5話 深層の洋館
そこは映画のセットのような立派な洋館だった。規模はさながらアトラクション施設のようだ。
洋館もさることながらその庭、周辺を囲む森、全てにおいて莫大な金がかかっていることは明らかだった。
あの舞台挨拶の後、PLたちは目隠しの為にアイマスクをされ、手早く組織の所有する小型旅客機に乗せられて、さらにそこから車で数十分、空輸と陸路で運ばれこの洋館にやってきた。
洋館に到着したPLたちは、スーツにサングラスと言ったいかにもな風貌のスタッフに出迎えられそれぞれの自室に案内された。
柊弥は部屋を見渡した。既視感のあるこの部屋は紛れもなく。
「施設の、部屋と同じ?」
その部屋は昨日まで過ごしていた施設の部屋と全くと言っていいほど同じ内装だった。
「部屋はこれまでと同様に必要最低限のものは揃えてあります。特別にご入用のものがあればスタッフにお申し付けください」
使用人には豪華すぎる部屋だとは思うが、なんにせよ有り難い。
「本日、正午までに食堂においでください。また、ゲーム開始前の探索は禁止です。特別な指示がない限り部屋で待機なさって下さい」
スタッフが部屋から出て行くと、柊弥はクローゼットを開けた。
様々な衣服が入っている。今着ている物と同じ執事用の服から私服も何着か用意されている。おそらく施設にいた時と同様にサイズは自分にピッタリのものが用意されている筈だ。
現在午前四時である。
取り合えずシャワーを浴びてさっさと寝てしまおう。睡眠不足の寝ぼけた頭では思考もままならない。
「お!バス、トイレ別かぁ……施設にいた時よりもいい部屋だな」
風呂場にはタオル各種アメニティ各種その他もろもろ揃っている。つくづく使用人にはもったいない部屋である。
手早くシャワーを浴びて部屋に戻ってくると、テーブルの上にメッセージカードが置いてあることに気付く。先程まではなかったものだ。おそらく柊弥がシャワーを浴びている間に置かれた物だろう。手に取って確認する。
メッセージカードには「朝九時に起きろ サエキ」と印字されていた。
簡素な物言いがサエキらしいと思いながら、柊弥はベッドサイドの目覚まし時計をセットして床に就いた。
あと数時間でゲームが始まる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝、柊弥は思いの外すっきりと目が覚めた。特に寝不足という感覚もない。
洗面所で顔を洗って身繕いをし、用意された執事服に着替え、途中で気づいた寝癖を直してから部屋に戻ってくると、テーブルの上に朝食が用意してあった。こういった運営側の施しを最早不思議に思うこともなく、柊弥は有り難く頂戴することにする。
まだ暖かいベーコンエッグトーストにかぶり付きながら、支給品を確認する。
まず、タブレットPC。
この中にはこのシナリオのPCとNPCの基本的なデータが保存されている。その他、基本的な舞台設定、基本ルールも確認できるようになっているらしい。
それから硬い金属の腕輪。
これは舞台挨拶の時からPL全員にはめられているものだ。何の装飾もない至ってシンプルな幅が二センチ程の腕輪。腕にピッタリと着けられているわけではなく、幾分か余裕のある作りになっているが外すことは出来ない。ちなみに防水なので風呂にも入れるし重いわけでもないのだが、ゲーム中ずっとはめていなければならないと思うと、自分が組織に飼われているような気がしてあまりいい気はしない。事実、そういうことなのだろうが。
あとは自分の役割に応じた衣類や生活必需品等々。この部屋に揃っているものは自由に使える。
柊弥は付け合わせのプチトマトを指でつまんで口に運び、その反対の手でタブレットの液晶画面をスライドさせる。
正午までの時間、出来る限りの基本情報は頭に叩き込んでおきたい。保存されているPCやNPCのキャラクターシートを見るとそれぞれの関係性も記載されている。これをもとにロールプレイしなければならない。
柊弥が朝食を食べつつも真剣に情報収集していると、ピコン、という電子音と共に画面上に通話アイコンが表示された。
時刻は午前九時丁度。タブレットPCの画面に見知った姿が映る。
「よう、おはようさん」
「おはようございます、サエキさん」
「早いな、もう着替えて食事も済ませたのか、モーニングコールでもしてやろうと思ったのに」
「八時に目覚ましセットしといたんで」
メモには九時に起きろと書いてあった。それがゲームの最終確認の為だと予想はついていたので、九時前に身支度を整えておいたのだ。
「へえ、元社畜は扱い易くていいね」
「……雑に煽られた意味が分かりませんけど。始めてもらえます?」
にやにやと揶揄するサエキに対し、柊弥は付き合う義理はないと言わんばかりに先を促した。
「つまんねえ奴。えー……まず所持品な。今使ってるタブレットPCは小まめにチェックしろ。逐一データが更新される他、マネージャーに定期報告をする為のツールでもある」
「ゲーム中は常に監視されているのに、報告することがあるんですか?」
「まあ、そのうちわかる。次に、左手の腕輪だがPLの位置情報を把握するための発信機が内蔵してあり、ゲーム終了まで外すことは出来ない。そしてその腕輪を介してGMや俺の指示が出ることもある。通話機能付きだから、ゲーム中PL側からGMやマネージャーに質問や諸々の確認をすることも出来る。答えるとは限らないが、まあ携帯端末の代わりと思っておけ」
施設でのセッションではイヤホン通して指示が出ていたが本戦ではこの高性能な腕輪がその代わりらしい。つくづく金の掛かった娯楽である。
そこで、柊弥はあることに気が付いた。
「サエキさん、ダイスが見当たらないんですけど」
TRPGに欠かせないダイスがどこにもない。予選で使っていたダイスは本戦が決まった時点で全て回収されている。
「ダイスならここにある」
画面に移るサエキが手に乗せてこちらに見せている。
「ダイスロールはこちらで行う。お前は腕輪をしている手を挙げてGMに宣言すればいい。結果は腕輪に表示される」
この金属の腕輪にどう表示されるのかは疑問だが、ゲームが始まればわかることだろう。
「いいか、テストセッションではイヤホンを通して逐一指示を出してきた。しかし、本戦は違う。あくまで自分の意志で、考えて行動するんだ。いいな柊弥」
サエキがいつになく真剣な面持ちで諭す。
そんなサエキに柊弥は朝食に付いてきたコーヒーを手にじっと見つめながら、このゲームで最も重要なことを確認する。
「最後に……もう一度確認させてください。このゲームのクリア条件と報酬は?」
「良い心掛けだ。クリア条件は『このシナリオの謎を解きエンディングを迎えること』、報酬は『十億』もしくは『十億を使用して手に入れることの出来るありとあらゆるもの』だ。勿論報酬が得られる者はたった一人。早い者勝ちだ」
サエキの言葉を頭に叩き込む。柊弥はすっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干すと深く息を吐いた。
「そうだ、タブレットで予習が済んだらちょっと早めに食堂へ行ってみるといい。そうだな三十分くらい前にはもういるかな」
「誰が?」
「行ってみりゃわかる。別に時間ぎりぎりまで部屋にいてもいい、好きにしろ。んじゃ、頑張れよ」
そう言うとサエキは勝手に通話を切ってしまった。
柊弥は深く長く息を吐いて天を仰いだ。頭の中で情報を整理する。
誰よりも先にシナリオの謎を解く。
そこから得られる報酬は十億円、もしくは十億円と同等の価値のありとあらゆるもの。
それだけに集中しよう。
そうすれば余計なことを考えなくていい。
捨てた過去に胸を痛めることもないだろう。