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6 旅の空、勝蔵と西行

 内陸に向かうほどに雪は深くなる。どこまでも続く雪景色は、白い海原といえた。葉を落としたブナやミズナラの大木は雪帽子をかぶり、息をひそめて春を待っている。目の前を横切るウサギやイタチの毛まで白い。岸辺を氷で覆われた大河だけが、墨を流したような黒い線を描いていた。そんな海原に、夏生はホワイト・オーシャンと名付けた。


 白い世界を支配する冬将軍は、冷たい風を吹かせて旅人の体力を奪う。それに抗うように、勝蔵や伊之介は、ウサギや鹿を、水辺に休む白鳥や鶴を射て獲って命をつないだ。


 龍蔵を胸に抱いた静が空を見上げた。ブナの大木の枝に緑の葉があった。寄生木やどりぎだ。夏生は、自分も寄生木だと思った。静という宿主に全てをゆだねているからだ。ホッと息を吐いた静が歩き出す。波を切り裂くように細い腕で雪をかき、凍える足を必死に進める。


 夏生には何もできることがない。ガンバレと言ってみたところで言葉は届かず、静を抱いて温めることも出来ない。ただ気をもむばかりだ。そうして思い出すのは、優斗が話したことだった。彼は、鎌倉で取り調べを受けた後、静御前の行方はわからない、と言った。


(静御前は、この冬山で亡くなるのではないか?)想像に胸が痛む。(静を助けて……)夏生は、クグツメノシズカ思い、願った。


 2月、一行は、会津の蜷河庄にながわしょうに到着した。そこは摂関家の荘園だけあって寺や百姓家が多かった。勝蔵が創建されたばかりの寺をみつけて宿を求めた。まだ檜や杉の芳しい匂いの漂う寺だった。


「我々は殺生をすることも多く……」勝蔵が低姿勢で挨拶をする。


「当方こそ満足なもてなしをすることは出来ないが火だけはあります。温もりなさい」


 住職の行徳ぎょうとくは平べったい顔をほころばせて庫裏くりに招き入れた。そこには小坊主が7人ほどいて、行徳に命じられて夕食の準備をはじめた。彼らは、龍蔵に乳をやる静の姿をちらちらと横目に見ながら働く。別れた母親を思い出したのだろう。


「私は京を知っていますが、こちらの寺も立派なものですね」


 静が感心して見せると、行徳の目尻が下がった。


「300年以上も昔、徳一とくいつという偉い僧侶が布教に参りましてな。会津の地に多くの寺を開いたのです。拙僧の名の徳の字も、徳一からいただきました。古い歴史が石のように(たたず)んでいるという点では、この会津も京や奈良にも負けてはおりませんので……」


 彼はそう語ると、後ろに並ぶ小坊主たちを振り返る。


「お前たち。美しい女性にょしょうが来られたが、欲に迷うなよ。間違っても風呂など覗くな。菩薩様と思い、一心不乱に拝むのだ」


 小坊主たちは「ハイ」と応じ、両手を合わせて「南無観世音菩薩なむかんぜおんぼさつ」と静を拝んだ。


「まぁ、恥ずかしい」


 静が頰を染めると、小坊主たちも顔を赤らめて「南無観世音菩薩」と繰り返す。


「南無観世音菩薩……。一番迷っているのは、拙僧かもしれませんな」


 行徳がそう言って笑うと、小坊主たちは安心したように平素の顔に戻った。


「和尚、ひとつ教えていただきたい」


 伊之介が膝を乗り出す。


「なんでしょう? 拙僧が応えられることであれば、なんなりと」


「はい、どうして僧侶は妻を持たないのか、と?」


「なるほど……」


 行徳は、伊之介の心を読むようにじっと見つめた。


「わ、ワシは妻をめとろうと思っています。とても生涯を独り身で通すなどできない」


「なるほど……」と行徳がうなずく。「……我々僧は、全ての欲を断っているのです」


「妻を持つのは欲ですか?」


「はい。金品を求める欲はもちろん、武力も権力も、女と交わる欲も遠ざける。それが僧の生き方というものです」


「それでは、子を成せないではありませんか?」


「子供を持つ、己の血を後世につなぐというのも欲なのです」


「それでは、この世の中から僧侶はいなくなってしまうではありませんか?」


 伊之介の疑問は、夏生の疑問と同じだった。


 行徳はアハハと笑い、「僧になるのは、僧の子供たちではありません」と、小僧たちを指した。


「彼らのほとんどは、この近在の百姓の子供です」


「あぁ、なるほどそうですなぁ。では、何故、皆は僧になる? 僧になるのは面白いのですか?」


「それは人それぞれでしょうな。苦しみから逃れるために、あるいは貧しさと戦うために仏の道に入る者も多い。あるいは、己の意志ではなく、幼いうちから寺に預けられる者もいる。牛若丸殿などは、そうだったと聞いております」


 義経の幼名を耳にした静は、打たれたように尋ねた。


「住職はどうして僧侶になられたのですか?」


「僧になって、この世で苦しむ人々を救いたい。……昔は、そんなことを考えておりました」


「昔は……、ですか?」


「修行してみれば、人々を救いたいというのも己の欲だと気づいた。……今では、なるべくしてなったと考えています。そうとしか言いようにない。……わかりますか?」


「……はい」


 その時、静が傀儡女になった自分を初めて肯定的に見ていた。(救われたわね)夏生は思った。


「ワシなんか、生まれた時から傀儡子だからなぁ」


 伊之介がとぼけたように鼻の頭をポリポリ搔いた。


(私も流されているなぁ)漫然と進学し、漫然と就活に挑もうとしている自分を思った。しかしそれは、なるべくしてなった、ということとは少し違う気がした。


「ならば、この寺で出家なさるか? 拙僧が髪をおろしてやろう」


 行徳が伊之介に向かい、真顔で両手を合わせる。


「いやぁ、ワシには無理です。肉も女も好きだからなぁ」


「しかし、今はその好きなものが手に入らない。だから胸が苦しい。……違いますか?」


 彼は、旅の空に飢え、好きな静を自分だけのものに出来ない彼の胸の内を言った。


「さすが住職だ。よく分かるなぁ」


「それが欲なのです。欲があるから、生きるのが苦しい。しかし、人間、欲を捨て去るのも難しい」


「住職でもそうですか?」


 尋ねた静に眼を向け、行徳が微笑む。


「身体ひとつあれば十分……。そう思いますが、なかなかどうして、簡単にはいかないようで……」


(身体の無い私にそれを言うのですか)夏生は突っ込みを入れてみた。


「……南無観世音菩薩、拙僧もまだまだ修行が足りない。どれ、大日如来に経をあげましょう」


 行徳が立ち、小坊主たちが続いた。


 静たちは食料の豊富なその寺で三泊し、疲労の溜まった身体を癒した。夏生は自分の欲と就職という難問について考え続けていた。私は、どのように生きていこうか……。


 静たちが奥羽おうう山脈を越えたのは3月初めだった。雪国でも春は目の前で、足下では草木が芽吹き、雪解け水が音楽を奏で始めていた。4人は、道端にたたずむ男根の形をした道祖神の横に掛けて休息した。


「春ですねぇ」


 おぼろ雲を見上げる静の顔は雪焼けで浅黒かったが、龍蔵が吸いつく乳房は空を写したように青かった。龍蔵の乳を吸う力は強まっていて、今では痛いほどだ。その痛みを静と共有しながら、夏生は安堵していた。彼女が雪山で死んでしまうかもしれないという推理が杞憂だったからだ。


「あぁ、確かにな。春になるのは嬉しいが、これはどうだ。足元がぬかるみ、まるで泥田だ」


 伊之介が泥だらけの足を持上げて見せる。


「泥が嫌なら道を引き返せ。吹きさらしの峠なら愚痴も凍るぞ」


「それがいい。なんなら会津の寺に戻って出家するといい」


 勝蔵と白女が伊之介をからかった。龍蔵が乳房から離れてゲップをする。


「解けた雪が田畑を潤してくれるのです。文句を言っては罰が当たります」


「なんだ、静まで……。説教とは、まるで僧侶だな……」伊之介が口を尖らす。「……それにしても、春になるとあそこがうずく。フキノトウやツクシの気持ちが分かるなぁ」


「伊之介は煩悩の塊だねぇ」


 呆れ顔の白女が伊之介の頭を杖で叩き、それから「ヨイッショ」と立った。


 静は荷物を背負い、肩から下げた帯に龍蔵を入れて抱きかかえた。産まれて半年に満たないが、ずっしりと重みを増している。最近ではじっとしているのを嫌がり、静が歩いている時も手足をじたばたさせることがある。


「傀儡子だからなぁ」


 白女に叱られても、伊之介はいつものようにとぼけた。


(夏生だからなぁ)伊之介の口真似をしたのは、彼に共感を覚えるからだ。生きることに強い静や勝蔵より、自分は伊之介に近い人間だと思う。


 勝蔵が大きな荷物を背負って立ち上がる。そうして静の準備が整うのを待って坂を下りはじめた。伊之介が慌てて彼を追った。


 静が伊之介に続こうとすると、白女が肩を押さえた。難しい顔をしている。


「白女さん、なにか?」


「静。具合が悪いんじゃないのかい? 隠すことはないよ。身ごもったんだね?」


「そうかもしれません」


 静がコクッとうなずいた。


(エッ!)夏生は驚いた。静がだるそうにしていることも、生理がないことも、昨年、出産したからだと考えていた。


「しばらく無理をしない方がいい。それから、産まれるまでに父親を決めてやるんだ。さあ、先にお行き」


 白女が父親を決めてやれというのは、静が複数の男性と関係を持ったからだ。(お腹の子の父親は誰なのだろう?)夏生は考えた。静の心を探ると義経の顔が浮かんだ。


 先を歩いていた勝蔵が立ち止まっていた。


「どうかしたのか?」


「なんでもないよ」


 白女が杖を左右に振って応じる。


 勝蔵は、どうして静を抱こうとしないのだろう?……夏生は考えた。義経に代わって静の心の中に住み着いたのが彼だとわかるからだ。




 静が勝蔵と結ばれたのは、安積庄の八幡神社で力蔵と合流した後、五月雨が降る旅の空の下だった。その頃、静の腹が膨らんでいるのは誰にでもわかった。早く父親を決めろ、と白女に催促されたのを口実にして、彼女は頼りがいのある彼を夫に選んだ。勝蔵は拒絶しなかった。その日から、腹の中の子どもは勝蔵の子になった。


 数日後、足を踏み入れた信夫庄は、盆地一帯が雪解け水と長雨で大きな湖と化していた。力蔵は盆地の縁を縫うようにして北西部にある石那坂いしなざかという土地へ向かった。奥州藤原氏の配下、佐藤氏が守る大鳥城の御膝元で、良い湯が沸くと評判の土地だった。


 そのころ静は、傀儡子たちが地形を調べ、東大寺再建の勧進と称して平泉へ向かう西行法師の後を追っているのに気づいていた。おそらく源頼朝の依頼なのだろう。地形を調べるのは戦の準備だろうと推測できたが、西行法師の行動を探る理由は見当もつかなかった。


 傀儡子たちは温泉の近くの森に小屋を張った。その翌日から、神社の境内で興行を行い、山で獣を狩り、暇を見つけては温泉を楽しんだ。


 ほどなく事件が起きた。狩りに出た勝蔵が、数日たっても戻らなかった。「出かける」そう言う背中を見たのが最後だった。狩りは名目で、周囲の地勢を調べているのだろう。その現場を武士に見つかったら殺されるに違いない。そうした推測が黒雲のように静の気持を犯して不安にさせた。


「勝蔵さまは無事でしょうか?」


 静が白女にそう尋ねるのは、その日が2度めだった。


「女がやきもきしたところで、男たちは帰らないよ。男たちときたら、狩りや遊びに夢中になると3日も4日も帰らないものさ。龍蔵は私が看ているから、湯につかって気持ちを晴らしておいで」


 白女に慰められて、静は温泉に向かった。


 大きな湯だまりに、雨のために仕事にならない傀儡子たちの顔が並んでいた。


「よう、静。こっちに来い!」


 手を挙げたのは伊之介だった。隣には干し柿のように萎びた顔の老僧がいた。


「この坊様、面白いぞ」


 伊之介がそんな風にいうので、失礼だと注意した。


「よいよい、若者は失礼なものや」


 老僧はニコニコと笑っている。静は伊之介の無礼を詫びてから、彼の隣に身体を沈めた。


「それで、何が面白いのです?」


「骨になった人間を生き返らせたらしい」


「えっ、まさか……」


 あなたが西行法師……、と声になりそうなところを堪えた。京の都にいたころ、西行が死者を生き返らせたという噂は聞いていた。(まったく昔の人ときたら、科学的じゃないわね)そう考える夏生は、ゾンビやフランケンシュタインを想像していた。


「そのまさかだからスゴイだろ。坊様、さっきの話をこいつにも教えてやってくれよ」


 伊之介が催促した。


「ふむ……」西行は首を傾げて静の瞳をまじまじと見つめた。


「……不思議なことよ。女御にょうごの中には魂が二つあるようや」


(わかるの!)夏生は西行の不思議な力を信じかけた。


「腹の中に赤子がおりますので……」


 静が自分の腹を撫でる。(そっち!)と、夏生はひっくり返りそうになった。


 西行は、「ふむ」と鼻を鳴らしてから口を開いた。


草木国土悉皆成仏そうもくこくどしっかいじょうぶつ……。全てのものに命があり、全てのものに仏が宿っている。土塊つちくれや死体であっても仏に見放されることはないのや。仏の力を借りれば骨とて生き返る……」


 法師は京の山奥で亡くなった友人を生き返らせたことがあると話した。


「ほら、すごいだろう」


 伊之介は無邪気に笑ったが、静は気持ちが引き締まる思いだった。そして、訊かずにいられなかった。


「あなたさまが、西行法師さまなのですね?」


「そやで」


 彼は軽く応じた。驚いたのは同じ湯につかる傀儡子たちだ。親しく話していた老人が、動向を探っていた西行法師その人だったからだ。


「西行さまが、どうして奥州などに?」


 静が訊いた。


「東大寺再建の勧進や。藤原秀衡ふじわらひでひら殿に銭の無心に行くのや。いま、日本で一番金持ちなのは奥州の藤原さんやからなぁ。しっかし、70にもなると旅は辛い。だからこうして湯に浸かりながら、ゆぅるゆぅると歩いておる」


「湯だから湯る湯るかぁ。できるな、西行さん」


 伊之介が駄洒落をほめると、西行は「そや、そや」と笑った。それから彼は、傀儡子たちが旅の話を面白おかしくするのを、「ほう、ほう」と相槌を打ちながら聞いていた。


「ムッ……」突然、真顔を作った彼が東に向いた。


「西行さん、どうした? 難しい顔をして……」


 伊之介が訊くと、彼は「待て」と手を向けて制した。東の空から視線を動かさない。


「何があるというんだ。ワシには雲しか見えないが……」


 伊之介が目を細めた。静にも、もちろん夏生にも雲以外のものは見えなかった。


「あぁ……、魂がひとつ天に上った。あれは我が子か、あれが我が妻かと泣いておる……」


 西行の目尻から涙が一筋流れた。


 ――ザザザ……、強い西風が木々を揺らした。雲が切れて青空がのぞき、見つめる先に峰越山が現れる。降りそそぐ陽射しが山の新緑を輝かせた。


「この土地では、あれが羽山ということや……」


 湯で涙を洗った西行が、東に見える峰越山を指した。


(羽山?)夏生には、その意味が分からない。


「羽山信仰は古いものや。そこに葬れば、死者の魂はたやすく空に昇る」


 彼は夏生に説明するように、峰越山を指していた指を空に向けて動かした。まるで昇天する魂を追うようだった。


「それでかぁ……」伊之介が声を上げた。「……一昨日、あの山に登った。カラスが多く、腐臭がひどかった」


「なに、なに。何の話?」


 その時やって来た桔梗とフジが、前も隠さずドボンと湯に入る。生じた波紋に押されるように、西行がそろりと立ち上がった。


「あかずして 別れし人のすむ里は……」


 和歌を詠みながら、湯を上がる。


「西行さま、どういう意味ですか?」


 西行の詠む和歌が気になり、静は彼を追った。


「ワシにもわからん。今、空に昇った魂が詠うのや」


「西行さまの魂が空を飛ぶのですか?」


「ワシの魂は、まだここにある」


 老僧は自分の胸をトンとたたいた。


「ワシにはわかるのや。命を失った魂の嘆きや悲しみ、切なさが……。今、羽山から昇った魂は悔いを抱え、泥にまみれた信夫庄を見下ろしておった」


 静は小屋に来てほしいと頼んだ。彼の行動を探る勝蔵の力になればと思ってのことだ。


「さて……」少し考えた西行が、「行こう」とうなずいた。


 西行を小屋に招き入れた静は、常備している酒を出した。


「この世の荒廃はいかばかり……。自然も人の心も荒れほうだいや。……のう?」


(今も昔も同じだわ)夏生は可笑しかった。そして哀しかった。昔から環境や人の心の荒廃を語りながら、何も変えることができなかった日本人が……。(近頃の若い者は、と老人が言うのも昔から同じだというし……)人間は進歩しているようで、本質は変わっていないのだろうと思った。


 西行は語るだけで酒には手を着けなかった。


「では」、と雉女は毛皮の床を敷いて西行の手を引いた。


(こんなお爺ちゃんとするの?)夏生は気持ち悪いと思った。眼をそむけたかった。が、彼女の眼は、静が見るものを見るしかない。


 横になった西行法師は、旅慣れた足を静の足に絡ませる。そうして「ぬくい」と眼を細めた。そうしただけで、静に手を触れることはなかった。その理由を聞くと、「ワシは、もう男ではないのや」と彼が答えた。


「では、どうしてここに来られたのです?」


「決まっておろう。お前に誘われたからや。1人でいるのが不安なのやろう? ワシを慰めるというのは、女御自身、己の心の痛みを取り除きたかったからにすぎないのよ……」


(そういうことか……)夏生は、彼の優しさに触れた気がした。


「……人の中には仏がおる。お前の中にもや。だから寂しがることはないのや。己の中の仏と語らい、頼ればよい。どうしようもない時には、助けてくれとすがるのよ」


「私の中の仏にですか……」


 静は探した。自分の中の仏を……。夏生は自分が求められているような、こそばゆさを感じた。が、静が見つけたのは、無愛想な勝蔵の記憶だった。


「……しっかし、ワシは女戒にょかいという禁を犯した。また仏の世界が遠のいた」


 西行は自虐的に言う。


「西行さまは、添い寝して私を救ってくださっているのです」


「ものは言いようやのう。しかし、そうして救われる魂があるのなら、そうしてみることが良い時もある。生と死は表裏一体、形ある物はいずれ壊れる」


「壊れたら、直せばよいのでは?」


「いやいや……。ワシは一度壊れたものを集めて直してみたが、人為で作るものなど所詮偽物。神仏がこの世に創造したものとは全く違っておった。一度死んだものに、本来の命はなかった」


「……反魂の法のことでしょうか?」


(反魂の法……)そんな言葉をアニメの中で聞いた気がした。


「湯で話した通りや。……ワシは亡くなった友が懐かしく、その骨を集めて人型を作った。それは確かに友の形をなして生き返ったが、ワシの友とは全く異なる命やった。甦る命が心のない花ならば、嘆くまでもあるまいが……」


「本当に生き返すことができるのですか?」


(それ、私も知りたい)


「ワシの言葉を疑うか?」


「いえ……、あのう……。申し訳ありません」


 静が身をすぼめた。心底、後悔していた。


「よいよい。ワシが噓をついていない証拠など、どこにもない。人の知ることは少ないのや。そやから自分が真実だと信じていることさえ、真実ではないことがある。ワシの言うことも同じや。……女御も己の目で見、己の耳で聞き、己の頭で考えて真理にたどり着くしかない。それが出来る女御や。のう……」


 西行は目尻を下げ、更に説く。


「……反魂を行い友を生き返らせてみて、ようやくワシも学んだ。死んだ者を懐かしみ迷わせてはならんのや。亡くなった者を引き戻すことより、新たな存在(もの)を生み育てることを考えよ。そこに真の魂が宿る」


「はい。ですからこうして……」


 静が膨らんだ腹に西行の手を引きよせた。


「そうだったな。それで良い。……命を繋げ。それが女御がこの世で生きた証、仏への供養となる」


(生きた証……)その言葉は夏生の胸に刺さった。


 静の体内の何かがもだえるように動く。そこで小さな宇宙が生まれたような衝撃に打たれ、2人は意識を失った。


 ――シズカ――


 暗闇の中で声がする。勝蔵の声のような気がした。


 静と夏生は我に返った。頭の中がぼんやりしていた。


「静……。起きないか、夕食の時刻だよ」


 隣に西行の姿はなく、百太夫人形の前に宋銭が置かれていた。




 その日、勝蔵が死んだ。いや、殺された。熊蔵が、奥州藤原氏の情報を聞き出そうと足しげく通う大川太持おおかわたもつという武士に、勝蔵らしい男が人柱にされたと聞いて帰った。


「人相風体を聞く限り、勝蔵に間違いあるまい」


「我々が地勢を探っているのを知られたのか?」


「いや、土手を修繕していた武士に、たまたま捕えられたのだ。そこを通りかかったという偶然の結果だ」


 力蔵も仲間の傀儡子たちも、熊蔵の話を聞いて肩を落とした。


 夏生は納得していなかった。越後周りで旅する間、勝蔵が山賊や熊や狼と戦った様子を見ていたからだ。


「あれほど強い勝蔵さまが、田舎侍に人柱にされることなど、あるはずがない……」


 渦巻く感情が静の声を奪っていた。


「捕えたのは佐原平祐さはらへいすけという武士らしい。もちろん1人ではないだろう。その佐原が指揮を執ったということだ。理解しろ、静。……で、どうする、長者? 黙って受け入れるわけにもいくまい」


 熊蔵が力蔵に判断を求めた。居並ぶ傀儡子たちの視線が力蔵に集まった。


「もちろんだ。たとえ一介の傀儡子とはいえ、いきなり人柱にするなど、人の道に反する。場合によっては……」


 勝蔵の敵討ちを……。静と夏生は、そんな言葉を待った。


「しかし、今ここで佐藤基治と事を構えるのは……」


 普段は無表情な力蔵の顔にも苦渋の色がにじみ出ていた。相手は地元の豪族なのだ。力づくで抗議すれば自分たちが殺されかねない。かといって放置すれば、長者として一族を守る勤めを放棄したことになる。まして殺されたのは、片腕と信頼していた息子なのだ。感情が治まらないに違いなかった。


「とにかく、改めて事の経緯を確認し、それ相応の詫びを入れさせる」


 力蔵は熊蔵を連れて立った。


「私も行きます」


 静が立つと、桔梗が腕を握った。


「こういうことは男のすることだよ」


「私は勝蔵の妻です。直接会って、話を聞きたい」


「勝蔵は白女にとっては実の息子。その気持ちも考えておやりよ」


 彼女に諭され、白女に眼を向けた。彼女は瞼を閉じて、じっと耐えていた。


 静の身体から力が抜けた。西行が見たという峰越山から昇った魂が、勝蔵のそれではなかったか、と気づいた。――亡くなった者を引き戻すことより、新たな存在を生み育てることを考えよ……、と西行が言ったのは、このことかもしれない。夏生は彼のしわがれた声を思い出していた。


 力蔵は、佐藤三郎太さとうさぶろうたという基治の姻戚の力を借りて話を付けた。


「勝蔵を生き埋めにした佐原平祐は、その場で腹を切った。これをもって、お互いに遺恨を残さない。そう話を着けてきた。……皆の者、良いな。勝蔵のことは、今をもって忘れるのだ」


 深夜、仲間の元に戻った力蔵が告げた。


「あぁー」


 悲嘆の声がする。それまで耐えていた白女が泣き崩れていた。


「和解したとはいえ、しこりも生まれた。天気が良ければ、明後日にはこの地を立つ。準備を怠るな」


 力蔵が一同に命じる。「オウ」と応じた傀儡子たちの声は、いつになく鈍かった。


 静は力蔵を呼び止めて信夫庄に残りたいと頼んだ。


「勝蔵の事、1年も暮らしていないというのに、忘れられないというのか?」


「はい。勝蔵さまは、私を心から愛してくださいました」


「ならば、静がひとりで苦労するのを、勝蔵は喜ばないと思うが……」


「この地では、死者の魂は羽山から天に昇るそうです」


 静は東の空を指した。青い月の光の下に、黒々とした峰越山の影が横たわっている。


「そうか……」


 力蔵が静の指す先に視線をやった。


「あそこから、勝蔵が昇ったか……」


 力蔵が眼を閉じた。目尻に涙がにじんでいる。


「ヨシ!」声と共に眼を開けた力蔵が、勝之介を呼んだ。


 勝之介は勝蔵の八歳年下の弟で、風貌は力蔵とも勝蔵とも似ていなかった。細面な顔には貴族的な繊細さがある。弓の腕前だけなら勝蔵と遜色ないのだが、わずかばかり思慮の浅いところがあった。


「我々は奥州平泉まで行き、1年後には戻ってくる。それまで、ここで静を守れ」


「まさか、兄者の墓守というのではないでしょうな。それなら御免です」


「守るのは墓ではない。静だ」


「守る必要などあるのですか? 静ならば、いくらでも客が付きます。食うに困ることはないでしょう」


「馬鹿者。静は女子だ。幼い龍蔵もいれば、身重でもある。しばらく客足も遠のくだろう。その間、お前が支えるのだ」


 説明されてはじめて、勝之介は自分のやるべきことを知ったようだった。が、それは納得とは違う。「子守ですか……」と憎まれ口をたたいた。


「静は中原殿からの預かりものだ」


「親父殿は、武士が怖いのか?」


「これから世の中は益々乱れる。武士の時代になるということだ。武力が重んじられれば道理は引っ込む。勝蔵のように、いきなり殺されることもあるだろう」


 ――武力に変わって、資本がものをいう時代が来る――夏生は経済学の講義を思い出していた。社会の機軸の変化を見せつけられたような思いだ。


「それで尻尾を巻くのか?」


「ワシは、大勢の女子供、年寄りを養って行かなければならん。お前もそうやって育ててきた。負ける喧嘩は出来ないのだ」


「ならば、俺は強い方につく。武士になる」


「馬鹿な……」


 力蔵のこめかみに血管が浮いた。


「武士の時代になると言ったのは親父殿だ」


「武士の時代になったからといって、武士が幸せだという訳ではないのだ。むしろ、そこから距離を置いた方が幸せということもある」


(お金を持っているから幸せとは限らない……、確かにそうだけど、お金は沢山あったほうがいいよなぁ)夏生は、いちいち力蔵の言葉をまぜっかえした。それも、彼に声が聞こえないからできることだ。


「何が幸せかなど、自分で決める」


 勝之介は不承不承の体で承諾した。


 2日後、傀儡子の行列が平泉を目指して旅立った。その後、静は三郎太に連れられて勝蔵が柱にされた場所を訪ね、彼の好んだ笛を吹き、鎮魂の舞を奉納した。その後には佐原平祐の首塚を作って舞った。


 美しい調を奏で、剣を煌めかせて舞う静……。三郎太はその姿と弁才天を重ねた。そして彼は、半ば強制的に静らを自分の屋敷に住まわせた。彼の家臣筋にあたる平祐が、勝蔵の命を奪ったことに対する負い目もあったのだろう。


 彼の屋敷の離れに住むことになった静は、龍蔵を育てながら好きな伊勢物語をながめ、勝蔵の眠る場所を訪ねて時を過ごした。時折、三郎太に呼ばれて酒と話の相手をしたが、彼が身体を求めてくることはなかった。いつしか三郎太の屋敷に弁才天が住んでいるという噂が広がり、武士や町人、百姓が覗きに来るようになった。彼女は日に二度三度、塀の外にも届くように笛を吹き、今様を詠って彼らの期待に応えた。


 秋も深まった満月の夜、陣痛を迎えた。


「ほれ、力みなされ!」


 産婆の声がした。(ガンバレ)夏生も声援した。


 2度目の出産とはいえ、肉体が左右に裂かれるような痛みがあった。


 ――ホギャー――


 赤ん坊が産声を上げるのと同時に、夏生は意識を失った。


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