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葬儀

 翌日は朝からどんよりと曇っていた。

 絵莉彩は早朝に起きて喪服に着替えると、昨夜の通夜の会場でもあった仏間に再び赴いた。そこで夜通し線香と蠟燭を維持し続けていたらしい喪主の松谷氏に指示を仰ぎ、また東座敷に戻って明花を起こすと、彼女の身支度を整えて茶の間に連れていった。もはや我が家同然に熟知している台所を借りて準備した朝食を明花に食べさせると、彼女を連れて仏間に戻る。それから絵莉彩は弔問客の供応のために表に出た。受付などは葬儀会社の職員が請け負ってくれると言われたが、ずっと仏間にだけ控えているというのも気が滅入るものがある。その頃になってやっと絵莉彩の両親も到着したのでちょうどよかった。

 案の定というべきか、早朝のこともあり参列者はほとんど現れなかった。来たのはほんの数人、いずれも絵莉彩には見覚えのない男女だったが、少し遅れて今日も来てくれた山陰のお婆ちゃんが彼らの素性を絵莉彩に教えてくれた。優莉花の高校時代の担任教師と優莉花の勤め先でもあった大森の村役場の職員らしい。名前までは山陰さんも知らなかったが、香典を受け取る時に記帳してもらった名前を見ると、篠崎智人、高原恵瑠奈とあった。高原さんのほうは読み方が絵莉彩にはよく分からない。えるな、だろうか。

 だが僅か数人とはいえ優莉花の高校時代の担任や職場の同僚らしき人々が葬儀に来たというのは絵莉彩にある種の感慨を湧き起こした。優莉花には、突然の死に際して弔いをしてくれる他人を外部に持っていたのだ。どれほど義理的なものであろうとも、それは絵莉彩には幸いなことに思えた。もしも自分だったら、とふと思う。もしもいま自分が死んだら、自分の周囲の他人たちは自分の弔いをするのだろうか。大学の同級生や高校時代の友人たちは、いったいどういうふうに振る舞うのだろう。

 その僅かな参列者たちの訪れが途絶えると、絵莉彩は再び家のなかに戻った。仏間に入ると自分の両親の隣に座り、葬儀の開始を待つ。定刻になると昨夜の僧侶が再び仏間に来て読経を始め、遺族と参列者が順番に焼香していった。明花が父に教えられながら焼香をしている時には数少ない参列者のあいだからも啜り泣くような声が聞こえてきた。優莉花に、というよりもあれほど幼くて母を喪ってしまった明花に対して泣いているのかもしれない。

 焼香が終わるとほどなくして出棺となった。優莉花の亡骸を納めた棺に一人ずつ花を入れていき、松谷氏が最後に優莉花が好きだったという本や菓子やらを入れると棺の蓋は閉じられた。葬儀会社の社員と松谷氏が棺を抱え、優莉花の母が優莉花の遺影を抱えている。

明花は絵莉彩がしっかりと手を繋いでいた。遺族と絵莉彩たち親族のみで優莉花を天に還しに行き、長期間この地に滞在することができない松谷氏の意向もあって、そのまま納骨まで済ませて家に戻ってくると、昼食を早々に済ませてすぐに絵莉彩と松谷氏は帰路につく準備を始めた。十二時までに駅に行き電車に乗らなければ、明日からの生活に支障が出てくる。

 だがそんななか、ひとつの事件が起こった。

 事件といっても大袈裟なものではない。明花の姿が見えなくなったのだが、すぐに見つかったからだ。なんということはない、松谷氏が荷物を纏めている最中にトイレに行った明花が、その帰り道に廊下で出会った参列者の高原さんと少し話していただけだったのだ。明花が一足先に帰る高原さんを見送りに表庭まで出てしまい、そのために行き違った松谷氏が騒いでいただけだったのである。絵莉彩は彼の大騒ぎぶりに苦笑したものの、気持ちはよく分かると同情した。妻を亡くしたばかりで愛娘の姿が見えないとなれば慌てるのは当然だろう。

「・・明花ちゃん、高原さんとよく喋ってたね。楽しかった?なに話してたの?」

 帰りのタクシーのなかだった。絵莉彩の両親は木之本家に一晩泊まるというので絵莉彩と明花と松谷氏だけがタクシーに乗り込んで駅まで向かうことになったのだ。その短い移動時間に、絵莉彩は明花に話しかけた。

「たかはらさん?さっきのおねえちゃん?」

 明花は小首を傾げてきた。そうよ、と絵莉彩は頷く。

「あの髪の短いおねえさんのこと。明花ちゃん、あのおねえさんとけっこう仲良くお話ししてたでしょ?なに話してたのかなあと思って」

「えっとねえ、いろいろこわいおはなしきいた」

「怖い話?」

 絵莉彩が首を傾げると、明花が頷く。

「そうだよ。あのね、このむらにはね、おばけがでるんだって」

「お化け?」

 今度は絵莉彩のほうが首を傾げてしまった。そんな話は今まで聞いたことがなかったからだ。

「そうなの?私は初めて聞いたわ」

 絵莉彩が訊き返すと、明花はちょっと得意そうな表情になった。

「そうなんだって。なんかね、ひとだまがでるんだっていってたよ」

 人魂?絵莉彩は目を見開いた。驚きだった。絵莉彩は子供の頃から何度もこの集落を訪れていたが、そんなものが見えるなどという話を聞いたことは一度もなかったからだ。幽霊が出るなどと囁かれる根拠も分からない。姫塚には墓地のようなものはないし、人死にが出るような事件や事故もあまり聞かなかった。そもそもほとんど住民のいない集落だ。良くも悪くも何事も起こらない土地で、そんなことが起きたのなら、優莉花の例を見るまでもなく、すぐにメディアで報道されたりする。もちろん絵莉彩はこれまでそんな報道は聞いたことはない。噂でもそんなふうに言われる理由が分からない。

「そうらしいですね。以前に伺った際も、そういう話を聞きました」

 思わず考え込んでしまうと、松谷氏が言葉を添えてきた。むろん人魂がどうのという話を信じているようには見えないが、さして驚いているようにも見えない。

「たぶん尾鰭がついているのでしょう。去年、出るの出ないの言って騒いだ者がいたそうですから。その時の顛末を面白おかしく脚色して話している者がいるのではないですか」

「出る?出るって、あの、オカルトなんかでよく言うあの「出る」ですか?そんな場所があるんですか?」

 絵莉彩は驚いて思わず松谷氏のほうを窺ってしまった。姫塚にそんな心霊スポット的な場所があるなんて知らなかったからだ。転出の多い田舎のこと、廃屋のほうが民家よりも数の多いことは絵莉彩とて知っているが、それでもそんなオカルトじみた場所に覚えはない。いったいどこに「出る」というのだろうか。

「さあ、私は知りません。私も、人伝に聞いただけですので」

 松谷氏は首を振った。ちょうどその頃になってタクシーが駅前に到着したために会話はそこで止まってしまった。代金は松谷氏が全額支払ってくれたため、絵莉彩は礼を言って代わりに待合室の自販機で買った飲料を父娘に手渡す。三人でそれを飲みながら待合室で電車の到着を待っていると、再び松谷氏が口を開いてきた。

「・・私は詳しくは知らないのですが、去年、そういって騒いでいた者がいたそうですよ。もちろん私の知り合いではありませんが、正月に明花と帰った時に優莉花から聞きましてね。優莉花の小学校時代の友人が、そうしたものを見たのだそうです。その後、ちょっとした騒ぎになったそうで、それでそうした怪談じみた話が出来上がったのでしょう」

「何かあったのですか?」

 絵莉彩は缶入りのミルクティーを口に含みながら松谷氏を見た。松谷氏はココアを飲んでいる明花から視線を離さないようにしながら、失踪したんですよ、と口を開いてくる。

「失踪、ですか?」

 それはまた大事件が起こっていたものだなと絵莉彩は人魂云々よりもその言葉のほうに驚いた。どこにでもありそうな怪談話より、失踪事件のほうがよほど現実的な大事件だ。

「ええ。もっともそう呼んでいいのかどうかは私には分かりませんが。とにかく突然消えたらしいですよ。帰省客で、朝方までは普通に実家で過ごしていて、昼になって少し近所を散歩してくるとか言ってそのまま戻ってこなかったらしいです。最初は、うっかり山のほうに入って帰り道が分からなくなったのではと思われたそうですが、後になって彼女が持参してきていた荷物なんかも消えているのが分かって、帰ったのだろうということになったようですね。らしい行動だと、優莉花はそんなに気にしてなかったようでしたが」

 紅恋羽、その名には絵莉彩も覚えがあった。何度か会ったことがある。絵莉彩とは親しいと言えるほどの付き合いはないが、優莉花とは仲がいい人物だったはずだ。優莉花より一学年上の女性で、絵莉彩が最後に会った時はまだ高校生だったが、その頃から華やかな少女だったと記憶している。華やかすぎてやや派手な印象のある流行に敏感な人物だったはずだ。帰省ということは彼女は高校を卒業した後、どこか遠くの街に進学なり就職なりしたのだろう。葬儀には来ていなかったが、彼女は優莉花の死は知っているのだろうか。

「その時に聞きましたけど、この辺りは山に迷い込みやすいそうですね?私も明花を連れてくると必ず、それはもう煩いほどに優莉花に言われました。うちは特に山に近いんだから、絶対に明花が山のほうに行かないようにしっかり見ておかないといけないと」

 なるほど。絵莉彩は頷いた。それで松谷氏は明花の姿が見えなくなった時、あれほど血相を変えて捜し回っていたのかと納得した。そういえば絵莉彩も、小さい頃に姫塚神社の鎮守の森に入ろうとして、きつく叱られたことがある。姫塚神社の鎮守の森は、そのまま姫塚集落の周囲を取り囲む山に繋がっているから、一歩でも森に入れば気づかぬうちに山まで入って迷ってしまう可能性があるのだ。姫塚は山間の集落だけに昔は林業も栄えていたというが、今ではもう山に入る人間など皆無に等しい。だから迂闊に山に足を踏み入れれば、そのぶん危険も大きなものになるのだろう。地元の人間なら山菜採りなどで今でも山に入ることはあるかもしれないが、その頻度はそれほど多いとは思えない。林道も今では充分に整備されているとは言い難いから、そんなところにろくに土地勘のない人間が踏み込めばどうなるか、考えるまでもなかった。松谷氏の心配は当たり前のことだ。

 そのときけたたましい音が待合室に響いてきた。絵莉彩は顔を上げ、ホームのほうを窺う。電車が近づいてきているのが見えていた。それを確認すると、振り返って松谷氏を促す。松谷氏はすでにトランクを片手に明花を抱え上げていた。絵莉彩はその二人と並んでホームに向かう。駅員に切符を見せて改札を通り、こちらに向かってくる電車に視線を向け、ふと注意が散漫した。

 ――へえ、自分たちだけが乗客じゃなかったのね。

 ホームには先客がいた。いったいどこの家の住人なのか、絵莉彩には全く見覚えはなかったが、いまどきは高齢者にも珍しい和装の老婦人と、子供連れの若い女性だ。明花とそう年の変わらない幼女は、ホームの端で手持ち無沙汰にしている。姫塚集落にこれほど小さい子供は住んでいないから、どこかから訪ねてきた帰省客の子供に違いないが、どこの子だろう。

 だが勿論、話しかけて身元を訊ねるようなことができるはずもなかった。単に彼らが見ず知らずの他人であるというだけではない、すぐに電車がホームに滑りこんできてドアが開いたからだ。降りる客のいないドア、まるで自分たちのためだけに来たかのような車両に乗り込み、座席に腰を下ろす。人の姿の疎らな車内は、それだけで寒々しいものがあった。

 ――あと何回、このホームには電車が入ってくるのかしらね。

 この様子では、廃線になる日もそう遠くないかもしれない。なんとなく抱いた侘しい気分を弄びながら、絵莉彩は向かいの空席越しに車窓の風景を眺めた。


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