通夜
通夜は滞りなく執り行われた。
夕暮れ近くになって大森にあるという寺から僧侶が駆けつけてきた。木之本家は絵莉彩の家とは違い、寺の檀家というものに入っているのだ。優莉花の両親が熱心な仏教徒ということはないから、これは昔からの名残だろう。檀家だから墓も当然、その大森の寺にある。優莉花の亡骸は、荼毘にされた後はそちらに納骨されるのだ。
枕経をあげた僧侶はいかにも僧侶といった雰囲気の温厚そうな初老の男性だった。彼はお経の後も木之本家に留まっていた。明日の告別式の開始時刻が早いため、いちど帰ってしまえば朝までに戻ってこられないのだという。僧侶が泊まるのは優莉花の両親の要請でもあるらしかった。告別式を早く始めるのは優莉花の両親が絵莉彩たちのスケジュールを気にかけてくれたからなのだろう。絵莉彩には大学が、明花の父には仕事がある。そう何日も休んでいられないし、昼にはここを出なければ明後日からの日常には戻れなくなる。
――なんか、申し訳ない気がする・・。
葬儀の間くらい家族だけで時間を気にせず過ごすべきだと思うのに、それをさせない事情がある。その事情の原因の一つが自分であるという事実は絵莉彩に心苦しさを与えていた。もっともそんなことを口にすればかえって余計な気遣いをさせてしまいかねないから、絵莉彩は何も言わず通夜に参列した。
通夜に参列した人数は少なかった。僧侶を除けば、優莉花の両親と、明花とその父親の松谷仁輝氏、それに自分だけだった。もともと身内だけが参加する儀式だから少なくて当たり前だが、なんとも寂しい光景だった。告別式もおそらくたいして変わらないだろう。式が始まるのは早朝だ。電車は動いてないから来るためには自家用車かタクシーを使うしかない。絵莉彩の両親も今夜は近隣の市街地でホテルに泊まって、開始時刻までにタクシーでここに来ると言ってきた。姫塚からいちばん近い市街地までは車でも一時間以上かかる。時間もかかるしタクシーだと費用も高くなるはずだ。絵莉彩の両親は親族だからそれでも来るが、優莉花の友人や職場の同僚のような単なる知人は弔電で済ますのではないか。なんとなくそんな気がしていた。少なくとも絵莉彩が彼らの立場ならそうするだろう。
それを思うとやるせない気分がしたが、参列者が少ないというのは寂しくても遺族にとっては心が休まるのかもしれないと思い直した。人が多くなればなるほど遺族はその対応に追われて故人の弔いどころではなくなる。優莉花と関われる最後の時間が、そんな多忙なだけの時間になるくらいなら、親族以外誰も来ないほうがいいのかもしれなかった。
溜息をついて絵莉彩は明花を抱きかかえると仏間を出た。深夜になって眠ってしまった明花を東座敷の布団で休ませるためだ。ついでに絵莉彩も休み、明花についていてほしいと彼女の父から頼まれていた。
「明花は貴女に懐いているようですから、お願いします。私はせめて今夜いっぱいは、妻の傍についていてあげたいので」
そう言われてしまえば絵莉彩には頷くしかなく、本音を言えば絵莉彩も長旅で疲れていて眠かったからこの申し出は有り難かった。それで絵莉彩は明花を抱えたまま東座敷へと続く廊下を歩き、その途中でふと足を止めた。
「――なにか?」
振り返ったが背後には誰の姿もなかった。足音が聞こえた気がしたのだが背後に人の姿はない。廊下といえども照明は灯っているからそのことは明らかだった。気のせいかと思い絵莉彩は再び視線を前方に戻す。家鳴りの音を足音と聞き間違えたのかもしれない。この家は古い。風が吹いても雨が降っても何かしら物音はするものだ。
絵莉彩はそう自分を納得させたが、その、足音のようにも聞こえる妙な家鳴りの音はそれからも断続的に続いた。東座敷に着いて夕方のうちに敷き延べておいた布団に明花を寝かせてからも続き、いい加減に絵莉彩は苛立ってきたが、通夜の最中でしかも他人の家となると文句も言えず、明花が起きださないことを幸いに彼女の安らかな寝息を聞きながら自分も布団に入った。明花を抱き寄せたまま同じ褥のなかで目を閉じる。眠ってしまえば家鳴りの音くらい気にもなるまい。寝るといっても何時間も眠ってはいられないのだ。夜明け前にはまた起きないといけないのだから今のうちに少しでも休んでおかねば。
それでひたすら目を閉じ、腹式呼吸を心がけて身体の力を抜いていると、ほどなくして妙に足音めいた家鳴りの音は絵莉彩の意識から遠ざかっていった。