4日目…シド(3)
「――どうぞ。あっ…あんまりお口に合わないかもしれませんけど…」
階下の食堂を借りて用意してきたホットコーヒーを、テルルはイレーナ一行へ差し出した。
「いいえ、頂くわ。…ありがとう」
慌てた風に取り繕うテルルに、イレーナは微笑ましそうに軽く首を傾げた。
ひとまず会話がひと段落し…イレーナもここへ来て間際、加えて当事者であるシドも席を外してしまった
ということで、一同は進みかけていた話を一旦止め、一呼吸入れることにした。
ネオンは改めて、イレーナをまじまじと見る。
「…本当に、シドのお姉さんなんだな」
「姉ではなくて、従姉よ。…でも私にとっては、弟同然の者です」
ネオンに笑いかけたイレーナは、言いながら手元へ視線を落とす。
「……あの子は、私のことは何か言っていなかったかしら?」
「んー…、ガキの頃に、親きょうだいと生き別れたって。…それくらいかな」
「あまり多くは話さないわよね。…何て言うか、全体的に謎が多い人? まぁ、まだ会って間もないんだけどさ」
「そう…」
「でも、話を聞いてみれば、詳しく話せないのも当然っちゃ当然よね。まさか…ねぇ…」
ネオンとリンの言葉を聞き、イレーナは静かに頷いた。
「私達のことを口にすることで…辛いことばかり思い出されるのでしょう。慣習に従うことなく、こうして
生きてはいますが…だからこそ、その風当りは生きながらに死を味わうほどのものでしたでしょうし」
「…そんなに酷いものだったんですか?」
「ええ。…シドは…アルヴァは、[FOUNDIA]王家に生まれてより城を出ることになるまで、一族中から虐げられて
生きてきました。…いえ、あの城には、『生』としての居場所は無かった…」
「……」
「それなのに…そんな彼に、私は次期王としての素養を身に着けさせようとしていました」
「えっ」
神妙な表情で語り続けるイレーナの突如としての話の展開に、ネオンとリンは揃って顔を上げる。
「…最初は、父である先代フレイマー公の導きに従って、アルヴァに接し続けていました。ですが…次第に
私自身が、アルヴァに思いを抱くようになったのです」
「思い?」
投げ掛けたネオンの問いに、イレーナは顔を上げる。うっすらと、遠くを見るような視線で――
「私が一方的に、あの子へ自分の思いを託したのです」
――18年前――
第49代[FOUNDIA]国王が即位して、20年が経過しようとしていた。早世した前王に代わって若くして即位した
ガルシアは、既に国王として成熟し、代々の王が築き上げてきた国力を余す処なく継承すると共に、その長けた
知略と手腕で更にその影響力を拡大させようとしていた。統率者、政治家としては、かなりカリスマ的な才能を
持つ人物だったのだろう。
しかしそんな彼も、全てにおいて完璧ではなかった。最大の手落ちは、妻である王妃との間に長年子が宿らなかった
ことである。[FOUNDIA]国王は完全なる世襲制。ガルシア王は日増しに苛立ちを募らせ、王妃は焦り、悩む日々を
費やした。医師や祈祷師、占い師らによる、ありとあらゆる計らいがなされた。
そんな二人の間に第一子が誕生したのは、婚儀から10年後のことであった。待望の男児だ。
ようやく生まれた世継ぎに、長く待ち焦がれていた城中の者が一斉に湧いたが…その歓喜も束の間に過ぎ去った。
――アルビノ――
その幼い男児の容姿に、その場に居合わせた全員が震えあがった。取り上げた助産師は一寸後置いて卒倒し、
周囲に控える誰一人として、男児に近寄り、手を差し伸べる者はいなかった。
世継ぎ出生の一報を耳にし、事の次第を聞かされたガルシア王は、瞬時顔面を蒼白させ――こう言い放った。
「…“それ”を認めることは叶わん。一切口外するな」
男児を目にした者全てに箝口結舌を命じ、それ以外の城内,城外の国民に対しては『死産』であったこと
として伝令させた。男児の存在はごく一部の者にしか明らかにされず、完全に隠蔽された。
その後すぐに、男児の処遇が話し合われた。そして…王より直接事の次第を聞かされた実弟・フレイマー公の
説得により、ひとまず名前が与えられ、生かされることとなり…しかしそれ以上の温情は認められず、城内の
外れにある書物庫に幽閉することが決議された。
元々その周囲に要人が足を延ばすことはほとんど無かったが、決議後には最低限の養育を任された乳母、侍女を
除いて誰一人として近寄らなくなっていった。
男児には、アルヴァと名付けられた。
しかし、それだけで…王直系の継承者であることを示す『ファウンディア』姓も、一族の一員であることを
表す『バレンツ』姓も与えられなかった。
本来、国王の嫡子である男児に半ば自動的に認められる継承権も、もちろん与えられないまま――アルヴァは
立場上何の意味もなさずに生き続けることとなる。
やがて、まだ乳離れするかしないかの頃合いで、乳母の手からも離されたアルヴァは、毎日を孤独に過ごす
ばかりになった。日に二度、食事のためだけに重い書物庫の扉が開かれるが、給仕係は扉のすぐ近くに盆を
置くだけで、奥に居るアルヴァに近付くことは決して無い。
肉親である国王や王妃も、アルヴァのもとへ向かうことは無かった。
国王は、実の息子であるアルヴァとは、彼が生まれてから一度たりとも体面していなかった。国王の胸中に
情は無く、息子の存在を心の底から疎んだ。生かされ続けている現状で、いまだその行く末を悩みの種とし、
苛立ちを増幅させるだけの毎日を送っていた。
王妃に至っては、息子を産み落としたその日から、忌ものを産んでしまったことへの恐怖と深い自責の念に
さいなまれ、癇癪と鬱状態を繰り返しながら度々床に伏せるという状況が続いており、とてもアルヴァと
接触できるような精神状態ではなかった。
城内の者はおろか、愛されるべき父母どちらからも歓迎されることが無かったアルヴァに待っていたのは、
誰とも接触せず、ただ食べ、眠り、無気力に過ごす日々。刺激の無い時間を経過する中、彼の視野,思考は、
急速に狭められていっていた。
そんな折――事実上隔離された書物庫へ、突然現れるようになった一人の訪問者。フレイマー公の一人娘、
イレーナである。生まれて間もなくより、父母からも他親族からも接されること無いまま長らく過ごしてきた
アルヴァにとって、しっかりと対面した最初にして唯一の肉親であった。
初めて顔を合わせたのは、アルヴァが幽閉されて直後のことで、その時にはフレイマー公が連れ立って来て
いた。もちろん、生後間もないアルヴァには、記憶はもちろんのこと、視覚にさえもあやふやでしかなかった
が…公爵は何事かを娘に語りかけつつ、アルヴァの頭を優しく撫でる。その腕の陰から、イレーナは目を丸くし、
頬を紅潮させながら幼い従弟を覗き込む。
職務が多忙である公爵が顔を見せたのは最初の一度きりであったが、娘のイレーナは侍女らがアルヴァの
養育から手を引いた頃合いから度々、一人で書物庫へ足を運ぶようになった。最初の内は彼女自身も幼い故に、
何の目的も無くただ様子を見に来るだけのようなものだったが、徐々に人形などを手に持って来たり、食事を
運び入れるなどするようになっていった。
もちろん彼女の行動はかなり秘匿されたもので、国王や王妃、そのごく周囲のほとんどの者は把握していなかった。
フレイマー公が侍女や兵士などを内密に説き、イレーナがある程度自由に動き回れるように
させていたようだ。
それは、床に寝転がるだけであったアルヴァにとって無二の刺激であり、唯一知る外界であった。
イレーナはある一つの信念を持って、アルヴァに接していた。
“この子は、次期[FOUNDIA]国王になる人間だ”
国王となる者ならば、今がどんな身であろうとも、なるに相応しい所作や知識を身につけていなくてはならない。
イレーナはアルヴァに、徐々に王族としての振る舞いや貴族の作法,マナーなどを教えていった。
長らく床で食べさせられていた中で突然、正式なテーブルと椅子を用意させ、一から食事のマナーを叩き込む。
ほとんど動き回ることが無かった彼に、歩き方から始まり声の張り方や表情に至るまで、ありとあらゆる
立ち居を覚えさせる。アルヴァが少しでもミスや取りこぼしをすれば、熱された蒸気が噴き上がるように
叱りつける。
正直なところ、植物の様に生きてきたアルヴァにとっては目まぐるし過ぎて、疲労や不満がたまるだけで
あった。しかし、イレーナは事ある毎に彼に真摯な目を向ける。
「貴方は、この国の王となる人間なのです」
アルヴァは彼女の口からこの言葉を、テープが擦り切れるのではないかというくらいに何度も聞かされた。
やがて、自分へ向けて目を輝かせ、自身のことのように将来に胸を躍らせながら語りかけるイレーナを見るうちに…
アルヴァ本人は彼女のような思いを抱くことは無かったが、幼いながらにも何となく、この従姉の期待を裏切っては
いけないと思うようになっていった。
またイレーナは、アルヴァに本を読むことを教えた。丁度居る場所が書物庫であり、その糧に困ることは無い状況
だった。アルヴァは作法をスパルタ教育で学びつつ、庫内に収められた何万という本を読み漁っていった。
これにより、アルヴァは急激にその知識を高め、様々な思考を巡らすようになっていく。
とりわけ地図の類や冒険家の小説やエッセイ、紀行文などは、産まれてから城内――それも奥まった書物庫から
出たことが無い彼に、扉の向こうに開けた世界を如実に知らしめた。外への思いを膨らませるようになったのは、
かくして自然の摂理であった。
――そんな風に、秘密裏に交流を続けていた二人に、ある日転機が訪れる。
アルヴァの生誕、幽閉から9年後。
王妃が第二子となる男児を出産したのだ。
現国王直系の男児――いわゆる、正当な継承者の誕生である。
第二王子…表向きには第一王子には、オリバーという名が付けられ、盛大なる生誕の祝儀が行われた。
[FOUNDIA]国民も歓喜に湧き上がり、長年の宿願と国の将来の安泰を慶んだ。
…しかしそれは、アルヴァの生きる意味が完全に失われる出来事でもあった。
ガルシア王は、待望の世継ぎをそれは大事に胸抱きながら、侍従に言いつける。
「城内の凶を、処分しておけ」
不幸中の幸いか、その侍従がフレイマー公の息の掛かった者であったことで、その知らせがいち早くイレーナ、
そして彼女を通して公爵へ伝わった。公爵はすぐさま策を講じ、アルヴァを生きたままに城外へ抜け出せる
ように配下の者を仕向ける。
彼らの尽力があり、アルヴァは処分を受ける前に無事城から逃げ伸びることができたが…一連の騒動で、彼は
かろうじてあった居場所さえも失ってしまう。
イレーナは父へ、公爵家の城へ住まわせることを提案したが、普段より[FOUNDIA]王家と交流があることから、
城内にはガルシア王を懇意としている者も多く、このまま長きに渡ってアルヴァを匿い続けることは非常に
難しいと思われた。
アルヴァはあくまでもひとまずの処置として、フレイマー公領の最端に位置する小さな村の、領主直属の
孤児院へと預けられることになった。
公爵によってもたらされた処遇に、一人城から追い出され、行く当ても術も無かったアルヴァにとっては
それ以外に選択の余地が無く、彼は二つ返事で受諾する。
こうして――イレーナによるアルヴァの帝王教育は、その目的を果たすこと無いままに幕引きとなった。
別れ際、イレーナはアルヴァに真っ直ぐ向かう。
その涼やかで大きな瞳にうっすらと涙を溜め、拳でフレアドレスを強く握る。下ろしたての薄黄色の生地に、
深い皺が刻まれる。
「――どんな身になろうとも、貴方はこの国の王となる人間です。そのことを、片時も忘れること無き様に」
イレーナはその時点で、この先も定期的にアルヴァの預けられた孤児院へ出向き、様子を逐一確認しようと
思っていた。しかしその後…フレイマー公は病に伏せるようになり、イレーナは婚期に差し掛かった身にも
かかわらず、領内の政務に日々追われることになる。
彼女の決意は急激に流れ行く毎日に押し流され、結局別れてから二年、アルヴァと顔を合わせる機会が
無いままに過ぎ去ってしまっていた。
そして――ようやく暇を取りつけたイレーナは、急ぎ孤児院へと馬を走らせる。しかし、そこにアルヴァの姿は
無かった。
アルヴァは、書物庫という檻の中で毎日飽きること無く読みふけった、本の通りに広がる外界に胸躍らせ、
更なる自由を求めて一人、旅に出てしまっていたのだ。
イレーナはひとしきり語り終えると、部屋の面々を仰ぐ。
全員が一様に押し黙り、イレーナへ驚愕の一言では言い表せないような表情を浮かべていた。彼女の護衛の
者達もここまで詳しくは把握していなかったのか、暑くもないだろうに一筋の汗をこめかみから流しつつ、
主を凝視していた。
イレーナは表情を変えずに、なおも自分の思いを語り続ける。
「私は、心からアルヴァに[FOUNDIA]の国王になって欲しいと願っていました。その思いは、今でも変わりません。
ですが…その思いが、あの子にとっては重荷だったとしたら…」
「…どういうことですか?」
「古い法律を変え、時代に合った政治を整え、より進歩的な国にする。それが私の父の往年の願いでした。
私はそんな父の考えに感銘し、常に父を倣い、行動するように心掛けていました。
ですが…アルヴァが孤児院を出たと知った時、私は父や自分が、大きな過ちを犯していたのではないかと
思い始めたのです」
「過ち?」
「父はアルヴァの身を案じてではなく、自身の政治思想にアルヴァを利用したかっただけだったのでは…と。
アルヴァを国王に立て、統率する者自らが古の災厄を象徴することで、国民の思考を変えるきっかけにしたいと
考えていたのではないかと…」
「!! それは無いんじゃ…」
「そうよっ…考え過ぎですよ」
テルルとリンが慌てた風に助言を入れようとするが、イレーナは首を横に振った。
「今はもう父も亡くなり、その答えを得ることは出来なくなりました。しかしその父の思いが、今の私に宿って
いるのです。
私自身…今の[FOUNDIA]の現状に不満があることは確かです。何とかして、国を変えたかった。しかし、自分では
変えることが出来ないから…アルヴァに委ねたのです。王家から疎外されたあの子なら、変えるきっかけを作る
ことが出来るのではないかと思っていたのです。…これは私の身勝手な謀であり、エゴです」
「……」
「結果として、アルヴァは王族を捨て、自由の道を選びました。アルビノとして生きようとも、それを打開
しようとも…王家はあの子にとって、自分を縛りつける鎖でしかないのです。
それなのに…今また、私はあの子に鎖を巻きつけようとしている。もう、あの子にすがるしかないと…悩みに
悩んだ末に、王家の呪縛へと呼び戻そうとしているのです。…非道い姉ですね」
イレーナは目を伏せ、自嘲するように、薄く口角を上げた。
次回更新予定日…2011/2/1
またしても文章ばっかりで申し訳ありませんです…
★登場人物設定を同時更新しました