郡上八幡 少し昔の不思議な話~気配~
今年も盆が来る。
優子は胡瓜に爪楊枝を刺して、馬を作った。先祖の魂が乗って帰って来られるように、毎年作る慣わしだ。帰って来る時は、速く走る馬を用意する。盆が終わって帰って行くときは、ゆっくり歩く牛を、茄子で作るのだ。
幼い頃から優子は、毎年盆になると、家の中に、家族以外の人の「気配」を感じる。一番古い記憶の中でさえ、その「気配」はすでにある。家族は誰もその「気配」を感じないらしい。優子が何か言っても、毎年のことなので、今や、すっかり反応は薄い。
その「気配」を感じても、優子は一度も怖いと感じたことはなかった。
去年祖父が亡くなり、「気配」は更に顕著になった。
祖父の義一は、末っ子の優子を特に可愛がっていた。三人兄弟で、上の二人が男の子だったので、三人目の女の子が可愛くて仕方ないようだった。
義一が生きていた頃、幼い優子が「気配」について話すと、義一は、それが当たり前に起こり得ることのように話を聞いてくれた。
「おじいちゃん、さっき、台所の流しのところに、誰かおった」
「流し?あぁ、西瓜があったろ?畑で取ってきたやつ。たぶんな、久夫や」
久夫というのは、少し歳の離れた、おじいちゃんの弟で、太平洋戦争で亡くなっている。マニラで亡くなったらしいが、遺骨は戻っていない。
「暑い季節に、暑いとこで死んだでンなぁ。あいつは、子供の頃から西瓜が大好物やったでぇ、死ぬ間際は、のども乾いて、西瓜食べたいと思って死んでったンないか。どれ、仏壇にお供えしてやらまいか」
そうしてお供えして、手をあわせると、「気配」はなくなるのだ。
「おじいちゃん、さっきの、どっか行ったみたいや」
「ほら、おまん、西瓜食べて満足したで、昼寝しに行ったんやがな」
義一は、見えないものは存在すると信じている人だった。
その義一が亡くなってから、二度目の盆が来る。夕食時に、食欲が無いといって布団に入り、その後、一週間もしないうちに静かに旅立ってしまった。本人も自分が死ぬとは思っていなかっただろう。
去年の盆に、優子は仏間の座卓で胡瓜の馬を作った。義一の初盆だった。おじいちゃん、馬に乗って帰って来てくれるかな、と思いながら爪楊枝を刺した。出来上がって、仏壇に乗せた瞬間に、仏間の北側の部屋に「気配」がした。
その部屋は、祖母あさえの部屋だが、義一が生きていた頃は、当然、夫婦の部屋だった。仏間とはふすまで隔てられているが、夏はふすまも取り払い、南の縁側と北側の窓を開けると、涼しい風が通り抜けた。優子はこの部屋が大好きで、子供の頃からずっと、夏の昼寝はこの部屋でしていた。
この「気配」は、おじいちゃんだ、と優子は思った。根拠などないが、絶対そうだと思った。今作ったばかりの馬に、おじいちゃんが乗って、駆けつけてくれたのだと思った。優子は嬉しくなって、冷蔵庫に冷やしてあったお酒を仏壇に供えた。生きていた頃、義一は、夏の晩酌に冷えた日本酒を飲むのが好きだったからだ。
しばらく、そこには楽しそうな「気配」が漂っていた。優子は嬉しくなって、目をつむり、その「気配」を感じていた。
ふと気がつくと、自分が仏間で眠ってしまっていたことに気付いた。夏の夕暮れの風が通って、さっきの「気配」はなくなっていた。
優子はゆっくりと起き上がると、周りを見渡した。家の中は、家族の話し声はしていたが、いつも感じる「気配」はひとつもなくなっていた。
「優子、お墓参り行くで、早うしなれ」
母の声が聞こえた。
家族みんなでお墓参りに出かけたが、お墓の周囲では不思議なほど「気配」はしなかった。今まで、意識したことはなかったが、祖父の初盆ということもあって、お墓に行けば、祖父や、他の人の「気配」も感じるかもしれないと思いつつ出かけたので、「気配」が全く感じられないのは予想外だった。
と思ったところで、今までは?と記憶を辿ると、そういえば、確かに今まで、お盆のお墓で「気配」を感じたことは無いような気がする。なぜだろう。今更ながら、それはとても不思議な気持ちだった。
夜になって、幼なじみの久美子が来た。盂蘭盆会の徹夜踊りの初日だから、誘いに来たのだ。
仕度をして玄関に出ると、「気配」がした。おじいちゃんだ、と優子は思った。幼い頃、祖父はよく優子を踊りに連れて行ってくれた。ご飯を食べて浴衣を着せてもらうと、祖父に手を引かれて踊りに出かけた。最初は見ているだけだったのに、いつから踊るようになったのだろう。祖父が輪の外で、踊りを教えてくれたのは覚えている。小学三年生くらいの時には、学校では大して目立つ方でもないのに、踊りのときはだけは、リーダー格になっていた。
そんなに遠い昔のこととは思えないのに、自分は世間的には大人の年齢になり、祖父はこの世にいなくなってしまった。
祖父の「気配」は久美子と並んで歩く優子に、ずっと寄り添っている。と、不意に祖父の「気配」が消えた。あっ、と思った瞬間、踊りの輪の賑わいが、どっと耳に流れ込んできた。
「優子ちゃん、今年も大勢お客さんおいでるわ」
久美子が言った。毎年ながら、本当に大勢の踊り客だ。毎年、この田舎町に、どこから湧いて出るかと思うほどの人が集まる。踊りの輪にいる人たちは、みんな楽しそうだ。初めてらしき人もいれば、地元の人でもないのに常連で顔見知りの人もいる。毎年、こんな風に踊りに行けるって、幸せなことだな、と思った時、踊りの輪の上に、信じられないくらいの「気配」を感じた。
ものすごく沢山の「気配」達の中に、祖父の「気配」がいるのがわかった。「気配」達は、ざわざわと楽しそうだった。
ああそうか、優子は思った。お盆に迎えてもらえる仏様たちは、みんな幸せな仏様なんだ。だからこんなに楽しそうに、楽しい場所に集まってくるんだな、と。お墓で「気配」を感じなかったのは、みんな里帰りするが早いか、ここで宴会していたせいに違いない。そりゃそうだ、踊りは八幡の一番の自慢だ。仏様だって、集まったらみんなで踊りたいはずだ。
きっとおじいちゃんは、この徹夜踊りの夜が明けるまで、戦死した久夫さんや、馴染みの友人たちとここで楽しむのだろう。
去年、踊りの輪の中でそう思ったことを思い出しながら、今年も胡瓜の馬を仏壇に供えた。その瞬間に、北側の部屋に「気配」を感じた。
「おじいちゃん、盆が来ること、そんに楽しみにしとったんか。今年もゆっくりしていきなれ」
冷酒を仏壇に供えながら、優子は笑って呟いた。