4日目…シド(4)
「――シド…?」
宿の表へ出、ネオンはシドの姿を探し歩いていた。
早朝の宿前に続く街道は、昼間のような賑わいはまだ無く、出店もまだ揃っていないせいもあって
遠くまでよく見渡せた。
見える景色に彼の姿が無いことを確認し、ネオンは何となく、宿の裏手にある川原へと足を向けた。
「!」
すると意外にもあっさりと、シドの白い髪を捉えることができた。
シドは頭の後ろに手を組み、仰向けに寝転がっていた。ネオンは一息つくと、後方からゆっくりと近寄り、
彼の脇にあぐらをかく。空を眺めていたシドがやや驚いた風に顔を向けると、ニカッと笑ってみせた。
「…よく場所がわかったなぁ」
「たまたま読みが当たっただけ。おれも何かあると、川原に行きたくなるからさ」
「…そうか」
そう返すと、シドはおもむろに起き上がり、ネオンと顔を並べる。やや下方へ視線をやったまま、小さく口を開いた。
「…すまない」
「何が?」
「嘘を…ついていたこと。色々…正直に話せなくて」
「そんなの気にしねぇよ! 誰だって隠し事はあるもんだろ? おれにだってあるし」
「…ありがとう」
「さっき、シドの従姉さんに色々聞いたからさ。…って、違うんだよなっ…『アルヴァ』…だっけか」
ネオンはあわあわと言い直すが、シドはそんな彼の様子に口を緩めながら、首を横に振る。
「いいんだ、それで。もう長いこと『シド』の名で生活してきてるし…本名じゃ、さすがに危なっかしくて」
「そか…。自分で考えたのか?」
「いや、とあるところから拝借したんだ。さすがにもう、違和感は感じないけど…最初はぎこちなかったかなぁ…」
気恥ずかしそうに振る舞いながらも、足許を見つめたまま呟くように言葉を重ねるシドを、ネオンは横目で見…
大きく息を吐き出しながら、上を見上げる。
「――でも、驚いたよなぁ…シドが王子様だったなんて」
「確かに生まれはそうなるけど、認められてはいないんだ。まず、“生まれた”という記録が残されてないからね」
「…そうなのか…」
ネオンの言を、シドは苦笑いを浮かべながら流した。ネオンは先ほどのイレーナの話を思い出したのか、
思い悩むような表情になる。
しかしてシドは、彼へ向けて明るく話を続けていた。
「望まれて生まれた訳じゃないから、当然だよな。俺自身も、認められようとも、自分で認めようとも思わないし」
「…そっか」
「多分最初から…そういう自覚は無いんだと思う。あの城の中で思い出せる景色は、書物庫だけだから。
母とは一度も顔を合わせたことがないし…父とは結局、会わないままになってしまったし」
「……」
シドはただとうとうと、自分の思いを重ねていった。
「亡くなったって聞いた時…悲しみも、喪失感も…怒りも、何も感じなかった。…薄情なのかな。でも…
思い出も何もないのに、何かを思うってことの方が難しいだろ?」
「うん…」
「もう…関わっていたくないんだ。城を出た時から…あの一族とは、縁が切れたと思ってる。その方が、
お互いのためになるだろう…って、自分自身で理由付けして」
笑顔で話すものの、何となく内に空虚感があるような、そんな表情で話す彼に、ネオンは小さく相槌を返し
続けた。
「…従妹が近くに出向いてきていると気付いたのは、昨日の昼間だ。どうして国境を越えて、
こんな場所にいるのか…考えるより先に足が動いていたんだ」
「……あっ。あの時か!?」
ネオンは不意に、昨日の昼間…あの酒場での出来事を思い出す。目を丸くして顔を向けてくる彼に、シドは
明後日へ視線を投げながら、頭に手をやった。
「ああ。判った時に、記憶の奥底にしまっていたものが、一気に思い出されてきて…顔を会わせたくなくて、
逃げてしまった」
「何で逃げたんだよ??」
「…何でだろうな? 本当に久し振りだったし、ただただ驚いて…どう顔を合わせたらいいか、わからなくて。
でも…単なる拒絶反応だったのかもしれない。何となく…『嫌な予感』がしたんだ」
「…嫌な予感?」
「目的が、俺目当てだとしたら…俺にとっては、そう嬉しいことじゃない。あの一族に関わる人間が訪ねて
くる理由なんて、そう選択肢は無いからな」
「連れ戻されるって話か?」
ネオンの問いに、シドは首を横に振る。
「いや…あれには正直驚いたよ。まさか、今になって『必要とされる』ようなことになっていたなんて…」
「……」
溜息をつきながら、シドはうつむく。
「…普通の人間として、普通の家庭に生まれていたらなぁって、何度も思ったよ。受け入れなきゃって、
ずっと自分に言い聞かせながら一人で生きてきたけど…『家族』というのに、すごく憧れていたんだ」
「…家族…」
「だから、パーティに入れてもらいたいって思ったところもあってね」
「え」
急にパーティへ向けた話題を出され、呆けたように顔を上げるネオンに、シドは再びどことなく恥ずかしげに
はにかんでみせた。
「君達を見てると…何だか一体感があるようで。見た感じ一人一人がすごく個性があって、自由で、バラバラに
動いているようなんだけど、その裏でお互いの気持ちが通い合っていて、認め合っている。だからうまいこと
噛み合ってるんだなって思ったんだ」
「…そうなのかな…よく考えたことねぇけど…」
首を傾げて思案にふけるような素振りをするネオンに、シドは微かに笑った。
「意識してやるようなものじゃないんだよ。始終そんな事を考えながら関わっていたら、疲れてしまうだろ?」
「う…そっか…」
「君達には、血の繋がりがなくても、家族のような…いや、それ以上の絆があるのかもしれないね。少なくとも、
俺にはそう映って見えた」
「……」
「単純に、羨ましいと思った。だから…そんな様子を、近くで見ていたかったんだ。君達の近くに居たら、
そういう繋がりを共有できるんじゃないかってね」
ネオンは、笑顔を見せながらも何となく寂しそうな表情を見せる彼を、しばらく見つめ…ふと言葉を漏らす。
「…あの人のことは、家族だとは思ってないのか?」
「! ……」
ネオンにそう問われ、シドはにわかに表情を変え…またうつむいた姿勢に戻る。
「…難しいね。確かに血の繋がりはあるけど…俺はこんな立場だし、あの人にも立場というか、それこそ
生まれた時から背負っているものがあるし。
俺がアルビノじゃなかったとしても、多くのものを共にしていくってことは出来ないと思うな」
「そうなのか?」
「ああ」
シドは軽く頷いて、続けた。
「『地位』があって、影響力のある者っていうのは、自由が利かないんだよ。思うままに人や物事を動かす
力があるように見えて、そうしたいがために本音を隠したり、偽らなければならない時がある」
「……」
「…どうした?」
「うん…」
ネオンは黙って、話し続けるシドを見つめていたが…やがて思案にふけるような表情に変わり、視線を落とした。
シドが、そんな彼の様子に気付く。
「シドの従姉さん、シドを苦しめていたんじゃないかって、言ってた。シドを連れ戻そうとしてることも…
あの人がそういう立場なら、仕方ないことなのかな」
「?? どういうことだ?」
ネオンは、先ほどイレーナが漏らした思いを、彼なりにまとめてシドに話した。聞かされたシドは、
やや戸惑った風に、心持ち目を見開かせる。
「そんな、ことを…」
「…かなり気にしてる感じだった」
「……」
シドは一旦沈黙し…やがて小さく口を開く。
「…気にするようなことじゃないのにな。…従姉や叔父がどういう思いを持って接していたのかなんて、
生き残ることさえ難しかった俺にとっては、何の問題にならないよ」
ネオンの方を向いてはいなかったが…その横顔からは、柔らかな笑顔が窺えた。
「どうあっても、俺が今こうして生きて、ここに居ることができているのは、あの人達のお陰に他ならない。
心から…本当に感謝しているんだ。『生きる』という自由をくれたあの人達に」
「…繋がってるんじゃない?」
「…え?」
ネオンの突如としたコメントに、シドは虚を突かれたような表情で、彼へ視線を送る。
「だって、シドは従姉さんからの恩を忘れないでいるし、従姉さんもシドにしたことを今でも後悔してる。
二人共、お互いを思い合ってるじゃんか。ちょっと気持ちがズレてるだけなんだと思うぜ」
「……」
「しっかり繋がりあるじゃん!!」
ネオンはそう言い、心底嬉しそうな顔でシドの身体を叩いた。そんな彼の様子を見、シドはしばらく
呆けたようにネオンを見つめるだけだったが…不意に気配に気付き、後ろへ振り返る。
そこには…いつの間にか、イレーナが静かに立っていた。
「……従姉上」
「聞かせてもらいました。貴方の思いを」
イレーナは前で合わせた手をぎゅっと握ったまま、シドを見つめ――か細く言葉を刻む。
「私が貴方にしたことを、恨んではいないの?」
「いいえ」
頑なな表情のままに問う彼女に、シドは受け流すように首を振った。
「貴女は、俺の髪を『綺麗だ』と言ってくれた。そんな奇特な人を、恨むはずが無いじゃないですか」
「…あれほど幼い頃のことを…よく覚えているのね」
「覚えていますよ。…あの一族で…いや、[FOUNDIA]に居る人間で、そんな言葉を掛けてくれたのは、
従姉上だけですから」
「……」
「…今、この名を使っているのも…貴女の存在があったからですから」
シドのその言葉に、イレーナは少し別の感情が混じったのか、表情がわずかに変わり、瞼が足許へと落ちる。
「『シド・レーン』…私が貴方によく読んで聞かせた、物語の主人公の名前…だったわね。…覚えているわ」
「はい」
シドはやはり、恥ずかしそうに彼女から一旦視線を外し…再び真っ直ぐに、イレーナを仰いだ。
「さっきも言いましたが…俺が貴女を忘れることは無い。…貴女は俺に、生きる上で欠かすことの出来ない
ことを下さった。立ち上がって歩くことも、言葉も、多くの知識も、貴女以外に教えてくれる人はいなかった」
うつむいたままの彼女に、シドは真摯に…それでいて穏やかな表情で、降り積もった自らの思いを投げ掛ける。
「その結果として、貴女の思いを裏切ったのは、俺の方です。貴女から学んだもので自由を選び、貴女の手を
離れてしまった」
「それはっ…それは、私が国のために利用しようとしたから――」
「違います、俺は俺の意思であの国を出たんです。利用されたとは思ってない。ただ…従姉上の期待に
応えられなかったのは、申し訳なく思いますが…」
「いいえ…いいえっ…」
優しく声を掛けるシドだったが、イレーナはただただ肩を震わせながら、首を横に振るだけだった。
シドは、彼女の伏せた顔を窺うように、ゆっくりと近寄っていく。
残っている遠い日の記憶の彼女は、いつも大きく見上げる存在だった。凛として気品に溢れ、その瞳は
自分よりずっと先を見据えていた。自分は諭され、手を引かれ…心身共についていくのがやっとだった。
いつの間に、そんな彼女の顔を、上から傾ぐように窺うことが出来るようになっていたのだろう。
「従姉上、どうか…自分を責めないで下さい」
シドは優しく、彼女の肩に手を触れる。
「俺は、あの日…貴女から逃げてしまった。そして昨日、貴女に気付いた時も…面と向かうことを躊躇って
しまった。でも、今は…こうしてまた会えて、話す事が出来て良かったと思っています」
「私も…私だって、同じですっ…! …あの別れた時から、一日も早く貴方の顔を見たかった…
アルヴァ、貴方が無事でいてくれて、本当に嬉しかった…っ……」
堪え切れなくなったのか、突如顔を上げ、声を張り上げながらイレーナは彼へ訴える。
その彼女の顔を見…シドは嬉しそうに頬を紅潮させ、微笑んだ。
「…良かった。俺は、貴女のその思いだけで…充分です」
シドのその言葉に、イレーナの壊れそうな表情は止まり――瞬間後、その美しい翡翠色の瞳から止め処無く
零れ落ちる涙を受け留めるように、両手で顔を覆った。
次回更新予定日…2011/3/1
更新時間が遅くなりました…