3日目夜…邂逅(1)
ガサッ…
その夜未明、宿の一室で、一つの影が動く。
おもむろに寝床を抜け出し、同じ部屋に眠る他パーティメンバーに気付かれないよう、静かに身支度を整える。
コートを羽織り、ソードを腰に差し…窓を開いて、ヒラッと階下の路面へと飛び降りた。
「――シド、どこ行くの…?」
そのまま街道へと足を進めようとしたところ、後ろから小さく声を掛けられた。
「! …ネオン…」
振り返ったシドの視界に、ネオンの姿が映る。頼りない街灯と月明かりだけが照らす暗がりの中、あまり夜目の
利かないシドにはぼやけてはっきりとは判らないが、こちらを見つめるネオンの顔は意外にも無表情で…
しかしどこか強張っているようにも見えた。
余程驚いたのか、シドはしばらく固まったまま沈黙していたが…やがて口を開く。
「…びっくりしたな、起きてたのか」
「うん」
「…そうか」
「昨日も、起きてた」
「……」
シドは何ごとかで誤魔化そうと考えていたようだが、ネオンの言葉を聞き…諦めたように息をつく。
「…このままどこかへ消えるつもりはないよ。ただ…俺には、どうしてもやらなければならないことがあるんだ」
「こんな時間に?」
「ああ」
「……」
努めて優しくなだめるように声をかけるシドだったが、ネオンの顔は段々と、思い詰めたような表情に歪んで
いっていた。
「…朝には必ず戻ってくる。だから、ネオン…」
「おれも一緒に行く」
「え」
思いがけないネオンの返答に、シドは幾分面食らう。暗がりの中よく目を凝らすと、ネオンはソードを背負い、
いつでも出掛けられる身支度を済ませて、そこに立っていたのだ。
ネオンは決意を込めた眼で、シドを真っ直ぐに見上げていた。
「おれ、決めたんだ。シドの力になるって。このパーティにシドを入れたいってみんなに話した時、そう言ったんだ」
「…ネオン」
「事情はわからねーし、足手まといにしかならねぇかもしれない…けど、お前を一人にしておきたくねーんだ。
ホントは…止めたいけど…行かなきゃならねーんなら、おれもお前に付いてく」
「……」
二人はしばらく、互いに見合っていたが…やがてシドが、諦めたように首を振った。
「…わかったよ。でも、引き返すことはできない」
ネオンはゆっくり、でもしっかりと頷いた。
シドに導かれるようにしてネオンが行き着いたところは、例の北の森だった。
薄寂れ、単にだだっ広いだけの冴えない昼間の様相は完全に形を潜め、夜の森は暗闇の中にあって更に黒々しく、
入るものを飲みこむような佇まいで、眼前に静かに広がっていた。
昼間は鳥らしき鳴き声も時たま聞こえていたのだが、今の森は全くの“静”で、耳鳴りがするくらい無音だ。
風も無く、じめっとした重たい空気が、身体にまとわりついてくる。
ネオンは、夜闇に浮かぶ森を見上げ、シドへと振り返った。
カンテラの灯りに照らされたシドの顔が、柔らかく微笑う。
「お前と会った場所だな」
「うん…ここが…?」
「そう。あの時も、同じ目的でここに来ていた」
シドはそう返すと、ためらいも無く森に足を踏み入れる。ネオンは怖々と黒い森を見上げ…サクサク歩いていく
シドを慌てて追った。
「木の根に気をつけて」
「うん」
シドの動作は慣れた風で、行く方角に少しの迷いも無かった。手に持つカンテラを足許に近付け、その灯りを
頼りにネオンはやや下方を向き、彼の後をなぞるように歩く。
「…昨日、付いてこなかったのはどうして?」
「!」
ふと漏らしたシドの言葉に、ネオンは無言で顔を上げる。シドは前を向き、歩を進めたままネオンの返答を
待っていた。
「…昨日は…シドがいなくなった後すぐに、リンが起きたみたいだったから。シドもすぐ戻ってきてたし…」
「そうか。うん…昨日は、途中で行くのを諦めたんだったな」
そう言うと、シドは自分の腕を引き寄せるように、固く抱いた。
ネオンはその彼の後姿が、何だか痛々しいように見えて、思わず視線を背ける。
「…お前が何してるのか…知りたかった。知りたい…けど、おれからは何も聞かない方がいいんじゃ
ないかって、思った」
ネオンはその白い後頭部に、ぽつぽつと言葉を投げかけた。
これまでのシドの様子を見てきて…彼が普通の旅人じゃないことは理解できていた。何か、重大な問題を
抱えてるんじゃないかとも常に考えていた。
でも仲間に誘えば、意外にもこうしてすんなりパーティの一員になった。その彼の意図を、ネオンなりに
推し量っていたのだ。
そのまま黙ってしまったネオンに、シドは軽く振り返る。
「…隠しておきたい訳じゃないんだ。そういうものではないしね。ただ…関わらせてしまうと、必ず君達にまで
被害が及んでしまうから。…俺だけの問題では済まなくなってしまうから」
「……」
「でも…やっぱりどこかで、誰かの助けを求めていたのかもしれないな。自分に仲間を作るなんて、現状からしたら
そんな立場じゃなかったのに…でも、パーティに誘われたあの時…嬉しさの中に、そんな期待が混じって
しまっていたんだろうな」
「シド…」
「話すよ。いや…聞いて欲しい」
そう言うと、シドは立ち止まり…真っ直ぐな視線をネオンに向けた。
「一昨日――俺が怪我を負った“理由”を、お前は見たのか?」
「! …うん。野犬みたいなのが…沢山いた」
「正確に言うと、あれは野犬じゃない。『魔犬』だ」
「!? ま…」
「犬とは言っても、生き物でも無いな。『魔法体』と呼ばれるもので…魔術元素の塊みたいなものかな」
「……」
いきなりシドの説明が始まり、聞いたことの無い単語をすらすらと羅列されたネオンは、目を丸くして閉口する。
「お前には馴染みが薄いかもしれないな。テルルは『魔法士』だったね…彼女と同じく魔法を使う者に、
『魔術師』がいるんだ。扱い方はだいぶ違うけどね」
「魔術師…」
「ああ。『魔法』と呼ばれるものを遣う者は、大まかには魔法士と魔術師に分けられる。
『魔法士』は空気中にただよう元素を集め、炎や水にして操る者。『魔術師』は元となる物質と魔術によって
魔法体を造り出す者。自分で直接相手に働きかけることが出来る魔法士に対して、魔術師は魔法体を使い、
間接的に相手に干渉する」
「……」
「先天的な力を持つ『魔法士』に比べて、『魔術師』はより学者に近いんだ。元素を操るには、血筋とか才能とか…
そういう持って生まれたセンスが必要なんだけど、魔術師にはそういうものは必要無いみたいだね。
ただ、専門的な知識とか、調合のセンスは必要だと思うけど」
「……」
「で、あの魔犬だけど…簡単に言えば、魔導師の使い魔みたいなものだな」
ネオンはただ黙って、シドの説明を聞いていた。途中で脳内がショートしかけたりもしたが、彼なりに結論を出す。
「~~…よくわかんねぇけど…犬じゃないんだな」
「そう。俺はあれらを造り出した、魔術師を追ってるんだ」
「何で?」
「…そいつに、術を掛けられた」
そう言うと、シドは腰からショートソードを抜く。
鞘から抜き取ると、コートの袖をまくり、腕を露出させた。
そのまま腕に、ソードの刃を当てる。
「! な、何する気!?」
ソードが横に引かれ、シドの腕からは鮮血があふれた。慌てるネオンだったが、シドはごく落ち着いた様子で
ネオンを制し、カンテラの灯りを患部に近付ける。
「見てて」
そう言うシドに促され、ネオンは恐々と腕を注視していたが…見る見るうちに、驚愕の表情に変わる。
「!! …傷が…!」
つい今出来たばかりの切り傷が、ネオンの目の前でたちまち塞がって、一本の線に傷跡が残る程度にまで
回復していった。シドは治癒を施していない。その経過は不自然なはずなのに、至極当たり前のように起こった。
驚きを隠せないネオンを見て、シドは息をつく。
「あの時…お前は俺が自分で治したって思ったろ? でも、実際は違う。“勝手に”治るんだ」
「…つまりこれが…魔術?」
「いや、これは多分『呪い』に近いものだな。魔術師に掛けられたものに変わりはないんだけど…魔術の他に、
呪術の知識もある奴なんだろうね。物や道具を使う点で、運用面に似たところがあるから」
「“すげぇ速さで回復する呪い”ってことか?」
「そんなところかな。傍目には怪我してもすぐに治るんだから、良い術みたいに思えるだろうけど…そんなことも
無くてね。ちゃんと副作用もある」
「どんな?」
問うネオンに、シドはコートの胸ポケットから、細長い透明な瓶を取り出す。試験管のように見えるその中には、
白い錠剤が半量ほど収められていた。
「これが何か、わかるか?」
「…飴?」
「…だったらいいんだけど」
単純ネオンの予想通りの回答に、シドは可笑しそうに笑う。
「これは、麻酔薬…一般には『鎮痛剤』と呼ばれる薬だ」
「…ちんつーざい?」
「身体の痛みを和らげる作用のある薬だよ。掛けられた呪いは、身体に負った傷を表面上は治すけど、
内側に届いた痛みはずっと消えないようになっているみたいでね…」
「!!」
シドの言葉を受けて、突如ネオンの頭の中に、シドと出会った時の様子がフラッシュバックした。魔犬に噛まれ、
引き裂かれ、血溜まりが出来るほどに全身傷だらけになっていたシド。次の日の朝、どれだけ長いこと雨ざらし
だったのか、蒼白で気絶したまま運び込まれた…あの状態に至るまでに起きた惨劇も、想像に難くなかった。
あんなことが、日常的に起きていたとしたら…
物が言えず、驚愕の表情で目を見開かせたまま自分を凝視するネオンに…シドは至ってごく普通に、少し困った
ような表情を向けて話し続ける。
「…自分でも、まずいなとは思ってるんだけど…これを使っていないと、動いてもいられなくて。でもこれも、
そろそろ使い納めかな…段々効きが悪くなってきてしまってる」
「! それって…」
「現時点で、この手を使う他に有効な手段が見つかってないんだ。だから…一刻も早く魔術師に接触する
必要がある」
「術を解かせるため?」
「そう。基本的に『術』は掛けた者にしか解けないし、それが一番安全だ。今のところ、そいつはこの森を
ねぐらにしているようなんだ。こんなところに何故って疑問もあるけど…ともかく動き回っていないだけでも
幸運だったな。とは言っても…鉢合わせたことは、まだ一度も無いんだけどね」
「……」
「…これが、俺がここに来た目的だよ」
語り終えると、シドはネオンの様子を窺う。
カンテラの灯りに浮かぶネオンの表情は、シドの顔を見上げたまま固まっていた。
シドは彼を気遣うように、努めて優しく微笑いかけた。
「ネオン、これは俺の私情なんだ。お前や、他のパーティのみんなを巻き込むつもりはかけらも無い」
「…」
「悪い…ここまで話してしまったけど…やっぱり付いてきちゃ駄目だ。このまま進んで、魔術師に接触して
しまったら…俺と同じようになってしまうかもしれない。…考え直してくれないか」
「……」
「どうなってしまうか…俺にも保証できないんだ。もし、お前が無事に戻れなかったら…」
「シドは、無事じゃなくてもいいのか?」
再びネオンを説得し始めたシドだったが、ぽつりとつぶやいた彼の言葉に、口をつぐむ。
ネオンは何かをこらえるような、険しい顔でシドを睨んでいた。
「おれが無事でも、お前が無事じゃなかったら…もしも、戻ってこれなかったら…おれは全然無事じゃない!
絶対…自分を許さない」
「…ネオン…」
泣きそうになって、うつむきたい気持ちを抑えるように、ネオンは懸命な顔でシドに訴えかけていた。
そんな彼を見て…シドの顔にも今までおくびにも出さなかったような、やるせない表情が浮かび上がっていた。
「さっきも言ったろ? 力になりたいんだって。助けたいんだ…!」
ネオンは背のミドルソードを抜き、シドのカンテラを取って前に立つ。
「話聞いても…やっぱりよくわかんねーし、何も出来ないかもしれねーけど…でも、囮にくらいなら
なるかもしれないだろ? 任せろ、そういうのは得意だぜ」
「……」
「早く片付けて帰ろう。こんなこと、今日で終わりだ」
そう意気込むと、ネオンはソードを片手に、シドに続くよう促した。
その彼の様子に、シドは何も言えず…全てを思い限ったような表情を浮かべ、黙ってネオンの後を追った。
次回更新予定日…2010/6/1