3日目夜…邂逅(5)
バーク街を囲むようにそびえ立つ山並みは薄闇に包まれ、その東の空の稜線からは段々と、淡い光が覗き始める。
シドとネオンが宿へ戻って来た頃には、そんな時分になっていた。
結局、ネオンの意識が戻ることは終ぞ無く、シドは森からここまでの長い道程をずっと、彼を背に担いで
歩き続けてきていた。
先程邂逅した魔法士のお陰で、それほど負担が掛からずに背負えてきていたが、さすがに息を切らした
シドの額には汗が光り、宿を視界に捉えた時にはやや気が抜けてしまったのか、よろっとその場にしゃがみ込んだ。
背に被さるネオンだけは落とさないよう体勢を保ちながら、長く息を吐き出す。
「…!」
そして、何気なく顔を上げた先に、一瞬目を見張り…やがてその緊張を解き…再び立ち上がった。
シドの視線の先には、彼らを待ち構えるように赤毛の男が宿正面の外壁に寄りかかり、こちらへ視線を送っていた。
うつむき加減ではあるが、クロムの前髪の間から覗く眼は、まだ薄暗い景色を貫くように鋭く光り、
シドを見据えていた。
『睨む』とも言うべき凝視だった。
「…あ…」
立ちこめる沈黙に、たまらずシドは口を開け…言葉を探す。
「…済まない…抜け出したりして。ちょっとした理由があって、その…」
「そいつを渡せ」
しかし、そう言いかけたシドの言葉を、クロムは無下に切る。
「……」
それきり黙り、シドはネオンをクロムへ渡す。クロムは軽々とネオンを抱え上げると、シドへ見向きもせずに
踵を返す。そしてそのまま、何も言わずに宿へと向かって行った。
「…っ、ま、待ってくれ」
シドはたまらず声をかける。クロムは背を向けたまま立ち止まる。
「…そ…の…、……」
シドは小さく口を開きかけたが、すぐに途切れさせてしまった。
シドは帰り道ずっと…聞こうか聞くまいか、思いを巡らせていた。先刻、自分の目の前で起こったことを…
自分の持つ知識では説明しきれない、不可思議で神秘的な、あの光景を。
しばしの沈黙の後…やがてその迷いは、持ち前の好奇心が後押ししていた。
「…とても…不思議なことが起こったんだ」
こんな口火の開き方では、かなり滑稽で、とりとめが無いとはわかっていた。しかし、自分の目の前で起きた
稀有な現象を口にするとすれば、これが最も端的だった。
「2人…崖から落ちたんだ。ひどい怪我をした。俺も…もちろん、ネオンも」
シドは足許へ視線を彷徨わせながら、言葉を重ね続けた。
「俺は…怪我しか治せないから…ネオンを助けることが出来なかった。黙って、ネオンを見守るしかなかった…でも」
シドは顔を上げ、クロムの後頭部へ視線を投げかける。
「ネオンは…自分自身で完全に回復してしまった…怪我も、活力も…なにもかも」
クロムは彼から背を向けたまま、沈黙を続けていた。
「…俺は、ネオンに、自分と同じような能力があるんじゃないかと思いかけた。でも…どこかが違う…ネオン自身が
何かをするというより…『何か』に“守られている”ように見えたんだ。ネオンの中にいる『存在』が、
ネオンを救っているように…思えた」
シドは自身が感じたことを、そのまま言葉に表していた。
自分が黙る度に訪れる無音に幾分か怯えるようにしながら、慎重に言葉を重ね続ける。
「…初めて見たんだ…あんな光景は。…魔法でも魔術でもない、何か別の力が、働いてるんじゃないかって」
なおも口を閉ざしたままのクロムへ迫るように、食い入るような視線を向け続ける。
そして、ぽつりと核心を放つ。
「…ネオンは…一体何者なんだ…?」
耳鳴りのするような静寂が、2人の周囲に充満していた。
張り詰め、重苦しい空気が立ち込めていた。
「……」
「君は、知っているんじゃないのか…? だから、ネオンを――」
「お前に話す必要は無い」
しかしシドの弁を遮るようにそう一言言い捨て、クロムは再び歩き出す。
「…な…」
「わからないか?」
呼び止めようとするシドに、クロムは真っ直ぐ振り返った。
「わかりやすく言おう、『お前にネオンのことを知る資格は無い』」
「……!」
「お前の言葉は偽りだらけだ。自分のこともろくに言えない者が、他人の何を知る?」
クロムに投げ掛けられた言葉が、シドの頭に大きく響く。シドは大きく目を見張り…次いでゆっくりと首を垂れ、
力無く目を伏せた。
「お前自身が一番身に沁みて理解っているだろうが。何が目的で欺き続けているのか知りたくは無いがな」
不意に、クロムは何かを指ではじき、シドへ投げて寄越す。弧を描き、シドの足許に落ちたそれは…小さな
白い錠剤だった。
「…その内廃人になるぞ」
「……」
クロムはただ無表情に、それきり黙ってシドを見やる。
彼はその視線は受け止めず、ただ薬の落ちた下方へと、瞼を落としていた。
やがてクロムが、静かに口を開く。
「パーティを抜けろ」
その彼の言葉に、シドは虚ろ気な目のまま顔を上げた。
「お前が見たこと…それが全てだ。このパーティは、お前が考えているほど甘くはない。既に目的を抱える現状で、
お前の持つ『別の目的』に付き合う余裕は無いし、そんな片手間な立場のお前がついて来れるとは思えん」
「……」
「生き延びようとするのなら、それなりの覚悟が要る。…お前には、局面で自らの死を回避出来る成算があるのか?」
クロムの言葉は、頼り無げに立ち尽くすシドを、容赦無く貫いた。
シドは返答出来ないまま、何か思いを巡らすように、クロムを…その背に預けられるネオンを、ぼんやりと見続けていた。
クロムは一呼吸置くように、息をつく。
「…正直なところ、ネオンはお前に興味を注がれている。今回も、それが元でネオンが勝手に付いていったんだろう。
そしてその結果として、お前の個人的なトラブルに巻き込まれた」
「……」
「元を辿れば、こいつ自身が自ら危険を招いたことにはなるが…そもそも『お前という存在』が無ければ、
今回のことは無かったはずだ。先にも話した通り、俺達には『目的』がある…それ以外のところで、危害が
及ぶことは望んでいない」
淡々と言葉を並べながらも、クロムは厳しい視線をシドへ向けていた。無表情をたたえてはいたが、今にも
激昂しそうな感情を、寸でのところで抑え込んでいるようだった。
「お前がいることで、この先また同じようなことが起きる可能性がある。そうなった場合に…同じように
無事である保証は何も無い」
クロムのシドを見る視線に、殺気が過る。
「その時には…そうなる前に、俺はお前を斬る」
「……」
「お前の身のためでもある。…結論は早急に出せ」
「…ネオン、シド…!!」
と、そこへクロムの頭上から、やや潜めた風な女性の声が聞こえ、窓からリンが顔を出す。
その甲高い声音を聞いて、シドは我に返ったように顔を上げ、そして今一度クロムの方へ視線を戻す。しかし
その時には、彼の姿は宿の奥へ消え行っていた。
代わりに宿の入り口からテルルが姿を現し、呆然とした様子で突っ立つシドへ駆け寄る。
「シド…! 大丈夫!? 怪我は無いの?」
「あ、あぁ…、……」
そう彼女へ答えた次の瞬間、シドはその場に崩れ落ちた。眩暈と共に、全身に突き刺さるような痛みと、途方もなく
重い倦怠感が襲って来る。
先ほどの魔法士が掛けた効力が切れたのだと、シドはすぐに把握した。
「う……」
突然の変調に気が遠のきそうになりながら、目の前に転がる白い錠剤を視界に捉える。思わず条件反射的に
手を伸ばし、掴みかけるが…その拳は手前で空を握り、シドは眼を固く閉じる。
「シド…!?」
「…大丈夫…」
様子に驚いて支えるように手を掛けるテルルに、彼はそう呟きながら、力無げの笑顔を見せた。
「…大丈夫……」
心の奥で、自身に言い聞かせるように。
宿に引き上げられたネオンは、直ちにベッドへ寝かされた。
「…気…失ってるだけなのよね? 怪我とか…してないみたいだし…」
「…そうみたいだね…」
どれだけ揺り動かされても全く起きる気配が無いネオンの様子に、テルルとリンは首を傾げながらも不安気な
表情を見せていた。
そして、その後方で同じくベッドに横になっているシドへ振り返る。
「でも…あまり大事になってないみたいで良かった…2人共無事に帰ってきて、本当に良かった…」
「ホントよ~、心配したんだからね、全くっ!!」
「…すまなかった」
二人の様子に、シドは薄く笑う。
意識を戻さない癖やけに血色の良いネオンに比べ、シドは色白の肌を更に蒼白にさせ、かなり疲弊している
ようだったが、ネオンをここまでずっと背負ってきたと聞き、2人は概ねそのせいであると結論付けたようだ。
「こんなこと、これっきりにしてよね! 夜中に起こされるのはもう勘弁! 美容に悪いんだから、その辺の
気遣いを心得て欲しいもんだわっ」
「リン…そのくらいで」
「さっきまでだって、大変だったのよ!? あんな深夜に――」
「リン! シドだって疲れてるんだから…寝かせてあげてよ」
不眠と懸念でよほど抑圧されていたのか、徹夜明けの高揚感も相まって、リンは持ち前のマシンガントークが
発症しそうになっていた。
力無く床に伏せるシドに食いかかるように弁を続けようとする彼女を、テルルがすかさず手前で制する。
「私だって、寝足りないんだから~~」
「だから、リンも寝てていいってば」
「あんたねぇ、今さら寝られると思ってんの!? こんなに目がランランなのに!?」
「…もー、どうしろっていうの…」
「…テルル」
ぶう垂れながら、支離滅裂な言動を繰り広げるリンを手余すテルルへ向けて、シドがふいに後ろから声を掛ける。
「…? 何? シド…」
そう振り返ったテルルの目に映ったシドは…やや強張った表情を向けていた。
テルルの顔に、怪訝な表情が浮かぶ。
「…どうしたの…?」
「……今の、リンの…。 何か、あったのか…?」
「! ――…」
彼の言葉を受けて、その表情にテルルは何かを感じ取ったのか、少し沈黙し…そして小さく口を開いた。
「…人が、訪ねてきたの。…シドを知る人が」
ネオンを宿に運び、後処置を女性陣に任せると、クロムは再び宿の外へ出向いた。徐々に明るむ周囲の中、
身を潜めるように宿の裏手に回り、ダスト横の外壁に背を付く。
「……」
クロムはただ黙ったまま下方へ視線を落とし…何気なしに自分の左手を眺め続けていた。
どこか手持無沙汰な一時。
…こういう時、どうしてか思い出したくも無い記憶が、断片的に脳裏に浮かんでくる。
――あなたって、理由付けが無いと生きられない人なのね。『ただなんとなく』じゃ、どうして駄目なのかしら――
――まるで“何か”に“生かされてる”みたい。“何か”が無くなったら…あなたは消えて無くなってしまうの?――
「……」
クロムは、ゆっくりと目を閉じた。
どれだけ時が経とうとも、瞼の裏に焼き付いて消えることの無い光景。
決して忘れることの無い、過去。
「――いいように振り回されているようだな」
刹那、薄暗がりの中“姿なき”が静かに嗤った。その一瞬の後に、周囲の明度が闇に呑まれるように落ちる。
突如にして訪れる不自然な闇の中、クロムは瞬時に意識を高ぶらせ…そして確かにその先を捉え、眼を剥く。
彼の視線の先に、漆黒の外套が音も無く翻った。
[影]が、現れた。
「なんだこの醜態は。…故意か?」
いつの間にか、宿の壁を背にしたクロムの全方向から、[影]が姿を現していた。クロムは丸腰のまま…完全に
囲まれる形になっていた。
クロムに話しかける男――『バルディッシュ』は、[影]らの中心から歩を進め、ゆっくりと彼に近付いていく。
「毛色の違うものを加えているようだな…仲間と認めた訳ではないようだがな」
沈黙を守ったまま睨み続けるクロムに、『彼』は余裕たっぷりに話しかける。
「『アルビノ』か…[ATOMIA]でもそれなりに駆除は進んでいると思っていたが、まだ狩り残しがいたか。
…まぁそんなことはどうでもいい」
そう言葉を口にしながら、『彼』は依然ゆったりとした歩調で、しかし確実に、壁際のクロムを一歩ずつ
追い詰めていた。
「…お前、アレに同じ臭いを感じているな?」
頑なだったクロムの口元が、僅かに歪む。隙を逃さぬ『バルディッシュ』の目が、怪しく光った。
「『アルビノ』と『人斬り』…思えば近しい存在だな。人から避けられ、蔑まれ、孤独に地を這いつくばり、
そして人知れず死に絶える」
「……」
「なんだ、自分の立場も忘れたか?」
2人の間が、1メートルほどにまで縮まる。距離を詰めていた『彼』の足が止まり、その黒い上背が、クロムを
覆うように立ちはだかった。
『バルディッシュ』はクロムの身体を透かし見るように眺め、嘲笑う。
「お前のその身体に刻まれた傷が、こびりついた人間の血が、[お前]である揺ぎない証だ」
「……」
「…まさか、『剣士』に成り上がったとでも思ってはないだろうな? 勘違いするなよ…お前の傷跡が疼く限り、
お前の居場所は闇の中にしか無い…光を求めるべき身分ではないということだ。そろそろ考えを改めたらどうだ…?」
嫌らしく口角を上げながら語りかける『バルディッシュ』だったが、その言にもクロムは変わらず、殺意を
込めた眼で『彼』を睨み続けていた。
「…釣れんな」
その形相に、『バルディッシュ』ははき捨てるように苦笑うと、実に自然な動作で、黒いグローブをはめた手を
彼の左頬へ伸ばす。しかしその手を、クロムは瞬時に手強く払った。
「!!」
その挙動に、周りに控えていた[影]連中が一斉に沸き起こり、クロムへ向かって詰め寄ろうとするが――
『バルディッシュ』はさっと左手をかざし、従者達を制した。
「今回は、やり合うのが目的でここまで出張って来た訳ではない…お前に一つ、忠告を」
『彼』は依然、含みを込めた表情で、クロムを見下ろす。
「…気付いているだろうが、もうあらかた“動き出している”。…もちろん、『あれ』もな。恐らく総じて、
我らの造り上げた筋書き通りに事は進んでいくだろう」
自分の言動にクロムが見せる変化の一つも見逃すまいと、舐めるような視線を与え続ける。
「お前達がどう手を返そうとも、事の顛末は変わらない。…我らに抗うことがどれだけ無意味なことか、自分の
無力さに打ちひしがれるがいい」
そして『バルディッシュ』は再び、マントを翻す。
「お前はエドラーを守っているつもりだろうが、その実は、お前自身が奴を拠り所にしているだけだ。
エドラーからすれば、お前もあのアルビノも同じだ…足枷となる存在であることに変わりは無い」
そしてゆっくりと、クロムから面を外していく。
「…今一度、自分の力量たるものを省みるんだな。お前の生きる意味は、エドラーにとっては何の糧にも
ならないと、肝に命じておけよ」
『彼』がクロムから完全に視線を外した時には、[影]は跡形も無く消え去っていた。
まるで、最初から何も無かったかのように…後には、静寂と明度を取り戻した薄闇と、ただ一人佇むクロムだけが残る。
クロムはしばらくの間、壁に背を預けた姿勢のまま、足許へ視線を落としていた。
そしてふいに身を起こし…静かに宿入り口へと戻っていった。
次回更新予定日…2010/10/1