星の行方
先生と実際にした話を脚色を交えて語ります。ちなみに、場所は居酒屋でした。
赤く染まった酔っぱらいの顔が目の前にあった。年は五十手前か。皺の増え始めた顔で、旨そうにグラスを傾けている。すると突然、その人は言った。
「大学で学ぶことってのが何か、分かるか?」
夏休み、夕方頃に授業で知り合った講師に呼ばれた僕は、小さな居酒屋の一席で首を傾げていた。
「勉強じゃないんですか?」
そう面白味も無い真っ当な答えを返すと、先生はつまらなそうに鼻を鳴らした。いつもはもう少し穏やかで愉快な先生なのだが、酒が入ると少し態度が大きくなるのだ。
「それは勿論、あるだろう。だが、それが全てじゃない。他にもあるだろう」
「なら、自立とかですか? 一人で生きていく下地を作るみたいな」
「ああ、確かにそれもあるな」
鷹揚に頷く先生に、眉を潜める。一体、この人は何が言いたいのだろう。
「人間関係、金銭感覚、独り暮らし……確かにどれも、一人で生きていくには必要なものだな。でも、大学生活で一番に学ぶものはそれか?」
どこか真剣な表情で、先生はぐびりとグラスの中の焼酎を飲んだ。氷が揺れ、カランと鳴った。
「なら、大学生活で一番に学ぶことってなんですか? もったいぶらないで教えてくださいよ」
はぐらかされればされるほど、それほど興味がなかったことに、どんどんと興味が湧いてくる。先生は、好奇心を刺激するのが上手かった。
「そうだな……なぁ、国広、お前彼女はいるのか?」
「……いきなりなんですか」
「いいから。いるのか、いないのか。どっちなんだ?」
僕は先生を一度睨んだ後、視線を落とした。
「……いませんけど」
「そうか。なら、お前が学ぶべきはそれだ」
視線を上げ、赤らんだ先生の顔を見る。随分酔いが深く回っているようだ。
「先生、お冷頼みましょうか?」
「おいおい、酔っぱらいの戯言じゃないぞ」
言いながら、先生は真剣な顔を崩し、楽しげに笑った。僕はため息を吐き、手に持っていたグラスを置いた。
「まあ聞け。なにもふざけて言ってるんじゃない。大学生活で学ぶべきは、そういうことでもいいって話だ」
「どういうことですか」
僕は不貞腐れたような声を出しながら、ツマミとして机に置かれていた枝豆を手に取る。小ぶりな枝豆からは、見た目通りに小さな薄緑色の豆が、ぷっくりとこぼれ落ちた。
「自分にないものを見つけて、それを求めて走り回る。彼女がいないなら、見つけるためにそこら中の女を探し回ればいい」
「先生もそうだったんですか?」
「俺か? 俺は女性経験で困ったことは無いぞ。今の嫁さんとも、大学で出会った」
そういえばこの人は既婚者だったか、と思いながら、口の中の枝豆を転がす。そして、先程の先生の言葉を同じように転がす。
「自分にはないもの、ですか」
「見識がないと思うなら広めるために、色んな人と話せばいいだろう。金銭感覚がないなら身につければいい。勉学がしたいなら授業を真面目に受ければいい」
歌うように、楽しげに語る先生は、どこか誇らしげに胸を張った。
「大学は自由だ。なんでも出来る。それこそ、彼女を作ることだってできる。大事なのは、やりたいことを見つけて頑張ることだ」
そんな先生の言葉を、僕は相槌を打つこともなく、ただ無言で聞いていた。
それから別の店をはしごすることもなく、先生とは店先で分かれた。夜の新宿は、会社帰りの人々で溢れ返っていた。人ごみに揉まれ、駅のホームを目指しながら、考えることは先程の先生の言葉だ。
やりたいこと。頑張る。どちらも自分には縁遠い言葉だな、と思う。
周囲が大学に行くから大学へ進学し、勉強も単位を落とさないようにするだけ。唯一仲良くなったあの先生は、授業後にぼうっとしていたところを捕まって以来、何かと話しかけてきてくれるだけだ。自分から何かしたわけではない。
ふと足を止め、空を見上げた。後ろを歩いていた人々が、訝しげに、そして邪魔そうに脇を抜けて足早に歩いていく。
夜空には月があった。他には何もない。そういえば随分と長い間、星を見ていない気がして、どうにか見つからないかと空を探す。なんでそんなことをするのかと問われても、答えることはできない。ただ、見つからない星々に、苦しくなるほどの悲しさを覚えた。
こんな先生いない、と思われるかもしれませんが、実際にいらっしゃいます。この前はミニスカとロングスカート、どっちがいいかを語り合いました。酔っぱらうと自制が効かなくなる方多いですよね。




