1日目…北の森
ガサガサッ
クロムとリンの騒動より、幾分かさかのぼる時分になる。
バークの北の外れ、冴えない緑を生い茂らせる森。
歴史が古いことを物語るように、樹皮のただれた大輪が数多くそびえ立っているものの…地質が良くないのだろう、
まばらに生えた葉を通り抜けて中に陽が良く差し込んで来る。豊かさや瑞々しさは感じられないものの、光の漏れ入る
隙間のないくらいこんもりと緑々しいよりは、かえって悪くない雰囲気であった。
それでも、その果てしないだだっ広さゆえか、好んで中へ踏み入る者は少なく、土地の人には『忘れられた森』という
名を頂戴し、ありもしない怪話も飛び交う未開の森であった。
そんないわく付きのエリアを、さっきから一人の少年がうろついていた。
言わずもがな、ネオン・エドラーである。
彼の、若芽のようにつややかな緑髪が、冴えない緑の彩る森の中をうごめき、同系のカーキ色のトラベルウェアに
身を包んだ風体は、全く森と同化していた。
ネオンは何かを探し回るように、無作為に散策していた。自分の動きと合わせ合わさず、これまた澄みきった
グリーンの瞳がくるくるとよく動いている。
また時折上を見上げ、木々の間から透ける、ほぼ真天井に上がった陽の位置を確認する。
「…大丈夫。まだ戻れる!」
…さらりと危なげなコメントを口にしながら。
ネオンの森散策に当てはなかった。
先刻13時頃この町に着き、宿をチャーターし、適当にお腹を膨らませてしまうと夕方まで特にすることが無くなった。
誰ぞと話をしようにも、クロムは早々に宿を出て行ってしまうし、テルルは生活費稼ぎのために宿の手伝いをすると
言い始める。リンに付き合おうにも…行き先が酒場であろう彼女に、あまり酒が得意ではない身で付いて行くのは
気が引けた。
仕方なく、暇つぶしにこの森へ来てみた、という訳である。
クロムの言う所によれば、現在のバークには危惧すべき[彼ら]の気配は無いそうで、一人で行動しても多分平気だろう。
彼自身、このことがいい機会だと感じていた。
…来てみたら来てみたで、この薄寂れた森の中にも案外おもしろい発見はあるものだ。見たことのない植物や新鮮な
景色がネオンの興味を引き、彼をどんどん森の奥へ導いていった。
「――っう…!」
――するとにわかに、ネオンの鋭い嗅覚が、草の匂いでも土の匂いでもない異様な『臭い』を嗅ぎ取った。
思わず顔をしかめる。
血の混じったような、生き物の臭い。
そして、人並み以上によく聞こえる敏感な耳で、何かが吠える声も聞き取った。
…犬…?
一匹ではないようだ。複数で、けたたましく鳴いている。しかも、そんなに遠くない。
ネオンの胸が高鳴る。
――少なくともこの先で、何か『異変』が起きている――
そう感じ取った。
…次の瞬間、ネオンはその方向へ走り出していた。
少しの躊躇もなかった。不安に思うより、何が起こっているのかの確証を得たい気持ちが勝っていた。
履き慣れた茶色のスウェード靴が、軽快に地面を蹴る。腰に無造作に巻きつけられた赤いストールが、風の様に
走る彼に合わせて、しなやかになびく。
先程感じ取った気配は1ヶ所に留っているようで、順調に近づいているらしかった。
やがて、あと少し、という所で足を止める。
適度に上がる息がおさまるのを待つ傍ら、背中に下がるミドルソードを確認した。呼吸を整え、大木の陰から慎重に
顔を覗かせ、行くべき先をうかがう。
瞬時、ネオンは身体のまわりに寒気を感じ、思わず自分の両腕で肩を抱いた。
その先にある土地だけが薄暗く、湿気を帯びた異様な雰囲気をかもし出していたのである。
…ネオンの視線の先には、鳴き声の主であろう野犬が確かにいた。総勢は5,6匹というところで、何かに向かって
唸り、牙をむき出し、毛を逆立てている。
…一体、何が起こっているんだろう?
と、ネオンはそれらが顔を向ける先へと視線を動かしていく。
「!!」
そこには、また数多の野犬がうごめいていた。体躯が黒いせいか、剥き出しになった顎から覗く鋭い牙が異様に白く
光っている。
黒い者共はその牙と鉤爪を使い、何かを囲っていたぶっているようだった。
ネオンは目を凝らす。
…人だ!! 血混じりの臭いは確かにそこからしている――
「〜〜〜!!!」
ネオンは何事か叫びながら猛接近していった。
背にあったソードを鞘ごと繰り出し、振り回しつつ足で野犬をなぎ払う。
野犬共は突然の横入りに一瞬ひるんだが、たちまち交戦の構えを取り、場を蹴散らすネオンに牙を向けた。
ネオンはソードを駆使し、彼らからの直接の攻撃を防ぐ。
ふとネオンがちらと、うずくまるその人物に注視すると、ネオンが現れてもまだしつこく牙に襲われ、既にその全身は
その者のものであろう血で染まっていた。顔を埋め、両の腕で喉を必死に庇っている。
ネオンは唇を噛んだ。
「…うわぁっ…!!」
とその瞬間、よそ見をしていたネオンの隙を突いて、野犬がネオンの左足に噛みついた。痛みと野犬の勢いとで、
あっさり地面に倒れこむ。
野犬はそれを期に、一気に彼を襲う。が、
「あ・あ・あぁぁ――――!!!」
直後、ネオンは森の外まで響くくらいの、大声を発した。
襲いかけていた野犬は驚愕し、そのままちりぢりに離散していった…
「……」
と同時に、周囲に立ち込めていたよどんだ空気も消え、辺りと変わらない明るさを取り戻していた…
……。
野犬は戻って来なかった。
安全を確認すると、ネオンは長く息を吐き出しながらその場に寝転がった。そのまま頭の中が徐々に白くなるようで
あったが…ふと視線を横に向けると、途端にパッと起き上がる。
「おいっ…大丈夫か!?」
木の根元でうずくまる、その人物に駆け寄った。きつく押し当てられたまま固まってしまっている腕を首からはがし、
丸まった体を背後の木に預けさせる。力無くうつむいた顔を恐る恐る覗うと、苦しみに歪ませたまま気絶している
ようで、ネオンがその顔をピタピタと叩いても、気付く様子は全く無い。噛まれ、裂かれた体中から出血が続き、
地面に嫌な染みを作り始めていた。
恐らく、非常に危険な状態である。
先ほどの野犬との一戦と、目の前に映る惨状とで、ネオンの鼓動はドクドクと大きく脈打っていた。
ネオンはパニックを起こしそうになっている自我を抑え、落ち着きを取り戻そうとする。
人物から数歩離れて目を閉じ、大きく静かに息を吐き出し、冷静に考える状態を整えた。
「――…」
……水と薬草。きつけと応急処置…とりあえずそれくらいしかこの場では出来ない。
ネオンは素早く立ち上がり、口の中で目的を反芻しながら、その場を走り去った。
ネオンにしては上出来の判断だった。
数分後、ネオンは先ほどまで散策していたついでに摘んだ草を入れていた皮袋に水を、手には彼が厳選してきた
傷に効く薬草を握り締め、一目散に戻ってきた。
目的の人物は、さっきと変わらずにいた。ネオンは気が付いていないかと、下から顔を覗き込む。
そして初めて直視し…驚きに目を見開かせた。
「…うわ、きれー…」
体格からして先程から察しがついていたが、男だった。
目を閉じ、うつむき加減で正確には見当つかないが、ネオンらパーティーメンバーとほぼ同年らしい容姿だった。
この世界にしては珍しい、細縁楕円形の眼鏡をかけていることにも目を引かれたが、中でも彼の髪色が、ネオンの
視線を奪った。
…真っ白だぁ…!
木漏れ日の光を反射して輝く髪色は、単なる白髪と形容してしまっては勿体無いくらい繊細だった。もっとも、
今はそれが赤黒くこびりついた血と土の汚れで、幾分鈍くなっていたが。よく見ると、閉じた瞳に被さる睫毛も白い。
ネオンは布の切れ端に水を含ませ、男の口元に持っていき、静かに絞った。少量の水が口の中へ流し込まれる。
「…んっ…」
すると、男は気がつき、軽く咳き込んだ。ネオンはほっと安堵の表情を見せる。そのまま彼の顔についた汚れを
落とし始めた。
男は薄目を開け、うめくように小さく声をあげた。
「…君…は…」
「いいから! じっとしてなよ」
やや身じろぐ彼を制しながら、ネオンは外傷を調べる。
腕や足、横腹にまでおびただしい数の噛み傷の痕が広がり――それら一つ一つが結構な深手で、それなりの
時間が経っているにもかかわらず止血に至っていなかった。
ネオンは困惑した顔をする。
持ってきた薬草だけじゃ、足りないかなぁ?
とりあえず、ある量でだけでも処置をしようと、薬草を一束、手の中でもみ始める。すると、それを見た男がネオンの
視界に入るように手を挙げて揺らした。
「…いいよ、薬草は…」
「何言ってんだよ、あんた、血だらけじゃんか」
「…放っておけば…すぐ治るから…」
「放っておけねーっての!」
勢い良く首を横に振って、ネオンは男を言い聞かせようとする。
ところが、また男はこう続けた。
「…いや、本当にいいから… …それに…、違うんだ…」
今の彼の一言で、やや強引気味に続けようとしていたネオンの動きが、ピタッと止まる。
「…え?」
「それ…眠気覚まし…」
「…え゛ぇっ!!? ウソ!!」
ネオンは酔狂な声をあげ、懐から使い古された小さな図鑑を取り出し、たどたどしい所作で手にする薬草と今一度
照らし合わせる。
…ホントだ…
「…ごめん、間違えちゃった…」
先程の強引さとはうって変わり、済まなそうにうつむいてしまった。
そんな表情がコロコロ変わるネオンに、男は苦しそうな表情から軽く笑顔を見せた。
「謝ることはないよ…」
「…いや、今度は間違い無く怪我に効く薬草採ってくるから!!」
「え、だからいいって…」
男は再び断ったが、このことがネオンの意地に火を点けてしまったらしい。
また一層の強い決心を固め、
「じっとしてろな! 動いちゃ駄目だぞ!!」
と言い残し、走り行ってしまった。
ところがである。
今度こそ本当に傷に効く薬草を手に、ネオンが息を切らして戻ってくると、
「――あれっ!?」
はたして男はそこにいた。
が男は、うずくまったまま顔をあげることさえ出来なかったさっきまでのが一変して、ネオンに笑顔で手を上げていた。
唖然としているネオンが近付くや否や、男はヒラッと立ち上がり、彼を迎えた。
まるで体中にあるだろう鋭い痛みを時に忘れてしまったかのように。
全身はまだ赤黒く汚れたままであったが、恐らく衣服にこびりついているものにすぎないのだろう。
「…あんた…もう平気なのか?」
ネオンは驚きに不可解さを交えながら、問う。
「ああ。ありがとう、さっきはお礼も言える状態じゃなくって…」
男はそれにも普通に、さらっと答えた。そして、ネオンのなりを見て逆に問う。
「…それ…もしかして、さっきの奴らに…?」
男に指摘され、ネオンは自分の足許を見る。
「ん…げっ!?」
この男に夢中になっていて、ネオン自身も先程の野犬に左足を噛まれていたことをすっかり忘れていた。
ネオンの左足はくるぶしを境にそこから下が、血で服や靴をどす黒く色を変え、見るも痛々しいことになっていた。
「…ってぇ…!!」
見て思い出した途端、患部が激しく痛み出したようで、反対に今度はネオンがその場にうずくまってしまった。
放って置いたまま動き回ったためか、傷口の状態や出血が、だいぶ悪くなってしまっているようだ。
男も怪訝そうな顔をしながら、かがんで彼の足を診る。
「今採ってきた薬草を使おうか」
「う、うん…」
男がネオンの手から薬草を拝借する。途端、男の目が丸くなった。
「…これ…」
「え?」
「また、違う…今度はしびれ草だ…」
「……」
ネオンは目が点になり、そしてみるみる半べその表情になった。
「おれ、また間違えたのかぁ…?」
泣きそうな声を上げ、がっくりとうなだれる。
その見事な百面相っぷりを見、男はたまらず声をあげて笑い出した。
ネオンは力無げに、すねた顔を向ける。
「笑うなよっ! …おれがこんなに悔しがってるのに」
「ごめん…でも、もう限界。…お前、面白い奴だなぁ」
くっくと笑いながら、ネオンの左足を手に取る。
すると、彼の手の周りがぼんやりと淡く明るくなり、傷跡が光に包まれた。
「うわ…」
最初は驚いたネオンだったが、鋭い痛みが徐々に和らぎ、消えていくのを感じた。それどころか、見事に刺さった
牙の跡も薄らいでいくようであった。
しばらくその状態が続き…やがて男が、手をそっと離す。
「どう? 痛くないか?」
ネオンは興奮した面持ちで、首をぶんぶん縦に振った。
「すっげー!! あんた、そんな力――」
「シド」
「…へ?」
「シド・レーン。 …自己紹介」
そう名乗り、男…もといシドは人懐っこそうな笑顔を見せた。
ネオンは彼のその顔にしばらく注視してしまったが…はっと我に返り、
「…あぁ!! お、おれね、ネオン・エドラー! よろしくっ!!」
あわてて名乗り返した。
彼のあからさまに動揺している様子を見、シドはまたさも可笑しそうに笑った。
そして改めてネオンの方へ向かい、会釈する。
「改めて――ありがとう、助けてくれて。怪我までさせて…すまなかったな」
その彼の丁寧さに、かえってネオンは慌ててしまった。シドより更に深く、勢いよく頭を下げる。
「何言ってんだよ、おれの方こそっ! 怪我治してくれてありがとぉっ!!」
見上げると、やっぱりシドは笑っていた。
シド・レーン。
髪色は何度見ても純白で、無造作に短めにカットされて風に揺れていた。瞳の色も白に限りなく近い薄緑で、
肌や唇の色も薄く、全体的に“透明”な印象を受けた。年や背格好はクロムと同じくらいで、形からして旅剣士風。
ダークグレイのロングコートをはおり、腰で厚めのベルトを締め、固定している。内側にはコートと同系色の、
バトルスーツに近いものを身に付けているようだったが、腰に下げているのはネオンの持つそれより小さく細い、
本来護身用に多く持つショートソードだけだった。
…ネオンはさっきの怪我の治療法も含め、彼は剣士では無いのではないかと考えた。
「シドは、剣士じゃないの? さっきのアレは、魔法?」
ネオンの問いに、シドは少し考えるような顔をした。
「う〜ん…いまいち職種がはっきりしてないんだけど。魔法って言っても、さっきの『治癒』しか使えないんだ」
「でも、使えるだけすっげーじゃん? 憧れるよ、おれ」
興味深げに見上げるネオンに、シドは素直に嬉しそうな表情をした。
「いいよなぁ〜、そしたら薬草なんかいらねぇもんな。…あ、そうかぁ、さっきの怪我も、シドが自分で治したのかぁ!」
「…!」
ネオンのひらめいた言葉に、シドは少し言葉を止めた。しかしすぐにとりなす。
「…うん、まぁ…そんなとこかな」
と言い、自分の腕をさする。
この時には既にさっきの流血はおろか、傷口も浅くなり、歯型が少し残っている程度にまで回復していた。
ネオンは改めて、彼の回復魔法という能力に驚いた。身近なところでテルルという魔法士がいるが、回復魔法は
覚えてないのか、今まで一度も使ったことが無い。
そこで、こう切り出す。
「…なぁ、シドは旅してるのか?」
「そうだな。ずっと、各地を点々と」
「これからどっか行く気なの?」
「いや、まぁ旅の途中ではあるんだけど…どうにしろ、こんな格好じゃ続けられないからな。この先に町あるだろ?
そこに寄ろうと思ってるんだ」
そう返すシドの言葉を聞いて、ネオンは声を張り上げた。
「じゃーさ、おれの泊まってる宿来ない?」
「え…」
「おれもパーティ組んで旅してるんだけど、そいつらと一緒にそこに泊まってんだ。あんたまだそんなだしさ、
一人で泊まるよか絶対いいって! な?」
目を輝かせながら、ネオンは懸命に誘った。
ネオンはシドと出会ってからたちまちのうちに、彼の能力や容姿、垣間見える内面などに興味を引かれていっていた。
ネオンの掻き立てられた好奇心は、彼とここで別れる気には到底させなかった。
血だらけの彼の腕を加減しながら、それでも必死に掴む。
「……」
シドは困ったような表情を見せていたが、ネオンのあまりの真剣さぶりに、また少しくすりと笑った。
切れ長の涼やかな瞳が、ネオンに笑顔を見せる。
「…うん、じゃあ、お言葉に甘えて」
「…いいの!? やったぁ!!」
ネオンは飛び上がって喜んだ。
シドも笑って、頬を赤らめてはしゃぎ回る、ネオンの様子を眺めていた…
2011/1/2 一部改変