ハッピーバースデー
この作品を読み終わったら最後の問いに答えてほしい。
正解はないから、自分の心一つにとどめておいてくれれば結構。
ニコラスはその日、送られてきた包みを開けていた。これは最愛の家族から送られてきたもので、仕事で外国に住んでいるニコラスの誕生日を祝うためのものだった。
彼はウキウキしながらずっしりとしたその誕生日プレゼントの包みを開く。色とりどりのその包みは、心を躍らせるような綺麗な装飾で箱に入れられていた。
中には“1st”と書かれてある長方形の小さめな包みがあって、次第に大きくなる“2nd”そして“3rd”と記されている箱があった。最初の包みの紙を破りとる。
「ビデオレターってやつか。すごい、いいなこれは」
今現在はDVDであるものの、それを開けてパソコンの中に入れ、再生を始める。
ブロンドの女性と、栗色の髪をした我が子が手を振っている。彼は知らず知らずのうちに微笑んでいた。
『ぱぱー!ぱーぱ!』
『あなた、見えてる?あぁ、もうちょっと!髪の毛引っ張らないでよ、ほら、パパに手を振って!』
心温まるやりとりに、ついつい涙が滲み出し、そっとハンカチで拭うと、妻はニッコリ笑いながら、ハッピーバースデーの歌を歌い始めた。幼い自分の子供がゆらゆら歌に合わせて体を振っているのがなんだかとても嬉しくて、笑顔になっていく。
『ハッピーバースデートゥーユー!パパ、おめでとう!』
「ああ、見てるよ。ありがとう」
しかしながら、その様子は徐々におかしくなっていった。
ピンポーン……とチャイムが鳴って、妻が笑顔のまま応対していく。その声はひどく明るい。ビデオレターの中にはどうしたことか、その映像も入れていたようだ。もしかしたらケーキやピザのデリバリーでも頼んだのかもしれない。それともこれもまたプレゼントの宅配なのだろうか?ワクワクする気持ちを抑えながら、彼は画面の中を見つめた。
『はぁーい!あら、やっと来たのね!』
『ママ?この人だあれ?』
『あなたのお姉ちゃんになる女の子よ』
狂気じみたその画面の中には、見覚えのある少女が立っていた。妻は少女の正面に、カメラに背中を向けるように立っていて、その右手にはナイフが握られていた。嘘だ、嘘だ、とつぶやきながら、ニコラスは画面を見つめ続ける。ガクガクと震える手を握りしめて、その先の言葉を待った。
『あのッ、ここに母がいるって……』
『ええ、そうね。そうだったわよね、会わせてあげる。こっちよ?』
風呂場の方に案内していき、その場には幼い我が子が残される。しかし間も無く湿った衝撃音が響いた。カメラはそれを追いかけるようにして、風呂場の惨殺を目撃していた。何度も、何度も、叩き潰せなかったところが無いように振り下ろされるシャワーヘッド。包丁は足を傷つけて逃げられないようにしてあった。
ぐちゃ。
ぐちゃ。
ぐちゃ。
骨すら砕きながら、変形していくシャワーヘッド。重たいのが難点だわと言いながらもよく使っていた、マッサージ機能のついたそれを勢いよく振り下ろす。
『ぎゃ、むぐーーーーっ!!』
『あは、あは、あははははははハハハハハハハハハハハハッ』
しばらくして映像が唐突に途切れた。次の瞬間には元の居間に戻っており、その静けさからきい、と扉が開くと、血まみれの妻の顔がぬっとその隙間から出てきた。
画面の中の出来事であるのに、ニコラスの喉がヒッと音を立てた。
『ハッピーバースデー、あなた。誕生日プレゼント楽しみにしていて!』
恐怖以外の何かに突き動かされるようにして、ニコラスはその二番目の包みを開けていた。その中には次の箱を絶対開けてね、という手紙と、それから血に濡れた生暖かい女性の手首が入っていた。その手には浮気相手に送った指輪が嵌められていた。何度も口づけをした指先が、心なしかぶらぶらと揺れている。
「あ、ああ、ぁぁあああああ」
どうっと放り出して、それから布団を被る。
ガクガクと震えながらくるまった布団が冷たくて、悲鳴をあげた。
「うぅうううう……!」
けれど、家も布団も彼を守ってくれるわけもなく、ニコラスの耳には玄関の扉を叩く音が聞こえた。
ドン。
ドン。
ドンドンドンドン。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。
「うわぁあああああっ!!止まれ、止まってえええええ!!」
布団をさらにきつくかぶると、ガチャガチャとドアノブが鳴る音がした。しばらくするとその音は消えていって、恐る恐る布団から這い出すと、目の前に落ちた血まみれの手が入ってきた。ふと、その断面がゴムのようにつるりとしていることに気づく。
血には塗れているものの、やはりその断面は人工的なゴムのようなものに覆われている。ニコラスの震えは徐々に止まっていった。
その手首を手に取ると、首を傾げてそれを箱の中に戻した。
「あ、あれ……おもちゃ……?」
ニコラスは冷や汗を拭うと、恐る恐る三番目の箱へ手を伸ばした。もしかしたらこれは、タチの悪いいたずらなんだろうと思い始めていた。そう思うと段々とはっきり箱を開けようという気分になってきた。
今さっきのドアを叩くような音は何だったんだろうか、幻聴か、それとも……。
背中にぞわりと忍び寄った悪寒を振り払って、三番目の箱の封を開ける。
ぎっちり詰められたそれは、妻と、子供の頭が入っていた。
「うわあああああああああっ!?」
ピンピロリン、と落ちた箱の中から電子音楽が流れ出した。メッセージカードが入っていたようで、ハッピーバースデーの歌が流れ出した。
ゴトンと湿った音を二つ立てて、頭がボールのように転がり落ちていく。妻の豊かなブロンドヘアが床にざあっと広がった。血は一切付いておらず、その色は青ざめていた。
「ひっ……」
これもまた断面がつるりとしていた。けれども、そのあまりにもリアルな出来に、頭の中の違和感が叫ぶ。これが本物だと。
そういえば、ふと、思ったことがある。妻の凶行を撮っていたのは、誰だ?
ベッドサイドにある鏡の中をフラフラと惹きつけられるようにのぞいて、それから自分の顔に触れた。
ずぶ、と鏡の中に手が沈み込む。引っ張ろうとすると、さらに引き込まれた。
「なっ、」
サイドボードの拳銃を手に取ろうとして気づく。拳銃は今は持てない。さらにズブズブと引きずりこまれる中、鏡に映ったニコラスの顔が笑みに歪んだ。
「なっ……」
「約束通り、魂はいただくぜ」
ヘラヘラと微笑んだ自分の顔に恐怖を抱く。自分の体の感覚が一切なくなっているような気がした。ズブズブと飲み込まれている体に、ひどく何にもなくなったような気分になる。
「どういうことだッ、お前は悪魔か!?」
悪魔という単語に、頭が割れるように痛む。そうだこいつは悪魔なのだ。人を堕落させて、そして俺は……。
俺は何をした?
「忘れちゃったのかい?俺とあんなに熱い夜を過ごしておいて、さいっこうにクレージーな奴だな。最近見ない頭のおかしいやつ」
「ど、どういう、」
「奥さんをおかしくしたのも、浮気相手を殺したのもオマエだよ。子供まで殺したのに覚えてすらいない。浮気がバレたオマエは合わせ鏡で俺を呼び出したんだ。そしてなんとかしてほしいってなぁ?」
空白になった頭に詰め込まれるようにして記憶が再生される。
「撮っていたのはおれだ」
半分以上沈み込んだ体を引き上げようと体をよじるが、うまくいかない。唸ってガタガタと鏡を揺らすが、それはこちらに倒れこんできて、
そして、
彼を、
のみこんだ。
数日後、ニコラスの勤め先から通報を受けた警察が彼の部屋に踏み込むと、妻子の殺害の様子を詳細に録画した映像が壁のスクリーンに延々と映し出されていて、それからニコラスが首と手に囲まれるようにして微笑んで事切れていた。
果たして悪魔は存在したのだろうか?
ニコラスの作り出した幻ではないと言い切れるのだろうか?