表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/39

1話 馴染みのない名前

 人は、これまで生きてきた人生の全てを失ったらどうなってしまうだろう。

 資産、職、家族、友人、恋人。

 自分を社会的に構成していた要素は全て。

 戸籍、名前。

 それらをある日突然取り上げられたら。

 白痴(はくち)のごとく狂ってしまうだろうか。

 自棄になって殺人でも犯すだろうか。

 絶望して自ら命を絶つだろうか。


 ここに一つ解が示されている。


 そこそこ美味い親子丼を口いっぱいに頬張り、小さな幸せを噛み締める男。


柊弥(しゅうや)


 そう呼び掛けられて直ぐに答えられなかったのは、それが彼の本当の名前ではないからだ。

 だから、(ようや)くありつけた少し遅めの昼食を黙々と食べ続ける。半熟玉子の親子丼、赤だしの味噌汁、胡瓜の浅漬け、小鉢に入ったきんぴらごぼうは配膳係の女性がおまけだと言って付けてくれた。所謂(いわゆる)食堂のおばちゃんというやつだ。

 食堂、ラウンジと呼んだ方が適当かもしれないこの場所は、今は人がまばらだ。昨日正午頃に来たときはもっと人でごった返していた。

 おそらく、自分と同じような境遇の人々。

 謎の施設に突然連れて来られた人間たち。

 人生を担保に、望んでこの遊戯に参加している“プレイヤー”。

 まるで映画の煽り文句のような、こんな状況に現実味などあるはずもなかった。

 だからしっかりとこの親子丼を味わって小さな幸せを噛み締めもするし、三日前まで勤めていた会社の社食と比べて思い出し笑いもしてしまうのだ。

 あそこの社食もこのくらい美味くて種類も選べたら、外に食べに行かなくて済むのに、なんて。

 仕方のないことだ、現実味がないのだから。

 自分がこれから、謎の組織による謎のゲームに人生を賭けて挑むなんて。

 卵のふんわりとした食感と鶏肉の柔らかさを味わいつつ、彼はこの施設に来てからの出来事を思い返す。

 時刻は午後二時を回っていた。


浅見柊弥(あさみしゅうや)!」


 二度目の呼び掛けは若干語気を強めたものだった。

 その呼称が自らを指すことを思い出した彼は弾かれたように顔をあげ、向かいの席に座る人物を見た。スーツ姿の男、歳は三十半ばくらいだろうか。電子タバコをくわえた口許の髭を指先でかきながら、聞いてるか、と確認してくる。


浅見柊弥(あさみしゅうや)


 頭のなかで二度、その名前を反芻してから、箸を置いた。口いっぱいに含んでいた親子丼を慌ててお茶で胃に流し込んで、彼、浅見柊弥は居住まいを正して口を開いた。


「すみません、マネージャー。もう一度噛み砕いて話してもらえませんか」


 マネージャーと呼ばれた男は手元の紙束を指でもてあそびながら説明する。


「さっきのセッションだけどな、もっと喋れ。GMが見かねて話を振ってたけど、それ以外だんまりだった」


 そうは言っても勝手がわからないのだから周りの人間を見て適当に合わせるしかあるまいに。心の中で呟くが口には出さない。上司には伝えない方がよい心境というのは往々にしてある。社会人としての持論だ。


「ええと、じー……えむ、は何の役職でしたっけ?」

「役職じゃなくてゲームマスターの略な」


 ははあ、成程と思いながらも、なら普通にゲームマスターで良いじゃないかとまた心の中で毒づいたが勿論口には出さない。


「ゲームの進行役をGMゲームマスター、場合によってはDMダンジョンマスターとかKPキーパーと呼ばれることもある。まあ、ゲームマスターの方が汎用性が高いからそう呼ぶが」


「ああ、キーパーってそういう……さっきのゲームでやたらとキーパーって連呼してるからサッカーでも始めるのかと」

「ゴールキーパーってか?」


 正直にうなずけば、目の前の男は軽く笑いながらゲームキーパーな、と訂正した。その笑いが嫌なものではなかったから彼、浅見柊弥は今度は素直に疑問に思ったことを口にできた。


「よく分からないうちによく分からない生物に殺されました。そういうゲームなんですか?」


 先程まで参加していたゲームは、何故か見知らぬ場所に閉じ込められ記憶を失うところから始まり、脱出するため探索を進めていたら突如現れた謎の生物によって自分のキャラクターが瞬殺されてしまった。

 そうして訳のわからないまま、そのゲームが終わるまで他のプレイヤーの活躍をただただ眺めていた。


「TRPGの種類によってはそういうこともある」


 テーブルトーク・ロールプレイングゲーム。

 略してTRPG。

 ダイスと呼ばれるサイコロの出目でプレイヤーの行動を決定し、それ以外はプレイヤー同士の会話とルールに沿って用意されたシナリオを進めていく遊び。

 重要なのはプレイヤー自身がキャラクターを演じるということだ。例えば警察官だったりあるいは魔法使いだったり、はたまた探偵だったり。ちなみに先程のゲームでは学生だった。正直無理があると思う、自分は今年で二十五になるというのに。

 そんな風に役割演技ロールプレイをする。そういうゲームらしい。

 そして浅見柊弥とは、この謎の施設に来て与えられたキャラクター名である。

 言ってしまえば、ゴッコ遊び。

 しかし、そのゴッコ遊びには人生を賭して挑まなければならない。

 それがこの施設に連れてこられた人間の役割なのだから。


「マネージャー」

「サエキでいいよ。マネージャーって言われてもそこら中にいるわけだし」


 ここに集められた人間、即ちプレイヤーにはマネージャーと呼ばれる管理者が一人付けられる。

 浅見柊弥のマネージャーはこのサエキである。


「サエキさん、このTRPGってゲーム、物によってルールが違いますけど……今まで参加したヤツ全部覚えなきゃいけないんですか?」


「ロール(演技)する、ダイス(サイコロ)の出目で行動が決まる。それだけ理解し、慣れろ。どうせ本戦ではシステムもシナリオもGMのオリジナルだ。既存のルールを事細かに覚えることに意味はない」


 本戦。

 今はその本戦までの準備期間だ。宛らこの施設は研修施設といったところか。

 今のところ施設に来てやらされたことは“真剣にゲームに興じる”ことくらいだ。

 自分はあまりゲームには詳しくない。テレビゲームもしない。テーブルゲームと言われて思いつくのはチェスやオセロ、将棋などのボードゲーム、それからトランプなんかも当てはまるだろうか。モノポリーも代表格だろう。ちなみに人生ゲームはやったことがない。

 テーブルトーク・ロールプレイングゲーム、TRPGは和製英語らしい。ここに来て初めて知った単語だ。

 いずれにせよ、今やらされているゲームは練習である。それによってペナルティが課せられたことはない。

 例えば負けたら巨額の負債を負わされるとか、臓器を売り飛ばされるとか、あるいは地下の秘密施設で奴隷労働させられるとか。あるいは、殺されるとか。

 ストーリーとしてはテンプレで、自分もそういった小説や映画は嫌いではない。しかし、先程のゲームのように途中でロストしても特に何があるわけでもない。

 それは練習だからなのか。

 いや、そもそもゲームの為に集められたなんて話は全て出鱈目で、次の日にはヤクザにでも売られて最終的に海の底に沈んでいるかもしれない。いやいや、実はここは新興宗教の施設で信者を増やすために洗脳することが目的かもしれない。

 この目の前に座っている、一見気さくなスーツ男も実は残忍なヤクザの構成員なのではないか。きっとそうだ、ヤクザのサイドビジネスだ。最近はヤクザもシノギに苦労しているらしい。ヤクザ映画でそう言っていた。

 映画。

 本当に現実味のない、映画みたいな状況だ。


「……これって所謂(いわゆる)デスゲームってやつですか?大金を得るために命を懸けてゲームに挑むとか、よくあるじゃないですか。それ系の映画、前に彼女と観に行ったことが――」

「浅見柊弥、過去の話は禁止事項だ」


 サエキが厳しい口調で咎めた。

 浅見柊弥という名前を与えられて二日目。

 この施設ではそれまでの自分を語ることは禁じられている。

 これでも三日前までは普通の会社員だった。

 いつもなら会社近くの牛丼屋で昼飯を済ませとっくに外回りの営業に出ている頃だ。三日前の晩にこのサエキに出会わなければ、今頃は営業先の応接室で先方と商談しているか、でなければ自社でデスクワークだ。

 ああ、そうだ、今日は午後のミーティングに出る予定だった。それまで自分が携わっていた仕事を後輩に引き継がなくてはいけなくて……。


 違う。

 それはない。


 この不可思議な状況は関係ない。この状況に巻き込まれていなくてもいつものルーティンワークは戻らない。オフィス街を歩いて回る営業も面倒なデスクワークも無駄に多すぎるミーティングも、不味くて種類の乏しい社食も、恋人も。


 二度と戻らない。

 だから此処にいる。


「確かに、導入としてはデスゲームのお約束だな。とある理由で集められた人間たちが謎の組織の主催するゲームに参加する。デスゲーム要素はないとは言えないが……まあ、殺し合いをしろとかそういう趣旨じゃないから」


 そう言うサエキは、どこか含みを感じさせる笑みを口元に浮かべている。咥えている電子タバコが何故か胡散臭さを強めている気がした。なんとなくこの男は電子タバコを騙し騙し吸うのではなく、日に二、三箱消費するくらい気にも留めずタバコを吸っていた方が誠実な気がするし、本音を喋りそうな気がする。

 勿論、根拠のない偏見だ。


「悩んでも無駄だぜ、柊弥。確かにお前たちの置かれている状況は非現実的で、この施設もこの組織も怪しく法外なものだということは否定しない。が、こちらは何も強制はしていない。今すぐ家に帰せというのなら自宅に送り届けよう。ここに来る前のお前に戻って人生を続ければいい」


 サエキという男はやはり人が悪い。柊弥は彼をじとりとねめつけた。ここに来る前の自分のことを知っていて、よくも笑みを浮かべながら話せるものだ。そもそも、このゲームの話を持ち掛け、ここに連れてきたのはこの男だ。自分がこのゲームに参加する目的も、以前の生活に戻れないことも全てわかった上で自分に問うている。


「どうする、浅見柊弥を捨てるか?」

「いいえ」


 柊弥はっきりとサエキの目を見て答えた。

 サエキは小さく頷くと、隣の椅子に置いてあった大きめの紙袋を柊弥に手渡した。


「じゃ、次も張り切っていくぞ。今渡した服に着替えて午後四時からのセッションに参加しろ。卓の番号は六番。キャラクターシートと概要はその紙袋の中に服と一緒に入ってるから。」


 紙袋の中を覗くと、見慣れない衣服が入っていた。どうやら和服のようだ。

 役柄によって衣装が用意されているとは、そこまで役作りが重要ということなのだろうか。

 ちなみにセッションとはTRPGを始めてから終えるまでの区切りのことを言うらしい。卓も同じような意味らしいが用語が多くてまだ把握しきれていない。


「柊弥、この研修期間はキャラクターメイクの時間なんだよ」


 キャラクターメイクとは文字通り、プレイヤーが自分の操るキャラクターを作成、構築、自分の思い通りにカスタマイズすることである。

 TRPGの場合、コントローラーなどで操るわけではなく自ら演じることになるわけだが。


「でも、キャラクターの設定はその都度渡されるキャラクターシートで指定されてるじゃないですか」

「お前が何も要望を言わないからだろうが。お前が演じるんだから真面目に考えろ。研修中に色んな卓を経験して、色んな役を演じて、浅見柊弥がどんな人物であるかちゃんと作れ」


 本番までに浅見柊弥という人物像を構築し、なりきる。出来るだろうか。


「長く話し過ぎたな。自室に戻って着替えるのが面倒なら、フロア内にある共同の更衣室を使うといい」


 サエキは席を立つと、打ち合わせがあるからと言って去っていった。

 柊弥は食べ終わった食器を返却口に持って行くと、そこから見える厨房に向かって「ごちそうさまでした」と一言声をかけてラウンジを後にした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ