4日目…布石(1)
シドはその後、イレーナが落ち着くのを待って、改めて自分の胸中を彼女に伝えた。
「――わかりました。貴方の意思を尊重しましょう」
シドの真摯な言葉に、イレーナは黙って耳を傾け…そしてしっかりと頷いた。諦めたような、浮かない
素振りではなく――どこか吹っ切れたような、潔い表情を見せながら。
「すみません、ここまでご足労頂いたところなのに…」
「貴方が気にすることではないのよ。それに…やはり間違っているわ。王家の側から手放した貴方を、
こちらの都合で呼び戻すことは出来ません」
「シドが戻らなかったら、どうなるんだ? 大丈夫なのか??」
そこで不意に横から挟まれたネオンのもっともな疑問に、投げ掛けられたイレーナは思案するように、
眉を少し寄せた。
「…法に従うのなら、次期王であるオリバーの回復を待つしかありません。ですが…今のところその兆しは
全く見えないままね」
「そんなに…悪いんですか」
「ええ。前王が崩御なさったのが、2か月前。それからすぐ後に、急に意識を失って…目を覚ますことも無く、
寝たきりになっているわ。国のあらゆる医師や祈祷師達に診させ、あらゆる手を尽くしましたが…病名さえも
わからない」
「魔術師には?」
シドの質問に、イレーナは首を横に振る。
「亡くなられた前王の意向で、魔術師は入城させないことになっているの。なんでも、長年召しかかえていた
城内魔術師に、毒を盛られそうになったとかで…」
「しかし原因が分からないのであれば、術や呪いの類を疑うべきなのでは?」
「ええ。王太后様はそういうものに懐疑的で、毒物騒動後は毛嫌いするほどになられておいででしたから、
何らかの病であると信じて疑わなかったけれど…診察に当たらせた医師の中に術学にも明るい者がいて、
側近へ内々に、呪術の可能性が高いと告げたそうよ」
「じゃあ、病気じゃないってことになるのか? …どういう状態なんだ?」
ネオンの質問に、イレーナは深く考え込むように、頬に手を当てる。
「…詳しくは私にも判りません。感染するかもしれないと、親族は直接の面会を制限されているのです。
ですから私のお話しできることは全て、側近や侍従からの聞き伝手でしかなく…あまり正確ではないの」
「それでも構いません。…何か…わかるかもしれない」
言い淀む彼女をシドが後押しし…イレーナは一つ頷いた。
「付いている者の伝えによれば…先ほど言った通り意識混濁と、慢性的な失血状態。それから、突然出来る
内出血や打撲痕、骨折も何の前触れも無く起こるとか…」
「失血、骨折…?」
「ええ。治しても別部位に移るように、全身に次々と現れるそうよ。…実は、それは前王も同じで、
症状が出てからいくらも経たずに崩御なさってしまわれました。前王は随分歳をお召しでしたから、
衰弱する御身にお心が持たなかったのでしょう」
「……」
「判った当初は、接触した者に感染する病だと思われていましたが…その後他に前王や王子に接触した
者には、同じ症状は現れず…やがて、何らかの遺伝的な要因があると結論されたのです。それで、私達親族は
面会できずに――」
「どうした? シド」
イレーナは懸命に、自分の知る限りの状況を言葉にしていたが、途中で発せられたネオンの声に気付いて
はたと顔を上げる。いつの間にやら、聞かせていたと思っていたシドの視線が、自分から外れていた。
「…――? …どうしたのです?」
「シド? おい――」
彼女は首を傾げて顔を窺い見るが、シドは何も無い空間を凝視したまま動かない。目が大きく見張り、
しかし焦点が見定まっていないようで、薄い瞳が小刻みにぶれ動く。
イレーナとネオンが怪訝そうに見守る中…彼の中で思考が急激に走り巡っているのか、シドは目を
見開いたまま、独り言のように呟く。
「……まさか…、――…!!」
――あなたの『呪い』は、対になっているの。あなたが受けた痛みを、分つ存在がいる――
「……」
しばらくの間、3人はそのまま固まり…ネオンがたまらず、もの言いたげにシドへ手を伸ばすと、不意に
彼は硬直を解き、顔を上げた。思わずのけ反ったネオンと、物憂げに自分を静観していたイレーナを、
真っ直ぐに仰ぐ。
「オリバーは、元に戻れると思います。…多分、俺次第です」
シドの言を聞き、とにかく他の面子へ報告をと、3人は急ぎ宿へ引き返した。
宿に戻り、部屋に近付いていくと、やがて聞き知った声色の高笑いがネオンの耳に届く。
目を丸くするネオンに、同じく笑い声の聞こえたシドが後ろから尋ねた。
「…何だか賑やかだね」
「――あ? う、うん…」
事情を心得てないシドに、ネオンは表情を引きつらせながら曖昧に返答し、次いで、二人の間に視線を移す。
「?」
ネオンの目線を受け、イレーナはキョトンとした顔で、首を傾げた。
「――あぁ、ちょっとぉ遅かったじゃーん!!」
ドアを開いた瞬間、中から場違いに陽気な声音が飛んできた。予測していたネオンが何とかそれを受け止め、
部屋内に目を向けると、顔を紅潮させ、すっかり出来上がったリンがこちらへ大きく手を振っていた。
リンはラグソファに優雅に寝そべり、ネオンの目の前で満面の笑みを浮かべつつ、グラスを景気良く傾ける。
その傍らの床には、イレーナ付きの護衛達が身を寄せ合いながら小さく腰を下ろしていた。
彼女は、宿部屋に待機していた彼らを相手に、酒が入っての世間話に興じていたのだった。
余程暇だったのだろうか。
「ネオン、この人達自分の領から外に出たこと無かったんですって!! つーか旅出るのに地図も羅針盤も
持ってて、それで国境見つけるのに森の中彷徨ったって、どんだけ方向音痴なのかしらねぇ~?」
「…楽しそうだな、リン…」
カラカラと笑い飛ばしながら、隣に座る鎧の護衛男をバシバシ叩くリンに、ネオンはやはり顔を突っ張らせ、
曖昧な笑顔を返す。
ネオンがテルルを見ると、彼女は神妙な面持ちで黙って首を横に振り、何らかの努力はしたが無駄であった
ことを物語っていた。
椅子に腰かけていたクロムはとうに場所を移し、奥のベッドで仮眠をとっているようだ。
そして、当の被害者である護衛達は…すっかりリンの酔いどれモードに呑まれてしまったらしく、屈強なる
身体を縮こまらせて、彼女のペースに従わされていた。大口聞かれようが手酷く突っ込まれようが、何も
出来ずにただ冷や汗をかきながら頷き返す。
しかし酒だけは付き合うことを頑なに拒んだらしく、小さなグラスが口のつかないまま、彼らの前に並ぶ。
ネオンは何となく、護衛男達に同情した。
「…まぁ。貴方がた、これほど短い時間に随分打ち解けたようね…」
ネオンの後ろから続いて部屋に入って来たイレーナは、その光景を目にし、のん気に微笑む。
彼女の姿を捉えると、護衛達は崩していた体勢をすぐさま戻して畏まる。主を見上げるその目は、気のせいか
潤んでいるように思えた。
ネオンは彼らへ内で拝みつつ、リンの間に割って入る。
「…リン、話があるんだ。この辺でお開きにしてくれない?」
「なによ~、終わり~? …あふ~~」
「ほら…、寝てないんだからそろそろ寝よう?」
会話が中断したところで、リンが一つ大あくびをし、見かねたテルルが彼女をベッドに連れていく。
「あ、ついでにクロム起こしてくれよ」
「うん…、あ」
ネオンの言葉に、テルルが奥のベッドへ向かおうとすると、クロムが自ら身を起こし、立ち上がって身体を
伸ばし始める。
「…起きてたんだ」
「…寝れるか」
ネオンが声を掛けると、クロムは首を鳴らしながら、憮然とした表情を向けた。
揃った一同はシドを中心とし、彼は昨夜ネオンに話聞かせた自分の現状を、ゆっくりと打ち明け始めた。
魔術師に呪術を掛けられたこと、それによる体の変調、そして呪いを解くためにほぼ毎夜、魔術師との
接触を試みていること。
クロムはある程度読んでいたのか表情を変えることは無く、黙って話を聞き流していたが、テルルは彼の
急な告白に驚愕し、言葉を見つけ出せないままに、ただ視線だけをシドへ返す。
そしてイレーナも…初めて聞いた彼の内情に、心底驚いた様子を見せた。
「……それは…いつからなの…!?」
「およそ2か月前です」
淡々と語るシドの言葉に、イレーナは一瞬固まった後…疑心の込められた視線を彼へ投げた。
「前王が無くなられた時期と、重なるわ」
「ええ。恐らく俺の術が掛かったことと、繋がりがあると思います。
…2か月前のあの時…術を掛けられたのは通りすがった際の偶然だと、そう今までは考えていたんですが…
…思い違いだった」
「どういうことなの?」
イレーナに促され、シドは確信を持った表情で、ゆっくりと頷いた。
「掛けられた術は、“対”になっているそうなんです。怪我を負ってもすぐ塞がり、痛みだけが残る
俺の症状と、オリバーの要因の無い失血状態や内出血、突然の骨折…相反するようで、噛み合っていると
思いませんか?」
彼の言葉を、イレーナは頭の中で反芻する。
「…そう…そうね…、まるで正反対だわ」
「恐らく、俺が掛かったことで、同時に王にも術が及んだのではないかと。そして、その王が亡くなり…」
「今貴方と“対”になっている相手が、オリバーということになるのね?」
「そう…思います。対になる存在がいなくなったから、代わりの人間に術が移っていった。
感染なんかじゃない、これは『転移』の特性を併せ持った術です」
「そんな…恐ろしい術が…」
イレーナの顔からはすっかり血の気が引き、怯えたような瞳を床へと漂わせる。
「あくまでも過程の話です…しかし仮にそう考えるとすると、王家の血筋を狙っているように思えます。
そしてその魔術師は、俺の出自も知っている者なのではないかと…」
「そうね…十分あり得ることだわ…」
シドは下方へ落とすイレーナの視線に入り、真剣な表情を当てる。
「従姉上、何かお心当たりはありませんか? 王家に近しい魔術師の存在が、今までに無かったか」
「……」
青ざめたイレーナは、向けられた彼の顔を受け止めたまま、暫時口を閉ざしていたが…ふと瞳に力が
戻ったように、シドと焦点を合わせた。
「…いるわ…一人」
「!!」
「前王が魔術師を嫌い、城内から放逐させたきっかけとなった者が…」
彼女の言葉に、シドも何かに気付いたように、表情を変える。
「さきほど仰った、王に毒を盛ったという魔術師のことですか?」
「ええ。その術師は、前王の先代である第48代国王の時代から召し抱えられていたそうで、代々[FOUNDIA]
王家に側近や参謀として仕えてきた家柄の出なのよ」
「それが、その騒動で…」
言いかけたシドだったが、イレーナは首を横に振った。
「ですが…そのこと自体は、今でも事実関係が曖昧のままなのです。本当に毒物が見つかったのか、
見つかっていたとしても、その出所は本当に魔術師本人であったのかも…その者が城を去る最後まで、
はっきりしないままでした」
「…そうだったんですか…」
「…疑いが掛けられてから、魔術師が去るまでは、いくらも間が無かったように思います。意見を言う暇も
与えられずに…半ば前王の一存だけで処分されてしまった」
「……恨み…か…」
シドは考えを巡らすように、空を睨む。イレーナはそんな彼を見…瞼を哀しげに落とした。
「…どのような形にしても、きっと王家にいい感情は向けていないわ」
「そうでしょうね…古くより築き上げて来た王家との主従関係が崩れてしまったんですから、家にとっても
大きな打撃でしょうし」
「退去処分を受けてから、行方が判らなくなっていたけれど…まさか国を離れて、いまだ王家に執着していたとは…」
「従姉上、その魔術師がこの呪術に関わっているとしたら、[FOUNDIA]王家全体が危ういです。
…考えたくはありませんが、術に無限の転移特性があるとしたら――」
「――…」
「…なんだか、急ぐ必要がありそう?」
二人の応酬を見守っていたネオンが、独り言のように人知れず言葉を漏らした。
その呟きを確かに耳にし、隣のテルルが頷きながら答える。
「そうだね。でも、糸口がほとんど無さそう…王家に仕えていたほどの魔術師なら、かなりの遣い手だと思うし、
シドが2カ月粘っても遭遇さえ出来ないのは、何となく納得がいくな」
「…そこなんだよなー…」
テルルの考察に、完全に踊らされるという経験を積んだネオンが、がっくりとうなだれた。
落ち込むネオンの横から、何となく煮詰まった様子のシドとイレーナに、テルルが声を掛ける。
「――でも、呪術の特性が“対”だって、よくわかったね。術の特性なんて、大体は掛けた本人に聞くとか、
元になった本とか読まないと判らないのに」
「? 掛けられたらしい時期が被ってたからじゃねぇか?」
「いや、そうじゃないんだ」
テルルの言にネオンがそう返すと、シドは首を振った。
「実は昨夜…ネオンが気を失っている間のことなんだけど、この件に関して助言をしてくれた人がいたんだ」
「…! あの場に、おれ達の他に誰かいたのか!?」
「ああ。明言はしてなかったけど…多分魔法士だ。女性の」
「……っ…!」
シドは至って普通に、笑顔で話し聞かせるが…ネオンは瞬時その表情を止め、閉口する。
そのまま二の句が次げなくなった彼に代わり、テルルがシドへ迫る。
「…っ、その人って…どんな人だった?」
「え? …そうだな、丁度テルルくらいの長さの黒髪で…周りが暗くてはっきりは見えなかったけど、
濃い青の瞳をしていたかな」
「……」
そのシドの言葉を受けて…テルルは確信し、クロムを仰ぐ。
その傍らで、加えてシドが思い出すように首を捻る。
「…そう言えば、なんだかネオンを知っているようだった。知り合い…か?」
シドはネオンを覗うが、彼はうつむいて、床を凝視したまま動かない。
テルルの思い詰めたような表情を受けたクロムも、何か思案にふけるように、黙ったまま虚空を見続けていた。
「…ネオン…?」
固まったままのネオンに、シドが怪訝そうに声を掛ける。耳元で響いたその声に、ネオンは弾かれたように
顔を上げる。突然の挙動に驚いたのか少し身を引いたシドの手を取って、力強く握り…ネオンは真っ直ぐな
眼差しを彼へ向けた。
「…シド、やっぱりおれ、お前に協力する。このままパーティに残れ」
「えっ…」
突然のネオンの言葉に面食らったシドだったが、ネオンは彼に確かに意志のこもった笑顔を見せると、
次いで後方へと振り返った。
「いいよな? クロム」
ネオンにそう言い投げられ…クロムは無表情に彼へと注いでいた目を閉じながら、ゆっくりと長い息をついた。
「…即片付けるぞ」
次回更新予定日…2011/4/1