第3話 取り残された生存者
場所は変わってとある孤児院、演習場。タクト達の出発する二日前。
「はっ!」
気合いの一声と同時、少年は剣を高く掲げ勢いよく振り降ろす。
それを避ける事もせず剣を構え、当然のように真正面から「ンッ」と小さな声を漏らすだけで簡単に受け止める少女。数秒、二人の持つ刃は互いを傷つけるため左右を何度か往復する。
二人の力が拮抗した瞬間、少女はその時が訪れるのを知っていたのか、その一瞬を見逃さなかった。少年の剣に自分の剣を這わせるように下へスライドさせ、自身も前傾姿勢になり彼の懐に滑り込む。少年はまだ反応できていない。そしてこれで終わり。後はこの剣を下から上へ、斜め上へ振り抜くだけだった––––が、少女が勝利を確信した瞬間、少年はニヤリと冷たい笑みを浮かべ、少女の足を横に払う。
何も剣の腕だけが強さではないと主張しているかのように。
「なっ!」
少女は驚愕の声を上げ、それに余りにもあっさりと引っかかる。いや、引っかかることしかできないのだ。少年を倒すことだけを考え、少年を見てから動くことのできなかった彼女には。だから目先の勝利に目が眩む。
フェイク、だったのだ。少年が大きく振りかぶったのも、反応できなかったのもすべてがフェイク。剣を交える前から勝敗は決まっていた。
少年はすぐさま倒れてきた少女の顎に左足で気絶しない程度の膝蹴りを放つ。
「がはっ」
声にならない声を上げ仰け反る少女の左手の剣を弾き、さらに右足で腹を蹴り飛ばす。
そして、三メートル程吹っ飛んだ少女が起き上がる前に彼女の元へ素早く移動し彼女の首筋に剣を添える。
「っ!」
少女は両手を上げ降参を示す。
それが合図だったのか少年は剣を鞘に収め、少女に手を差し伸べる。
少女は少年の手を取り起き上がると、埃をポンポンと払いながら言った。
「やっぱり帳は強いね。これで私の六十七戦六十七敗……か、結局一度も勝てなかったわ」
白夜 帳。
まるで此の世の闇を取り込んだかの様に妖しく流れる濃紺の髪。見た者を無条件に震え上がらせることの出来そうな切れ長の黒い瞳。長身で細身だが、鍛え抜かれた身体をしている。
しかし彼は温和な性格をしているためか、この孤児院では彼を避けようとする者はいない。
帳は独り言のような事を言っている少女の方を見る。
力強い赤髪のポニーテールに、意志の強そうな琥珀色の瞳。小柄な体型で彼女の見た目からはとても想像できないが素直で優しい少女。フローラ=エーレンフェストだ。
「でもフローラ、君も以前と比べると大分強くなってると思うよ。特にオレの懐に入ってきたやつ、あれはすごかった。もう少し反応するのが遅かったら負けてたよ」
「お世辞なんて言わなくていいわ。だって帳、あなたあの時反応できてたじゃない。反応できてて、反応しなかった。じゃなきゃあの状況であんな風に笑ったりなんてできないわ」
フローラは彼女のトレードマークの赤いポニーテールをゆらゆらと揺らし、少し怒り気味で言った。
「オレは別にお世辞を言ったつもりは無いんだけどな、君が気を悪くしたなら謝るよ。でも君は本当に強くなったと思うんだ」
帳に真っ直ぐに見つめられ、正直な感想を言われたフローラはほのかに顔を赤らめ、少しだけ取り乱す。
「べっ、別に気を悪くしたわけじゃないわ。ただ、私ではあなたの足元にも及ばない。練習相手にならない。それがとても申し訳なくて」
「お、おい何もそこまで落ち込むことないさ、もっと気楽にいこうよ」
帳はしゃがみ込んでしまったフローラの肩に優しく手を置き、宥めるように言った。
「そんな風に言えるのはここじゃあきっと帳だけだよ。それに周りはまだ……」
帳はそう言われて見渡してみると、実力が近いのか、たしかに周りでの戦闘は続いている。
「でもその分ローテーションまで時間があるから長く休めていいんじゃない?」
そう言って帳は周りの戦闘風景を眺める。
ガキン、キキン、キン。幾つもの金属が擦れ、ぶつかり、火花を散らす。ここは少年少女達が生き残る為日々互いを傷つけ合いながら生きる場所。
少年少女の振るう武器が奏でる音は、院内を反響し多重に集まり音量を上げ、彼等の耳を劈くようにして届く。しかし彼等は今更この程度の事では怯まない。怯んではならない。そう教え込まれたから。怯めば教官に殺されることを知っているから。足が止まれば仲間に傷つけられるから。そうなると次の日深手を負ったまま戦わなければならなくなり生存確率が下がることに気づいたから。
ここで求められるのは純粋に力のみ。他の者を圧倒できる絶対的な力だけ。くだらない感情、意志、思想、思惑、人権、そんな物は《アモルファス》を殺す兵器には必要無い。ここはそんな場所だった。
それがこの孤児院––––寂光院の教育理念だ。
寂光院––––《アモルファス》出現以前から存在する孤児院。表向きは戦争や事故、病気などで親を失った子供を十五歳になるまで保護するという名目で国公認の下設立された。しかしその実態は《アモルファス》に対抗する手段として少年少女達を集め、一日十二時間という過負荷戦闘訓練を強要し、戦闘兵器を育成する機関。
だから。
彼等は強くなった。生き残る為、死なない為、殺されない為に。目的は違えど行き着く答えはそこだった。結局は力なのだ。強き者が弱きを挫く。太古から続けられてきた自然の摂理。
コツコツコツ、と一際大きく院内に響き渡る足音が聞こえてきた。通常なら金属音にかき消さられてしまう筈の音はやがて小さくなり、一拍空けてから一声、怒号にも似た様な男の声が院内を轟かす。
「そこまで!」
男の声が聞こえた瞬間ピタッ、と寸分の狂いもなく同時に立ち止まる少年少女。そこだけ時間が止まったかと思わせる程完璧な静止。しかしこれは教えられたのではない。仲間の死によって学ばされたのだ。彼等には犬程の価値もない。おすわりできなければ躾けられる事もなく唯その生涯を終える事になるだけ。
「今日の訓練はここまでとする。尚明日は手筈通り卒業試験を行う。各々明日の試験で実力が発揮できるよう、今日はしっかりと休むと良い。では、解散!」
言ったと同時、男の姿は霧のように細かくなり、やがて跡形も無く消え去った。
ドサッ、バタ、カラン。男の姿が見えなくなったのを確認した後、床に腰を下ろす者、寝そべる者、武器を棄てる者など多種多様な動きを見せる子供たち。そこには共通して安堵の表情が浮かんでいる。それもそのはず、なぜなら彼等にとって明日の卒業試験に合格すれば、この地獄の様な孤児院から解放されるのだから。
「ふー今日も生き残れた」
「あーやっとここまで来た。明日受かれば解放されるだよな俺達?」
「そうだよ。それに試験はそんなに難しくないらしいよ」
「あ、それわたしも聞いたよ」
「え? どこで聞いたの?」
「うーんとね、夜中トイレに行った時になんか教官が偉い人と話してて、偉い人が『試験は難しくするな』って言ってて、それに教官が『分かりました』って言って頭下げてたよ」
「まじか、だから今日の教官異様に優しかったのかよ。よし! 早く食堂行って飯食おうぜ」
「そうだな。腹が減ってはなんとやらっていうぐらいだしな。明日に備えてたくさん食べなきゃな」
少年少女達はわいわい騒ぎながらみんなで食堂へと向かう。
「今日はやけに早く終わったわね。こんなに早く終わったのって初めてじゃない? まあ、早く終わったのはいいことだし……私達も早く食堂へ行きましょう」
「…………」
フローラが食事に誘うが帳は答えない。
「あの帳? 急に黙ってどうしたの?」
「ああ、ごめんトイレ行くからフローラは先行っといてくれ」
帳は無愛想に一言だけそう答えると、踵を返しトイレの方へ向かった。
夕方にしては少し暗くジメジメとした嫌な空気が纏わり付く廊下を歩いていると突然、
「随分と遅い登場じゃないか、兄さん? そんなにアイツらと話す事があった? 僕にはアイツらに一ミリ程の価値も見い出せないんだけど?」
トイレの陰からゆっくりと姿を現わす者がいた。
帳の双子にして弟のリリトだ。
白夜 リリト。
緩やかにウェーブのかかった白銀の髪、帳とは対照的に爛々と光る黒い瞳。加えて、線の細いしとやかな肢体。それらはまごうことなき美少女そのものだった。まあ、実際には男なのだが。しかし、その容姿故に少女達には妬まれ男に好かれるという残念な事になっているわけだが。
「ははっお前はそーやってすぐに毒を吐くよな。黙ってりゃ結構可愛いと思うんだけどな」
笑いながらそう言った帳をジト目でみながら嘆息混じりにリリトは言った。
「ごめん兄さん。 冗談で言ったのは分かるけど、流石にそれはシャレにならないと思うんだけど」
「ははっ今のはオレも無いと思ったわ」
「で、兄さん。僕に何の用? まさかとは思うけどこんなくだらない話をする為に僕をこんな場所に呼んだわけじゃないよね?」
ツンとした態度をとり、目を細めながら問うリリトに帳は当然とばかりに答える。
「あたりまえだ。くだらない話は部屋でいくらでもできる。話ってのは明日の試験の事だ」
「試験?」
怪訝そうな顔でリリトは尋ねる。
「ああ、さっきみんなが話してるのを聞いたとこなんだが、ちょっと気になる事があってな。なんでも試験が簡単になるとか」
「へぇー。で、兄さんはその話を信じたわけ?」
リリトが侮蔑の眼差しを帳に向ける。それを帳は首を振って否定する。
「まさか、流石にそこまでオレの脳みそは愉快じゃないさ。ヤツらが簡単に情報を漏らすとは考えにくい。十中ハ九罠だと思ってる」
「そこまで分かってるなら、なぜそれを僕に?」
「……助けたい人がいるんだ。でも、オレ一人じゃ叶わない。だからリリト、お前の力を貸して欲しいんだ」
手を合わせ懇願する帳にリリトは、特に否定する事もなくむしろ誇らしげに賛同する。
「兄さん程の実力者で無理なら無理かもしれない。けど、いいよ。僕は兄さんの右腕だから。それに助けたい人ってのもフローラの事でしょ? 彼女がいなければ現在の僕達は居なかった訳だし」
「ありがとな、リリト。お前が居ればどんな事でも出来そうな気がするよ。詳しい事は明日話す。そろそろ戻らないとみんなに怪しまれるからな」
そして二人は一緒に食堂へ向かった。
孤児院での最後の夕食を終えた翌日。
今日は卒業試験とあって皆起床時間より一時間早く起き、演習場で最終チェックを行っている。その表情は焦りや緊張、恐怖の他、解放される事への希望、はたまた自由への渇望など各々異なるが一貫して真剣そのものである。
そこへ再びコツコツと革靴が床を叩く音が聞こえてきて、スーツを着た三十代半ばと思われる男が現れ、両手を打ち合せ爆音に近い音を生み出す。
「静まれっ!! これより卒業試験を始める」
その声にこの場にいる試験を受ける総勢百人の少年少女達はそちらを見る。
「尚、卒業定員は二十名だ。では説明に入る。まず合格者には自由を保障し、金貨五千枚と魔法学院もしくはギルドへの推薦状を与える。また、当院から追っ手が掛かる事もない。安心して暮らすことが出来るだろう。次に不合格者、こちらは今迄の場合留年制度があったため、卒業出来ず此処に留まってもらったわけだが今年度から留年制度が廃止となり、処分することとなった。まあ、今迄生き残る術を教えてきた訳だが、其れでも合格出来ない奴は要らないという上からの命令だ。質問はあるか?」
「ふざけるな! そんなの納得できるか! 今まで俺達な––––」
言葉は唐突に途切れた。教官が一瞬にして少年の背後に回り込み、首筋にナイフを突き立てたのだ。流れる様な一連の動作。これを視認出来た者は帳とリリト以外でどれ程いただろうか。
戦闘訓練が進むにつれ、死人の数は減少する。これは、環境に適応し実力も上がっていく為に起こる一つの現象と言える。だから少年少女達はしばらく見ていなかった仲間の死に蜘蛛の子を散らした様にパニックに陥った。
「キャーッ」
「う、うわー」
教官が舌打ちして両手を前に突き出し、魔法詠唱を始める。
「雑魚共が、《光を喰らう怨嗟の獣よ、醜き者を喰らい、静寂なる時を》」
彼の掌から五十程の光が生まれ、やがてそれらは鳥のような形を成し、逃げ回る少年少女に襲い掛かる。
術者が殺したいと思う者を追尾する攻撃魔法。光の数は弄る事ができるが、それに比例して威力も変わる。一つや二つでは避けられる事が多いため、一般的には十個程用いて、敵の動きを封じる目的で使われる事が多い。
だがこの男は違った。五十もの光の鳥を容易く扱い、的確に少年少女の急所へ送り込む。
彼の魔法技能は素晴らしいものであり、少年少女達には魔法適性が無かった事も災いして、彼等は簡単に呑まれた。
ドシャ、ビシャ、バシャッと、次々と一秒にも満たぬ深紅の噴水を上げ、自分達の作った池に沈む少年少女。その光景は数十秒と続き、残ったのは嵐の過ぎ去った後の妙な静けさと、糸の切れた人形のように横たわる目を見開いたままの死体と、その光景を見ることしかできなかった生存者だけだった。
「私は質問を許可しただけで、口答えを許した訳ではない。逃亡も同じだ」
ほんの一瞬で仲間がたくさん死んだ。今まで笑い合っていた仲間が。彼等の人生とは一体何だったのか。《アモルファス》を殺す為に鍛えられ、それも叶わず殺された。この男の機嫌を損ねただけで。
帳は全身を震えさせながら立ち上がった。そして直ぐに自分の中に渦巻くどす黒い感情を押し殺し、質問した。
「教官殿、試験内容というのは?」
男は帳の腕輪を見た。
「識別コードP–613……帳だったか? ははっ君はこれだけの人数の死体を見て何も思わないのかな? だとしたら相当のクズだね。まあこの先はそういったクズしか生き残れない訳だが。それと質問の答えだけど、今からみんなで殺し合ってもらうよ。もちろん私は手を出さないから安心してもらって構わない。それに人数も半分くらいに減ってしまったから生存確率は二倍。ははっ随分と簡単になったじゃないか?」
最後の方はみんなを見下ろす様にして言った。
(クソが! 一体どっちがクズだよ! みんなをいいようにハメやがって!)
「あ、それと五分間、膠着状態が続いた場合、皆殺しにするのでそのつもりで。それでは、始め!」
教官が手をパンっとならした瞬間、帳達の卒業試験が始まった。