シノメニウムの落葉
――いつもそうだ。
私は、溜息を吐いた。
目下には、少し出っ張ったように排気口が生える絶壁。
ナトリウムの光が、ぽつり、ぽつりと地面を照らしている。
歩道はあるが人はいない。こんな夜中、こんな住宅街に人がいるならそれは、せいぜい空き巣か何かだろう。幸い、今宵の事件はたった一つだけで済みそうだ。
心臓を高層の風が掠る。
私がここで、あと一歩足を動かせば。
動かせば、私はこれ以上――少なくともこのまま生き続けるよりは、他人に迷惑をかけずに済む。
それは、ひどく甘美にて、残酷だった。
それでも、一抹の。縋る。このまま、生きていれば。
私は考えた。冗談じゃない。
人並みには努力したつもりだ。それすらも報われなかった。褒められれば褒められるほど、その裏にある憐れみや軽蔑やお為ごかしや嫉妬や嘲りや――
いつしか、それが、自身の下す、自身への評価に置き換わっていた。
私は、自分が、大好きだった。それだけを原動力に生きてきた。自分を見て欲しかった。だから、褒められるのは嬉しかったし、そして、その本質を見てしまったがために、自分の、自己愛が破綻してしまった。
そして、大好きが大嫌いに変遷していき、それからは、私にとってこの世界とは意味のないものとなってしまった。
それでも、事勿れ主義を信奉し、何か事を起こすこともなかったし、何かを変えようともしなかった。――だが、そんな生活の中で、気がついた。私が、いるだけで、グループに不和が生じていることに。
見過ごせなかった。私の拗らせた中途半端な正義感は、そうして天秤を、今の状況に傾けていた。
私は、グループの為に、コミュニティの為に。
気持ちが楽になる。呪文のようなものだ。いつも、しなければならないことができればこんな、神風特攻隊もかくやという自己暗示をかけている。
半ば思考を止めて、一歩を踏み出した。
意外、と、楽な、一歩、で――
「――というわけで、あなたは死にました」
……どこだろう、ここは。
「ここは世界の狭間です。そして私が、これらの管理をしております。ここまでで、何か質問は?」
「――い、いえ。特には」
「なら良いでしょう。ところで、あなたは何か思い残すことがありますか?」
「――ないといえば嘘になりますが」
輪廻転生とかいうあれだろうか。願わくば、次の人生では、こんなに悩むような性格ではありたくない。
「輪廻転生とは少し違いまして、あなたにはこれより異世界に転移していただきます。というのも――かくかくしかじか」
どうやら、先方にも理由がある様子である。異世界転移なんて、と思ったが、第六感と言おうか、とにかく真であると思える。
「この世界には、魔物が生息し、魔法やステータス、スキルといった概念があります。そこで、転生特典として、なんでも一つ、チート級のスキルを付与しましょう。遠慮はいりません。さすがに限界はありますが、理想に近いものを授けようと思います」
――こういう時には、どう対応すればいいのか。
この『管理者』とやらは、なんでも、と言った。思いつくのは、スキル奪取とか、経験値何倍とか、はたまた。
思いつくものはたくさんある。だが、『一つだけ』だ。私には選べない。
……選べるようになれば、どれだけ楽だろう。
「決まりましたか?」
「は、はい。私は【葛藤を一切しなくなるようなスキル】が欲しいです」
「精神干渉系ですね、それでしたら問題ありません。転移の瞬間から効果が発生することになります」
「わかりました、ありがとうございます」
葛藤が一切ない。なんと素晴らしいことか。
自分の生きたいように生きる。他人なんて構うものか。
傍若無人な人を見ていると、時折、モラリストゆえの憤怒とともに、一方で、少しの羨望を感じていた。
あの人たちは何も葛藤なんて知らないのだろう。
憐れだが、知らないほうがいいこともあるのもまた事実。私は、知ってしまったので目を背けられなかったが、それでも背けられるなら背けたかった。願ったり叶ったり。いい機会である。
「それでは、これより異世界に転移させます」
思えば、元の世界では四方八方からの圧力に対応した結果、随分と窮屈な生活をしていた。
「3」
だから、これからは私が、自分の生きたいように生きられることに多幸感を感じ。
「2」
よくわからないが、その葛藤という道から逃れる術を与えてくれた『管理者』に感謝をし。
「1」
それでも、一抹の淋しさと不安を感じながらも――
「0