第7話 天響の恋心
「ねえ……」
天響は自分より少し前を走る少年に声をかける。
陽光を浴びて艶やかに光る黒髪。身長は自分より十五センチほど高い百六五センチ。それでも同年代の男の子と比べるとそれはやはり、少し小さい。
そんな少年の後ろ姿を見ていると、なんとなく頼りなく見える。思わず守ってあげたくたる。けど、自分は知っている。
彼はとても優しくて、本当は自分なんか全然相手にならないほどに強いのだ。
なにせ、幼い頃からずっと近くで見てきたのだ。十年前には家族になった。だから彼の弱さも知っている。
でもそんな彼、奏 タクトの事を自分は好きになっていた。
彼のしぐさも声も、たまに見せる子どもっぽいところも右眼も、彼のすべてが好きなのだ。
昔、家族になったばかりの頃、タクトに右眼をお菓子のうさぎさんの目みたいで可愛いと言ったことがある。もちろん彼に嫌そうな顔をされ、それ以来口にしていないが。
タクトの事を好きになったのは、いつの事だっただろう。天響は記憶を探ろうとして、そこで首を振る。
そんな事に意味はないから。意味なんかなくても自分がタクトの事を好きだという気持ちは変わらないから。
そして前、少年の方、タクトの方を見る。
「…………」
天響の声に気づかなかったのか、タクトはこちらを振り向かない。だから今度はさっきより大きな声をかける。
「タクト聞こえてる?」
「…………」
考えごとをしているのか、やはり反応しない。
「タクトー聞こえないの!?」
今度は市場で買い物をしている王都民達の喧騒を打ち破るほどの声量で言った。
ざわざわと王都民達が奇異の目でこちらを見ている。当然だ。街中で急に大声を上げるようなヤツがいたら、誰だってそうなる。
ここはそういう場所だ。山や海に囲まれていた彼女達の街とは違うのだから。周りが人、人、人、人で溢れているのだ。
王都“ミールヴィア”、エルトリア王国の民が六割程住んでいる超巨大都市。それが彼女達が今いる都市の名だ。
「んで、そんな大声だしてどーした?」
タクトがゆっくりと振り向いた。
その時にはもう誰も彼らの事を見ていなかった。
「どーした? じゃないよ、タクトが何度呼んでも気づかないからでしょ」
「ん? そんなに何度も呼ばれた記憶はないんだけどな?」
「き、気づいてたなら反応してよ! もーイジワルだな〜」
そういうが、天響の口元は微かに緩んでいた。
「悪い、ちょっと考えごとしてて、そんな余裕なかった」
タクトは素直に謝る。
「ごめん、私タクトが考えごとしてるなんて全然思わなくてその……今朝の人達だよね?」
今朝の人達とは彼らがここに来る前に山頂で襲撃してきた二人組の男女の事だ。
「あーやっぱ気づく? そーゆーとこは鋭いよね、天響は」
タクトは小さく笑い、天響の頭を優しく撫でる。
「アイツら魔法騎士だよ。オッチャンの剣に付いてた紋章と同じのがあったから間違いない」
「えっ……!」
途端、天響の顔色が変わる。
当然だ。魔法騎士といえば、この国が誇る最高戦力。唯一《アモルファス》に対抗出来る力を持った戦闘集団なのだから。
「いやー参った。これは急いで学院に行く必要があるな」
軍に捕まる前に。
学院に入学すればとりあえず捕まる事はない。
エルトリア魔法軍事学院は、この国の最大武装組織である軍が簡単に干渉できない位には一つの組織として確立している。
それ故に軍は学院を卒業した者を最も欲しがるのだ。いい歳をしたフリーの傭兵やギルドの人間よりも、十七、八歳の学院の少年少女を選ぶのだ。
しかしタクト達はその軍が誇る最高戦力である魔法騎士の二人を難なく退けてしまった。
だからタクトは魔法騎士を退けた自分達を、軍の連中が引き入れるために動いていると考えた。
今のまま、魔法があまり使えないまま、魔法騎士に任命されたのではとても《アモルファス》に勝てるとは思はえい。無駄死にするだけだ。
そうなる前に、
「学院でありったけ魔法を習得する必要があるな」
タクトは小さく、自分にしか聞こえないほど小さく、そう呟いた。
「そんじゃ行くか!」
天響の手首を掴み、引き寄せる。
「わっ、ちょっ、えぇっ!」
天響がそんな声を上げるが気にしない。タクトは足に思い切り力を入れ、地を蹴る。
旋風を巻き上げるほどの力が後方へ流れ、それと同時にタクトの身体も加速する。
天響の身体が浮き、悲鳴を上げる。
「いぃいいぃやぁぁぁーー」
が、そんな悲鳴さえも置き去りにしてタクトは学院へと向かった。
時を同じくしてシュナイザー宅。
そのとても家とは呼べないほどに家具が倒れ、窓ガラスが割れ、ぐちゃぐちゃになってしまった一室に二人の男がいる。
この状態を作った張本人のシュナイザーとセシルだ。
「それでセシル、奴等の動向は掴めたのか?」
シュナイザーは目の前に座る厳つい顔をしたセシルに問う。
「ああ、五年前に一度な。その日は重要な会議があってな、奴は魔法騎士が全員集まったこの日を狙って来た。そして、『近い内にヤツらからこれまでにないほどの襲撃を受けるから、準備をしておけ』と忠告だけして姿を消した」
「逃げられたのか?」
「…………」
セシルは何も言わずただ頷いた。
「お前以外の六人も全員居たのか?」
「…………」
「お前らが居て何故そうなる! 仮にもお前らは魔法騎士を束ねる最高幹部だろーが!」
シュナイザーはテーブルに拳を叩きつける。
「じゃあなんだよ! 奴は……俺達人外級が揃いも揃って軽くあしらわれるレベルだって言いたいのかよ!」
シュナイザーは我に返り、座り直した。
「……悪い取り乱した。それで奴は敵なのか?」
「攻撃して来ない事から考えるに敵ではない、唯、こちらに協力して来ない事も考えるとなると……」
「味方でもない、か」
シュナイザーがセシルの言葉に続ける。
「ああ、それに––––」
と、そこで外から物凄い勢いで走ってくる気配がした。
シュナイザーは勝利を確信したのか微かに笑みを浮かべた。
「どうやら此処までだな」
バンッと扉が開け放たれ、ロレンをおぶったアスカが戻ってきた。
「マスター! 申し訳ありま––––」
セシルはアスカの言葉を左手を上げて制す。
「分かっている。それで、シュナイザーの弟子は強かったのか?」
アスカは拳を握り、悔しそうに口を歪め、しかしゆっくりと話し始めた。
「はい。非常に申し上げ難いのですが、私とロレンでは全く彼等の相手にはなりませんでした。特に、その……少年の方が物凄く強く、魔法を使わなかった彼に私達は圧倒されました」
セシルは別段驚いた様子もなく、淡々と現実を突きつける。
「まあ、結果は分かっていたがな。シュナイザーが推す程の奴だ、お前らが勝てるわけないだろう? これで分かったはずだ、お前らは弱い。たかがじゃないかもしれないが、ガキに負ける程にな。全く困るよ、天下の魔法騎士が簡単にやられていては」
「ぐっ」
瞬間、アスカが分かりやすい程、苦しそうに顔を歪めた。
それもそのはず、自分達は主に全く信用されてなかったのだから。
「理解したな? 帰ったらこれまで以上に修練に励めよ。今度は期待しているからな?」
セシルは瞳を潤ませていたアスカの頭に手を置き軽く撫でる。
「はい……」
「で、この馬鹿はまだ起きんのか? 私はアスカよりもこの馬鹿の方に今の話を聞いて欲しかったんだがな」
セシルは肺の中の空気を全て吐き出すほどの長い溜め息をし、アスカの足元に転がる情けない姿のロレンを見下す。
そんなに馬鹿を強調したかったのか、二度も繰り返すほどだ。
「どのみち、コイツは説教だな。アスカ、叩き起こせ」
「分かりました」
「ぐぼへっ!?」
叩き起こせと言われたアスカから、かかと落としをくらったロレンは、奇妙な雄叫びと共に目を覚ました。
そしてむくりと起き上がると、周囲を見回し、自分にかかと落としをした張本人が目尻に涙を浮かべていた事に気づいた。
「ちょ、なに泣いてんですか、アス姉!?」
アスカとロレンは実際には姉弟ではない。ただ、ロレンは自分よりも強く、先輩であるアスカの事を姉と呼んでいるのだ。
もちろんアスカの方は自分を姉と慕ってくるロレンの事を本当の弟のように思っているが、それはロレンには内緒である。
「なっ! 泣いてる訳ないでしょ……! ロレンは何を言ってるのかしら?」
いつもはロレンに対し姉のように接するアスカであるが、この時ばかりは取り乱し、あははと笑いながら物凄い速さで平手をかました。
パンッと乾いた音が部屋の中に木霊する。
平手はロレンの左頬に炸裂し、彼は再び深い眠りについた。
「全く何をやっているんだお前らは」
セシルはやれやれと肩を竦め、シュナイザーの方を向く。
「ははっさっきの言葉、お前にも聞かせてやりたいよ、セシル」
「はっ、一体何の事だか? 取り敢えずここにもう用はないな。そろそろ行くぞ」
そこでセシルは何やら空間を弄りだす。すると、彼らが現れた時と同じようにして黒い大穴が口を開けた。
「ああ」
一言だけそう言うと、シュナイザーは三人で暮らしていた家を後にした。