プロローグ
それは、恐らく地獄なのだろう。
横転し、ひしゃげ、炎すらちらつかせる車が列をなし、半分ほど壁が崩れたビルや、倒壊したと言っても過言ではない商店の数々。呻き、身動ぎする怪我人や、地溜まりの中でピクリともしない影。主を失った腕や足、果ては内蔵の一部などが散乱する街道を、手を引かれながら走っている
もう、どれ程長く走ったのかわからない。とにかく胸が苦しく、喉が乾いた。足も重くて、踵が痛い。それでも、前を走る少年は止まらないから、仕方なしに走り続けた。
右手を握る手からは自分と同じような鼓動を感じ、ちらりと見える横顔には焦りが伺える。常にないその表情に、何が起きているのかわからないが、何か胸騒ぎを感じる
まるで、この人が死んでしまうかのような予感が……。
怒号や悲鳴はひっきりなしに、自分達を追い越す人も大勢だ。そもそも、子供二人で逃げているのなんて、ほとんど見当たらない。
手近のビルからスーツの男女か数名出てきた。皆酷くひきつった表情をして、口々に何かわめいては逃げ出す。瞬間、一人の女性が転倒し、前を走る男性に助けを求めたのだろう。差し出された手を躊躇なく見捨て、男は走る。
瞬間、後ろのビルから大きな生き物が飛び出したかと思うと倒れた女性に襲いかかった。
断末魔の悲鳴を上げると、払われたては血池に落ちて、小さな波紋をたてた。
これで何人目だろうか?さっきから同じような光景を見ている。
助けを求める声を、涙ながらに振り払う人もいれば、先程と同じようになんの戸惑いもなく見捨てていく人。
襲われた家族を助けようとして食われる父親。呆然自失で我が子の死骸を抱き抱え、同じように租借される母親。
自分もいつか同じように、この少年に置いていかれるのだろうかという疑念と、自分が襲われたらきっと助けてくれるに違いないという感情の二つが揺らめく。
そして…………どうしてみんな、そんなに慌てているのだろうかと不思議でしょうがなかった。
「ねぇ……」
だから、、弾む息で少年に問いかけた。
「どう、して、みんな、怖がるの?」
「……えっ!?」
問いかけに立ち止まった少年は振り向いて、驚いた顔をしていた。
どうして、そんなことを言うのか理解できないと言うかのように。状況を見て分からないのかと問いかけるように。
「みんな、ひとつに、なるだけだよ?」
そう、そんなに怖がることはないのだ。悲鳴や怒声も、果ては逃げる必要もない。ただ受け入れ、一つになればいいのに、どうしてみんなあんなにも恐れ、取り乱すのだろうか?
自分にはそれが全くわからず、今まで理解できなかったのだ。
しかし、自噴の疑念とは裏腹に、少年の顔には驚愕とも絶望ともつかない表情が浮かぶ。まるで、今の今まで考えなかったことの落とし前をつけさせられているかのような……。
瞬間、視界の端で何かが動いた。それは見るまに近付き、少年にぶつかると、右手の感覚が急にました。何かを突然持たされたかのようで驚き、手を離してしまう。
ボトリと音をたてて落ちたそれを見やれば、それは今の今まで握っていたはずの少年の左腕だった。