へいげいしていた。これにより紂王の政治を支え国内は太平に治められた。


また、紂王には三人の王后と王妃がいた。中宮の元妃姜氏、西宮の妃黄氏、啓慶宮の妃楊氏、いずれも品行正しく心優しい上に、賢明で貞淑な優れた王后妃たちであった。

紂王は天子として無事に国を治め、民も安心して暮らし、気候もよく平和な日々が続いた。周辺の部落も紂王に従い、八百の諸侯も商に帰順した。この八百の諸侯は四人の大諸侯により統率されていた。東魯に住む東伯候姜桓楚、南伯候鄂崇禹、西伯候姫昌、北伯候崇侯虎。この四人がそれぞれ二百もの小諸侯を率いていた。


紂王が即位して七年目の春二月に、急な知らせが朝歌にもたらせられた。北海の袁福通えんふくつうら七十二諸侯が謀反をおこした。聞仲太師が命を受けて、二十万の兵を率いて朝歌の城門を出て北征に向かった。聞仲が二十万の兵を率いて朝歌の門を出たときには事件はもう解決されたと考えられていた。

だから、毎朝文武百官を集めて開かれる朝議でも、聞仲太師の北海遠征が議題にあがることがなく。その為、朝議は事実上天子の朝の挨拶をする朝賀の儀式と化していた。


ある日、紂王は早朝に文武百官を招集した。

「上奏することがあればよし、なければこれで退出する」

すると、言い終わらないうちに右列から一人の者が進み出た。金階の上に平伏し、しゃくを両手で高く揚げ、万歳を唱えつつ口を開いた。

「不詳、朝廷で法紀を司る商容が申しあげます。明日は三月十五日で、女媧さまの生誕の日でございます。陛下、ぜひとも女媧宮へ参拝なさいませ」

「女媧にはいったいどんな功徳がるというのだ?君主たる余が、わざわざ参拝に行かなければならないのか?」

商容は聞仲の北海遠征の吉凶を憂いていた。天下泰平はそうやたらと続くものではない特に政治の世界では失政などなおさらだ。だから商容は神の加護、女媧さまの加護にすがろうと考えた。その為紂王に女媧宮詣でを進言したのであった。


「女媧さまは、上古の有徳の娘々(女神)でございます。その昔共乙きょういつが崑崙山の西北にある不周山に頭をぶつけ、天の西北が傾き、地の東南がへこみましたとき、女媧さまが五色の石を使って天を補ったため、民は救われたのでございます。民はその恩を忘れず女媧宮を朝歌の郊外に建てました。度重なる地震に朝歌の城が耐えられたのは、女媧さまの加護の賜にほかありません。朝歌で女媧さまを祭れば、四季は平安、国運も末永く続き、気候は温暖にしてわさわいを退けることができるというもの。まさに国と民を守る神といえましょう。陛下ぜひとも参拝なさいませ」

「ではそういたそう」と言って紂王は退屈していたこともあり、即座に聞き入れた。


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