明花
絵莉彩は三畳ほどはある広い土間の玄関で靴を脱ぐと、山木のお婆さんのあとについて廊下を歩いていった。奥座敷の場所など、今さら案内されなくても分かっているのだが、住人ではないのだからなんとなく先に到着して住人に招き入れられている人間に案内してもらうのが筋だと思った。特に今は、単に遊びに来たのではない、従姉の葬儀のために来ているのだから。
長い廊下を玄関からまっすぐに歩き、幾度か角を曲がって奥座敷へと歩を進めていく。いつも思うことだが、この家は絶対、初めて来た人間なら一回では間取りが摑めないはずだ。自分も、子供の頃はどうなっているのか巧く摑めなかった。かくれんぼして隠れている自分がどこにいるか分からなくなったり、家のなかで母親の姿を見失って迷子になったり、夜中にトイレの場所が分からず右往左往して失禁してしまったこともある。そういった諸々のことすら、懐かしく思い出されてきた。ひょっとしたら、今日でこの家を訪ねるのが最後になるかもしれないと思えば、本当に、何もかもが懐かしい。
そう、絵莉彩にとってこの家を訪ねるのは今回が最後になるかもしれないのだ。従姉の優莉花は死に、娘の明花は父親が引き取るはずだからたぶん都心に移るだろう。優莉花の両親はまだ健在だが、絵莉彩の両親は優莉花の両親とあまり折り合いがよくないから、優莉花が亡くなってしまえばもはや会うこともしないはずだ。さすがに葬儀には出るといっているから、告別式には間に合うように来るだろうが、それが済んだら二度とここには来ないだろう。絵莉彩も、優莉花がいたからここには毎年来ていたのだ。正直に言えば絵莉彩もあまりここには来たくない。別に伯母夫婦に邪険にされているわけではないが、どうしても嫌な感じがこの集落にはあるのだ。たぶん絵莉彩の両親も、それがあるから帰省を嫌うのだろうと思っている。
何がどう嫌な感じがするのかまでは分からない。それでも絵莉彩はどうしてもここに来るたびに非常に嫌な気分を覚えずにはいられないのだ。特に自分がここで何か嫌な経験をしたということもないはずなのに、いつも駅に降り立ったときから言葉にできないような気持ちの悪さを感じてしまう。優莉花に会うためという目的がなくなってしまえば、もうこの思いを我慢してまでも、わざわざ来る目的がなくなってしまうのだ。
「――あら、明花ちゃん、どうしたの?」
家の奥に進んで行くに従って増してくる気分の悪さに、絵莉彩が必死で抗っていると、ふいに山木のお婆さんの声が聞こえた。見ると、案内役でもある山木のお婆さんの目前に、五歳くらいの小さな女の子が佇んで、こちらを見ていた。
山木のお婆さんがすぐに女の子に駆け寄って、傍で屈み込んだ。
「おトイレに行きたくなっちゃった?場所は分かる?おばあちゃんが連れてってあげようか?」
女の子は首を横に振った。無言のままだったが、絵莉彩は女の子の容貌に思わず息を呑んでしまった。子役か、子供のモデルかと思うくらい容姿が整っていたからだ。今は喪服と思しき黒っぽい服を着せられているせいでかなり暗い感じに見えているが、肩までで揃えた艶やかな黒髪といい、日焼けとは縁のなさそうな白い肌といい、折れそうなほど細い手足といい、実物大の着せ替え人形のように見える。生後三か月の時に会ったのが最後なのだから、驚いても当然かもしれないが、正直、彼女があの優莉花の娘とは信じられない。優莉花は、今の明花とは全く対照的な娘だったからだ。
「ええと、貴女が明花ちゃん、かな?」
絵莉彩も老女に倣って女の子に駆け寄ると、その場にしゃがみ込んで女の子と目線を合わせた。女の子は僅かに戸惑ったような表情をしたものの、頷いた。
「初めまして。驚かせちゃって、ごめんね。私はね、明花ちゃんのお母さんの従妹で、大園絵莉彩といいます。本当は初めてじゃないんだけど、明花ちゃんにとっては会うのは初めてだよね。よろしく」
「・・えりい、おねえちゃん?」
明花が初めて口を開いてきた。鈴を転がすような可愛い声だった。
「そうよ。明花ちゃんのお母さんに、会いにきたの」
すると明花は首を傾げた。
「ママに?」
「うん。会ってもいい?」
いいよ。明花は頷いた。絵莉彩の手を握ってきて、どこかへ連れていこうとする素振りをする。
「こっちだよ」